分母を大きく
いう癖のある人がそこそこいます。
男性はとか、女性はとか、どこどこの住所ではとか。
割と最近よく見かけたので気になるなーと思ったり。
無意識のうちにやっている事も多いんですが、やっぱ気になりますよね。
まあ、育った環境が左右する部分も大きいので同じ感じの人は同じ属性に集まる傾向はあるんだと思いますが、十把一絡げにして、私は違うけどあの属性の人たちは…なんていう言い草は何だかなぁと思ったりします。
気を付けてはいるものの自分もそういう事をしているかもしれないので強く言えないところもありますが。
個人個人にそれぞれの考え方があって違う物と言う認識はあるんですが、系統で見ると確かに傾向は見えてきて難しいなぁと思います。統計学ですかねー。
需要とかの読み違えもそういう所があったりしますよね。
(自分は聴かないけど)こういう風にすればみんな聴いてくれるんじゃないか、とか。
(自分はやらないけど)このアイデアがあれば人気になれるんじゃないか、とか。
この括弧の中の自分はやらないけどっていう所がミソだと思うんですよ。
自分が一番熱狂してないとそんなもん箸にも棒にも掛からないんですよね実際は。
このクオリティの低い曲が何処かの誰かには響くかもしれない!とかいう話を聞く事があるんですが、どこかの誰かじゃなくて自分がまず響く所までは行かないと土台にも上がってないんじゃないのかなと思います。
そして、同じクオリティの横並びの人をどれだけ知っているんですか?ということになるんですね。
例えばフォロワー20人の歌い手で、5曲ほど歌ってみたを投稿してるとして、同じ数字を持っている人を何人知ってるんですか。という話になる訳で。
そして知っている事が重要ではなくて、そのレベルの人で自分に響いた人は何人居るんですかという話になる訳です。
響いた人がいないならあなたの言うどこかの誰かはどこにもいないって話になる訳です。
ちゃんと需要と供給も考える必要はあるんですが、愛をちゃんと持たないと熱量にならないんですよね。それは好きな物をやるんではなくて、特に好きでもないものを好きになる努力をする必要があるんじゃないかと思うんですよね。
意外とそれが難しいですね。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?