例えば、炎上の副流煙、道に捨てられた痰、そして真実の愛


はじめに

初めましての人ははじめまして。手負いです。照り付ける暑さは相も変わらずですが、夏の星座にぶら下がって上から花火を見下ろす季節も暦の上では終わりが見えてきました。皆さんはいかがお過ごしでしょうか。
最近は、大は小を兼ねるという言葉について考えていました。間違いなくこの言葉は正しいと思います。大きくて困る問題は致命的でないが、小さくて困る問題は致命的な事が多いように思えますよね。でもこの言葉がすべての物事において正しいのであれば小は既に淘汰されてしまっているはずです。しかし小は淘汰されることなく、市民権をしっかりと得ています。
なんなら実用的なモノまでミニチュア化し娯楽として昇華されているようにも見えます。やっぱりそれは小さくて自分に害をなさないから可愛いと思う本能由来の感情なのか?とか庇護欲の延長線上のヤツなのか!?とか考えていたらぐちゃぐちゃになっちゃった。もういいよ。
可愛いものは可愛いでいいじゃん。ねぇねぇどこがかわいい?笑とか聞くな。
曖昧にしておく力を僕たちは必要としているのかもしれない。
以下考え事日記です。

おなまえ、言える?

おなまえ言えるかな?って多分すべての人が言われたことあると思う。これは絶対。言われたことない人居たらね、もう、すごいよ
さておき、名前という存在の大きさはとんでもなく大きいという話をしたい。この文章を目にしている人たちにも名前があり、名付けた人たちの考えがあり、同じ読みでも漢字が違ったり表記が違ったりと、そこに貴賤優劣はない。きっと名前を大事にしている人もいれば名前に興味がない人もいるだろう。名前一つに様々な感情を持つ人がたくさん居るという事は即ち社会に生きる我々にとって名前は個体識別以外に大きな役割を果たしているということだ。それは親から与えられた名前以外にも言える。例えば匿名の環境で活動する上でのハンドルネームだったり、貴方が丹精込めて生み出した作品についてもだ。つけた名前で印象がガラッと変わりそのモノの評価や行く先を決めてしまうほど影響力がある。少なくとも僕はそう思う。
ここで一つ名前にまつわるエピソードトークをする。
中学3年生の手負い少年はとある作品を作るワークショップに参加し、数日をかけて一つの作品を作り上げた。あとは名前を付けてみんなに見せるだけだ。すると一緒のグループで仲が良くなったオーストリア人の男の子から、どんな名前にするのか?と聞かれた。手負い少年はちゃんとガキだったので、名前をあえて付けないのがかっこいいと思っていた。ので、Unknownとかにしよっかな~wとかぬかしてしまった。すると彼は、
手負いが作った素晴らしい作品にはしっかりと責任をもって意味のある名前を付けてやろうぜ。その方が絶対かっこいいだろ?
と、その年にしてはあまりにも正しく鋭い返しをされて衝撃を受けた。彼は英語で話していたので本当にこういう意味で言っていたのかはわからないが、僕はそう意訳した。その発言の正しさよりもその意図を組めていればいいしね!!
そんな事件を経て僕は、SNSで無題・無名・名無しとかそういったものを見ると捨てられてしまった作品に見えてしまうようになった。多分みんなもそう見えるようになる。そういう呪いをかけました。皆さんも何かを作ったりするときは責任をもって愛のある名前を付けてあげましょう。与えられた意図から解釈の幅が広がって豊かなものに発展していくんだから。ね、ハム太郎?

若さ生活

時に若さってなんだろう?って思う。見てくれ?言動?意識?何がその人を若人たらしめているのか?という話は爺さん婆さんにはぶっささる話だとおもう。多分ほとんどの人は若くいたいはずである。爺婆でいたいと思う人は早く死にたい人か、漫画の強いジジイに影響を受けたオタクかのどちらかだと思う。
あ、あと若さと一口に言っても色々な面で言えるだろ!!コラ!!と怒られそうなので先に言っておくと、これからの話はなんかそれ若いね笑くらいの雰囲気で話が進んでいきます。悪しからず。
唐突に若さの源!みたいに言う昼過ぎのテレビショッピングを思い出した。大体そこに映る食材は黒豆とかもずくとかサプリメントだ。
そんなんほんとに若い奴食わんわ!のオンパレードでしかない。
若いといわれる中高年が口をそろえて若さの源だ!と言い、それに影響を受けて普通の中高年も食べ始める。
じゃあ結局それはジジイの食い物なんじゃね??
次!
いや~~~若さってやっぱり柔軟な思考なんじゃないですか奥さん!
新しい物もすんなり受け入れて!いろいろなものを試して!先陣を切っていくのがエネルギッシュな若さなんじゃないっすっかね!
と思うが残念ながら実際の若者は想像の5倍は保守である。
毎日昼はBセットを頼むし、前に倣って校則を破るし、髪型も示し合わせずお揃いのセンターパートだ。思えばいつも先陣を切るのはおかしなヤツだし逆張りの負けず嫌いだった。年齢は関係なかった。
他に考えられるものとしては未熟さとかがあるけど、それが若いといわれるのは侮蔑の側面が強すぎて参考にならないのでパスした。
結果なんも思いつかなかった。若さってなんだ!!!わかんねぇ!
けど、未熟故の若さを共有し合うあの時間はとても好きだ。だから僕は一生思春期でいようかなと思った。なんかもっと考えた事あったけどまとまんないからやめとく。日記だし。いいよね。

結び

なんか今回は勢いで書いて話がまとまらなかった。すごく申し訳ない。絶対読みにくい。けどそういう日もある精神で毎日を見て見ぬふりをして生きてきたんだから急に気にするのもおかしいなと思ったら一気にどうでもよくなった。答えはみんなで見つけてくれ!そんで僕に教えてくれ!
以!上!





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