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目的と手段

結構逆になったりしがち。

ボカロ的なもので曲を作ったりしてる訳ですが、たまにある「何か曲作りたいな」という気持ち。

大体こう言う時は良いものができないんですよ。
何故なら曲を作っている自分が好きだから。
そして完成品に目的がないからなんですね。

投稿祭を目指して曲を作るとか、こう言うものを作りたいと言う目的があって作業をするとか。
そう言う時は目的地があるのでスムーズに事も運ぶし明確なんですよね。

それに対して、音楽を作りたいという目的の場合はそれ自体が目的なので出来上がるものに面白さは生まれないですね。熱量も入らないです。
自分自身の性格がそうなだけかもしれないけど。

なんか曲を作りたいとか、なんか歌いたいとか、落書きをしたいとか、それはただの消費行動なんですよね。手慰み的な。

ただまあ、やってる感みたいなのはあってそう言うのってTwitterに書いたりしがち。
やってる自分が好きで一般人とは違うんですよという優越感を得たい、自己肯定感を得たいだけなんだと思います。

自分が目的があって作業してる時は時間も過ぎるのが早いし、毎日時間を作っては作業を進めてしまいます。
義務感ではなくやりたくてやってる訳ですね。
逆にやりたくないけど進めないといけない時は心を無にしてDAWを開いて、思考の少ない作業を進めると意外とやれたりします。

作業ができないならきっちりと分けてゲームとかやって消費してる方が良かったりするんですよね。

割とオンオフは分けていて、通勤電車の中で作り掛けの音源を聴いて修正したいポイントを挙げていって修正案を考えていたりします。
割とゲームとかしてる時は何も考えないでやってたりします。

作品に対して横柄な時が良くないんですよね、きっと。
自分で作って自分でよくない作品を作るのはまだ良いんですが、カバーとか、歌ってみたとか、描いてみたとかの本家に失礼なやつはホントに良くないなーと思います。

自分が作るカバーは完コピを目指して愛を注いでるものばかりなのでかなり満足度を高く作っていますがその分時間もかかるし、かなり手を掛けています。
オリジナル作る方が早いまでありますからね。

リスペクトは大事。

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