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お手伝いとアシスタント

漫画で背景とか、モブとかを描いてるアシスタントさん。
テレビ業界でもAD(アシスタントディレクター)さんやAP(アシスタントプロデューサー)さんという方がいる様に補佐をしたり、実務的な業務をやっている人というのがいるんですが、ちゃんと責任ある立場でディレクターやプロデューサーよりも実務はやっていて、ディレクターやプロデューサーは判断をする人という様なこともあります。

漫画でもページの殆どをアシスタントさんが描いている風景の様なページでも一旦はメインの作者さんの方に原稿料などが入り、アシスタント料をもらうわけですね。

歌唱をお手伝いしましたとか、イラストをお手伝いしましたとTwitterなんかで見ることがあるんですが、謙遜も込みでそういう風に言っているのだとは思うんですが、ちょっと違うんじゃないかなあと思って。

自分が他の人の楽曲で作詞や編曲を担当した時は、しっかりとやりましたと言っています。
基本の依頼の方向性や指示、ちょっとした修正なんかで作者の意思というのも介在しますが、担当したという責任は変わらないからです。
作者はプロデューサーとして俺にアレンジを依頼するという判断をしているので、全部のクオリティコントロールする上で口を出したりするのは当たり前です。
だとしても編曲の善し悪しは自分で受ける訳ですね。

例えば歌唱を担当したなら歌唱に対するフロントとして賞賛も批判も受けるしかないのではないかなと思います。

自分の承認欲求は満たしたいけど、責任も取りたくないし、批判も受けたくないというのは表現者としては無理があるのではないかななんて。
それなら表に出ないことをするか、カラオケで楽しんでいれば良いんだと思うんですよね。

お手伝いしましたとか言うのは名前が出ない時に言うものなのではないのかなと思ったりします。
まあそれも恥ずかしい行為だと思いますが。

誰かに刺さるかもしれないから下手だろうが納得いかなかろうが出す、という話も聞くんですが、その誰かは誰なんだという事になるんですよね。
自分でも刺さらないものを誰かに刺そうなんて言うのはムシの良い話だと思うし、逆に同じ程度の他の人から自分が刺さったことがあるのか疑問になります。

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