NFTアートに対する誤解と社会的意義
自分も最初は胡散臭い投機商品だと思っていたのですが、実際にいろいろ触ってみることで誤解していたことや気付きもあるのでそれを共有したいと思います。
この文章の目的
- NFTアート否定派が陥りがちな前提知識の不足からくる誤った認識や印象を取り除き、建設的な議論を促したい
- 最近のNFTアート議論は天秤のかけ方が一方的で、NFTやNFTアートの問題点の指摘に終始しており、NFTの持つ大きな可能性や意義が放置されている。ので、NFTアートの持つ大きな可能性や意義について提示したい。
要約
- NFTアートは何を取引しているのか:限定的な公衆送信許諾を取引しているケースが多く、決して虚無ではなく、値段がつく理由は十分に説明できる
- NFTアートの社会的意義は先行投資性によりクリエイターに自由な創作活動を与える点にある。また、才能の発掘が促進される点にもある
NFTアートは何を取引しているのか
まず、NFTアートは実体の無い虚無を売買しているだけ、という認識はNFTアート界隈に踏み込めばすぐに間違いだと気づきます。
NFTアートを購入した場合、その画像をSNSのプロフィール画像やonCyberなどのバーチャルギャラリーに掲載する権利が得られると考えてほぼ間違いないです。
もちろん、原則的には権利元にその許諾を得る必要があります。ですが、ライセンスを明記していないNFTアートであっても、権利元に問い合わせてNGの返答が返ってきたことは一度もありません。sorareなどの大手IPのNFT発行元でさえ認めています。
なぜこのように寛容なのかといえば、購入者によるNFTの露出を通して作品が二次流通すれば作者にロイヤリティが入る仕組みがあるからです。そもそも公衆送信権を著作権で定めているのは権利者の利益保護が主な理由ですが、NFTアートの世界では逆に作者の利益となりやすいので歓迎される風潮があります。
こうした背景を知らない人から見ればNFTアートは虚無を取引しているように見えるでしょうし、虚無という認識のままでは実体のないものに値段がついているように見えるのでいよいよ怪しい投機商品に見えるのも無理もないです。
所有しているNFTアートのバーチャルギャラリー展示も、これまでの常識からすると、なに勝手に他人の著作物を公衆送信しとんねん、となるでしょうが、そうした常識もNFTアートの世界では覆ります。
また、既存の法律に照らしてNFTアートが何を取引するものかを定義しようとする試みを見かけますが、当事者を抜きにした空論のように見えます。
おそらく上記のような背景を知らない人達が、あいつらは一体何を取引してるんだろう、という疑問を法律の枠組みだけで考えようとしているのだと思いますが、そのNFTの所有者に対してどういう許諾を与えるかは権利者次第なので解はでないと思います。
少なくとも親告罪の日本では、法律の面からしても権利者の意思を最も尊重しているわけですし。
NFTアートにおける転売屋の役割
NFTアートの社会的意義を考える上で、転売屋の存在と彼らの役割を考え直す必要があります。
そもそも転売屋の社会的意義というのは抽象的でわかりずらいです。
例えばコミケに出張する転売屋について考えてみましょう。
この転売屋が商品を買うことで、一次販売者は在庫のリスクを転売屋に転化(分散)できます。
また、この転売屋が転売してくれることで、遠方のファンに商品を届けることができます。
もし転売屋が一切いなくなれば遠方のファンは買えないですし、一次販売者は遠方のファンなどの潜在需要向けの在庫リスクを自ら抱えて販売活動をしなければなりません。
重要なのは、この転売屋が金儲けのことしか頭になかったとしても、彼らが利潤を追求した結果に自然とこの便益がもたらされるという点です。
しかし、そんな小難しい話よりも、ファンが転売屋に対して持っている恨みや怒りの方が直感的にわかりやすく拡散しやすいので、転売=悪という印象が定着してしまいました。日本では嫌儲思想が強いのでより拍車をかけています。NFT否定論者の間でも、この印象に頼っている人は多いと感じます。
もちろん転売のやり方にも様々あり、到底正当化できないようなものも多くありますが、すべてひとまとめに転売=悪と片付けてしまうのはあまりに乱暴です。
NFTアートにおける転売屋の役割・意義は上記のコミケの例以上に大きいです。
具体的には3つあります。
①転売屋の活躍がそのままロイヤリティとして作者に還元される
②クリエイターへの先行投資性が生まれる
③才能の発掘が促される
①は単純に、直接的なお金の動きなのでわかりやすいと思います。
転売屋は自らの利益を最大化するためにより高い値段で買ってくれる人を探す努力をしますが、二次流通が成立すれば権利元にもロイヤリティが入るので、転売屋は在庫リスク分散だけではなくクリエイターにより大きな利益をもたらす存在になります。
②と③は抽象的で理解しずらいので例を交えて次節以降で説明してみます。
NFTアートの社会的意義:先行投資性がいかに創作活動に自由をもたらすか
これまでは、クリエイターがお金を稼ぐには実績を先に作る必要がありました。
しかし、NFTアートの世界ではまだ実績がない状態であっても、その才能の青田買いが市場原理により起きます。
これは株式会社と似ています。会社が新しい事業を始めるのに必要なお金を投資家が出資することで、会社が利益を出す前の段階でも自由にビジネス活動が行えるようになるのと似ています。
つまり、クリエイターは実績を出す前から、経済的な面でより創作活動に専念しやすくなります。言い換えると、これまでクリエイターが1人で抱えていた経済的なリスクをNFTを購入した転売屋やファンに分散させることができるようになりつつあるのです。
そのような環境が整備され、あらゆるクリエイターに行き渡った時、創作活動にどれだけ自由を与えるか計り知れません。
これまで株式市場やその他金融商品にだけ許されたリスク分散機能が、ようやくクリエイターの世界にも実装されようとしているのです。
自分がNFTにワクワクするのはこの一点に尽きます。
そうした社会が実現した際にクリエイターや社会全体が得られる利得の大きさを考えれば、そこに至る過程で生じる詐欺やトラブル等の犠牲は無視できるほどに小さい、とは言い切れませんが、決して無駄な努力にはならないはずです。
ですが上記のようなビジョンや想像を持たない人にとっては、今現在起きている細かい事象ばかりにとらわれ、それだけを理由にNFTアートを否定しようとします。
NFTアートはアートではないとか、NFTはバブルだとか、投機商品がほとんどだとかいう意見をよく見かけますが、それは否定しません。その上で、上記のような長期的な視点に立って、NFTがどのように物理法則を根源的に変えたか、その物理法則の基ではどのような運動が起こせるかを想像してほしいです。
NFTアートの社会的意義:NFTアートは才能の発掘を促す
上に書いたような利点は、特にマイナージャンルや小さなクリエイターに対して影響が大きいです。
なぜならプロの編集者が発掘できる領域はごく一部に限られているのに対して、NFTアートの世界では無数のファンや転売屋一人ひとりが、細分化されたジャンルの其処此処において発掘者になれるからです。
また、NFTアートは、創作の内容そのものにも良い影響を与えます。
そのクリエイターが本当にやりたいオリジナル作品があっても、人気がない内は簡単に見てもらえません。
そのため、まずはフォロワー数を増やすために人気版権の二次創作をやったり、相互フォローでお互いにリツイートをし合ったりといった営業活動が必要です。
しかし、NFTアートの世界では、少なくとも投資的観点からすると、一部例外を除いてオリジナル作品だけが評価の対象です。
また、フォロワー数が少ないことも投資的観点からすると将来の成長余地として良い評価にさえなります。
このように、儲かるかもしれないというインセンティブが自然に才能の発掘へ向かわせるのです。
まとめ的ななにか
インセンティブの革命の重要性はブロックチェーンを理解している人ならわかると思いますが、同じことがNFTを通じてクリエイターの世界にももたらされようとしています。
その際に障壁になるのはむしろ技術的な問題ではく、人間側が持っている既存の価値観とか既得権益だったりします。既得権益側がNFTを否定するのは立場上わかりますが、外野の人たちが安易にそれに飛びつくのは、自ら可能性を閉ざしているかもしれないことに気づいてほしいです。
現状だけを見ればNFTには問題が山積みですが、それを理由に完全に拒絶し、議論をすることをやめないでほしいです。
自分自身は、議論の勝ち負けに全く興味がなく、クリエイターが中心になっている世界を見てみたいだけです。NFTはそれを実現するかもしれないと思ったので夢中になっているだけです。
なので反論や間違っているところがあれば指摘いただければありがたいです。
※ 記事中では転売屋という表現に一貫しましたが、実際には転売目的でない人もこれに含まれますし、転売目的とファン活動や応援の意味が混ざりあった状態の方もいます。たとえお金儲け100%であっても様々な便益がもたらされるという点が趣旨ですので、それを強調するためにあえて極端な転売屋という単語を使いました。
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