大人になっても


先週、おじいちゃんの通夜と告別式がありました。
先月末に横浜でお仕事があった後、蒲田にある母方の実家におじいちゃんのお見舞いに行ったときにはもう目も虚ろで、声は発せないし手を動かすのもやっとの状態で、一目見て「あ、これもう今週中だ」と思いました。

子どもの頃、実家に帰るとおじいちゃんと土手散歩したりゲームセンターにいったりするのが常でした。たくさん買ってもらった遊戯王カード。小学生の頃に誰かに盗まれたエグゾディア。僕が芸人になってからもずっと心配して貰ってたらしいです。


声は出ないのですが手を握るとおじいちゃんも握り返してくる。こちらが何か言うと手で返事をしてくれる、といったやりとりをしたのが最後の挨拶でした。僕が会いにいった半日後に永眠したそうです。91歳まで生きてくれたお陰でギリッギリでテレビに出てる姿を見せるのには間に合いました。最後「またお見舞い来るからね」と言った後におじいちゃんが力強く握手してきて「あぁ、これ多分最後っていう意味なんだろうなあ」と思って涙を堪えるのが大変でした。家を出てからの帰り道はまだ死んでないのに号泣でした。


ちなみに、朝に訃報が来てその日にそれなりの気合いでおじいちゃん天国で見ててくれとばかりにUPs大喜利に出たのですが、スラムダンクの木暮くんの隣の席になってしまって、大喜利も全然で、どうか見ててないでくれと祈るばかりでした。


1週間後にお通夜。近しい身内の法事初めてでした。
しかし前述の通り僕は生きてる内にしっかりとお別れの挨拶ができてしまっていました。葬式は残された人たちが心の整理をする為の儀式だとするならば、僕はそこはもう済んでいます。冷たいやつだと思われる覚悟で正直に言うと、僕はデジハリの後にその足で通夜に行っています。

通夜。
お経とお焼香のくだり長いですねあれ。
色々なことを考えてしまいます。

南のやじ
TKOのお焼香ネタ
ラララライ体操のお焼香のとこ
怪人者のお経の邪魔
ブリーフ&トランクスの「ろうそく」
大島てるまんじゅう from 赤もみじ

葬式に関するお笑い多すぎる。
俺の頭の中で村田があの顔で怒鳴っている。
阪田の「なんやねん」も再生される。
終わったらYouTubeと同じように続けて知的アピールのネタが自動で再生される。
すごく邪魔だけど、助かりました。


人間、「悲しい場面には悲しい気持ちでいないといけない」という風に思ってしまいがちだと思うんです。そんなことないですか?違ったらすいません。僕は僕のことしかわからないのでそれで進めさせてください。

でも実際は人間ってそんなに単純な頭してなくて、悲しいときにも同時に楽しいこと考えられるし、怒りながらもここはちょっとおもしろいなとか思えるようにできてると思うんですよね。
「今は悲しいときなんだから悲しい感情でいるべきなんだ。くだらないことを考えたりするのは不謹慎だ。」って考えちゃうとそれって自分がしんどいだけで、ましてや他人に押し付けるような考え方では絶対に無いと思うんです。


赤もみじのネタパレ小火
なんであのネタやったんだとか、真夏の下克上の時から思ってたけどネタ縮めるの下手すぎるとか、言いたいことは色々あるんですけど、あの程度のネタに怒るのはちょっと自分自身が何かに縛られてやしませんか?と思いました。


1つ言えるのは、この件でモヤモヤしてる人ほど次のライジングオレンジ、見に来た方がいいと思います。僕以外にもモヤモヤしてるオレンジメンバーがいるんじゃないかと思いますので。

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