タイプライターと音楽と

今、、ジェームス・チャンス&ザ・コントーションズを聴きながら、これを書いている。反復と、絶叫。それが彼らの醍醐味である。

音楽と文章は、切っても切れない関係がある。共に文化であり、文化を愛する人はいつの時代もいる。音楽は好きだが文学はきらい。その逆もあるだろうが、両方好きな人が多いのだろう。音楽が好きな文筆家は多いし、その逆もまたしかり。

無音は苦手だ。理由はわからないが、息子のコンスタンティーノが街の喧噪の中でこそ熟睡できるというのは、何かわけがあるんだろう。オレも騒がしい中で寝たいといっているわけではないが、無音の中でタイプ音だけを聴いていたいというわけではない。

ラジオから、ストロークスが流れて来た。

アップルTVを使って、テレビに繋いだスピーカーからラジオを流すようにしている。以前はこういうのは絶対にいやだった。自分でアーティストを選び、アルバムごとに聴く、そうでないと聴いた気がしなかった。

今はラジオの偶然性を楽しむようになった。あれ? これ聴いたことあるな、誰だっけ、という感じで思い出し、答え合わせのように画面を見る。へっへっへ、な、やっぱりジミヘンだったろ、これは簡単、あんなギターリフを弾く奴は他にはいないからな。お、次は、キングクリムゾンとは......意表をつきますな、と、お次はボウイですね、追悼特集なのかな、最近やたら多い。あ、ダイナソーJrだ。くぅー、効くねぇ......

と、集中できてないじゃないか。BGMになっていない。これだからロックチャンネルはダメだ。さっさとジャズに、いや、クラシックに変えてしまおう。クラシック音楽に今のところ大した思い入れはないからBGMになるのである。ということは、街の喧噪の中、熟睡できるコンスタンティーノは、まだ、この世界に思い入れがないということか。

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