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INTERVIEW FILE:村上 直人

「良い運命もありました」

男の名は、村上直人(むらかみ なおと)。岩手県陸前高田市出身・1995年9月29日生・高田高校ー富士大学・背番号13・車掌兼投手。今回はこの男の魅力に迫るべくインタビューを行った。

――学生時代

男が「野球人生で一番動いた瞬間」と語るのは高校時代のこと。高校から投手専念となった男は当時スリークォーター気味で投げていたという。しかしスピードが出ず悩んでいると当時の監督からサイドスロー転向を勧められた。「サイドでダメなら投手は諦めよう」という心持ちだったが、監督にはサイドスロー育成のノウハウがあっての勧めだった。そこから自分でもよく投手のフォームを研究するようになったという。最も参考としたのは県内同世代では名の知れた存在の長鈴悠平投手(当時・盛岡第四高校)。同様にサイドスロー投手だった。オープン戦時に親が撮影したビデオで長鈴投手のフォームをとにかく研究したという。そんなふたりがJR盛岡でともに切磋琢磨するのはこれからまだ先、7年後のことだった。

男の高校時代を語るにあたり、触れておかなければならないことがある。

――2011年3月11日

高校入学直前の3月、男は中学校にて帰りのホームルームの最中だった。揺れた。大きく揺れた。海岸から約50mの自宅は流失し、野球道具ももちろん流された。それを高台から呆然と見るしかできなかった。

「まだ高校入学の合否も発表されてなくて、冗談に聞こえますけど数日後にA4用紙1枚に『全員合格』と書かれ貼り出されていたんですよ」と語る。

合格とはいえ入学するはずの高田高校校舎は津波により被災していた。

5月10日に入学式を迎えた男は、旧・大船渡農業高校の校舎を仮校舎として3年間を過ごした。「廃校から20年経っていたのでグランドは粘土質が強く野球には厳しい条件でした。ましてや当初は自衛隊の駐車場になっていたので練習といっても学校を走り回る程度でした」と語り、その夏はオープン戦もままならずに大会へ臨んだという。

男は立て続けに当時を振り返って語った。

「グローブもスパイクもユニフォームもすべて救援物資でいただいたものでした。物資だけではなく連絡をもらい土日は遠征にて練習や招待試合もさせていただきました。そこからのはひろがり今でも試合継続しているようです。色々なところからの支援には感謝しかありませんでした」

「当時はまだ仮設住宅がなく避難所生活でした。日中支援物資をやりくりしている人がいるなかで、自分は野球をやって夜に帰ってくるわけで…罪悪感はなかったといえばウソになりますね。でも周囲の人は応援してくれていました」

「周囲は絶望しながらもめまぐるしく色々なことがあったので前を向いていないとやってられない人ばかりでした。僕もそれに引っ張られて前向きに生きていたと思います」

静岡県浜松市体育協会がグランド整備のボランティアを名乗り出てくれました。トラックで30台ほどの土を入れてもらって、みんなで整備を行ってようやく野球ができる環境が整いました。ほかにも、広島県国泰寺高校が招待してくれた際、各選手の家にホームステイしながら試合を行うといったこともありました。今でも個人的に連絡するような縁となった選手もいます」

「震災ではまわりに支えられているということを強く感じました。それは野球も一緒でひとりでは出来ないんですよね。残念なことも多かったですが、それでも震災がなければ会えない人もいて、良い運命もそこにはありました。自分が生きていくなかで関わっていく人は、身近な人もそうだし、思いがけない人もいるので感謝の気持ちを大事にしてほしいと伝えたい」と締めくくった。

――JR東日本盛岡支社入社

富士大学では輝かしい成績こそないが、リーグ戦でベンチ入りするなど経験値を積み重ねていった。そうした地道な努力が下支えとなり、社会人野球で活躍の場をみつけた。

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<左:男/右:斎藤洋輔(JR盛岡)>

「先輩も居たのでJR盛岡野球部の存在は知っていましたが、実態は知りませんでした。休日にちょろっとやっているだけかなと思ったら、練習日程もきっちり決まっていて良い意味で驚きでした。選手それぞれのモチベーションの高さに好感を抱いたのを憶えています」と第一印象を語る。

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男はデビューシーズンの都市対抗野球二次予選にて七十七銀行相手に0-1と敗戦するも完投するパフォーマンスを魅せた。「抑えた感じはなくて終始周囲の守りに助けられていた感覚」と謙遜するが内外を攻め切った投球は見事だった。「あの試合、みんなは持ち上げてくれるんですが自分的にはみんなのおかげと思っています。ただやはり思った以上に周囲の反響があったので認められた感じは嬉しかったです」と語る。

――現在取り組んでいること

「反省点として集中力が切れるというか中弛みしてしまう投球があります。投げる体力は投げてつけたいのですが、昨年は肩痛で最低限投げるレベルにするのが手一杯でした。現在は柔軟性も気にしていますが、食べるモノの勉強にも取り組んで改善を目指しています」

「安定した投球をするために足腰を鍛えていますが、自分には自重トレーニングが合っているようです。ジムにも通っていますがあくまで補助的なものとして捉えていて、ゴムバンドを使ったりしてカラダの中のチカラを使えるようなトレーニングを大事にしています」

――将来的な選手像は

「自分が野球を辞めるときにひとりでも『こういう人になりたいな』と思われるようになりたいですね。選手としても、人としてもそう思われるように」と語る背景には、高校時代の恩師からひとつのことから大切にという教えを受けて座右の銘としている「真摯:真面目にひたむきに」という言葉があるという。

――ここをみてくれ

「毎年思ってはいますが、企業チーム相手に勝利投手になりたいですね。都市対抗を勝ち上がるには必ず必要なことですから。強豪企業の喉元に噛みつくようなところを期待して欲しいです」

――オススメの選手は

「やっぱり長鈴悠平ですね。昨年は1試合しか投げていませんがその試合で完封と実力は間違いないですし、彼の復活がチームを飛躍させるはずです。それにこれは本人にも言ってるのですが、ずっと憧れてきた存在なんですよね。そんな選手と一緒にプレーできるのは嬉しいです。それでも負けないぞという気持ちはもちろんありますよ」

この秋、男の生まれ故郷・陸前高田市の「奇跡の一本松球場」にて公式戦が予定されている。「地元で野球ができることは感慨深いものがあります」と男も凱旋登板を心待ちにしている。その時まで――――。

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以上。村上直人という男、いかがだったでしょうか。過去・現在・未来を紐解くとそこには、縁を人生の栄養として心を成長させている姿がありました。選手としても人としても成長し続ける男の一挙手一投足にぜひご注目ください。

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