中村仲蔵 / 神田伯山

2020年2月11日 新宿末廣亭
神田松之丞改め神田伯山襲名披露興行 大初日

徹夜組まで出たこの日の末廣亭夜の部。客席の全員が、「神田伯山」としての初めての一席を今か今かと待ちわびていた。ざわざわと落ち着かない客席。異様な熱気に包まれてぼんやりと景色の霞む末廣亭に、出囃子の「滝流し」が響く。

袖から出てくる猫背の伯山さんに浴びせられるのは、万雷の拍手と掛け声。鳴りやまない拍手を制した伯山さんの一言に空気が軽くなると、あっという間に伯山さんの世界に引き込まれていく。


名を持たない仲蔵の、今回こそはと期待して台本(=扇)を開いては落胆して閉じ、また期待して開いては落胆して閉じ…。その繰り返す感情の落差の表現の凄まじいこと。そして金井三笑とのやりとりの場面の、仲蔵の「承知しました」に込められた、不条理に震えるような静かな怒り。その言葉の紡ぎ方に、思わずドキッとする。

仮名手本忠臣蔵 五段目の斧定九郎役を与えられたあとの仲蔵は、最後まで圧巻だった。どう工夫をしたものか、と考える仲蔵に渦巻く、プレッシャー、焦り、悔しさ、怒り。燃えるような負の感情。いざ本番で「しくじった」と勘違いする仲蔵と、反比例するように魅了されていく客の数。両者の目線は目まぐるしく変わるのに、その2つの立場の感情は決して混ざらない。自然な形で進んでいく。仮名手本忠臣蔵を今まさに観ていると錯覚するほど引き込まれていく。演じられる芝居の迫力もすごい。

首をくくろうとする仲蔵の場面。彼の耳に飛び込む客のセリフ。昔はもっとよかった、先代はこうだった、と記憶の中のそれと比べてしまうのは、誰しも経験があることだと思う。それを否定し、恥じる言葉。あの時はよかった、あの時代のあれはすごかったではない。その眼の前に知らないうちにかかるフィルターをとっぱらってしまうような「凄さ」。中村仲蔵は、神田伯山その人だった。

旧きを大切にしながら、新しい工夫をしていくこと。確かな技術と、芸への愛と熱を持って。「昔」だけを見るのではなく、「今」を見なくちゃならないと気付く客のあのセリフは、「今」を背負う伯山さんの挑戦でもあると思うし、決意でもあると感じた。ずっと中村仲蔵と神田伯山が重なっていたのは、芸の素晴らしさと、大名跡を継いだ伯山さんのこれからへの矜持が見せた景色だったのかも。

拍手は鳴りやまない。幕が下りてもなお。カーテンコール。幕が上がって出てきた伯山さんの一言でやっと、全員が現実に戻ってきたような感じがした。息をすることすら惜しい、服のこすれる音ひとつしない張り詰めたあの空気を、一席を、生涯忘れないと思う。

伯山さんの初めの一歩を目撃できたという幸せと、これからずっと追い続けられるという幸せを噛みしめて、木戸をくぐった。