NOVEMBER Paralysis


はじめに

はじめましての人ははじめまして。手負いと言います。9月も終わり10月を迎えようとしていますが、秋めく事を忘れてしまったように思います。世間だけでなく季節まで僕らを急かしている。よくない。せめてもの抵抗で近所に買いだしに行く際は水着を着て出歩いている。意外と便利だし過ごしやすい。お勧めです。あ、いつも通り考え事のメモ日記です。

僕たちの原動力

皆さんは普段何かしらの活動をしたり、汗水たらして社会で活躍していると思いますが、一体何に突き動かされているのでしょうか?自分のため?子供のため?ペットのため?もしくは、かくあるべきという社会の圧力?考えれば考えるほどアイデンティティを見失ってしまいがちだよね。
僕が何かアクションを起こすための燃料になるものは憎しみなどのマイナスの感情だ。きっと一定数いると思う。ただ、この憎しみを食らいながら活動をする事は明確なメリットとデメリットを抱えることになる。メリットは、少ない憎しみから莫大なパワーと活力と行動力を与えてくれることだ。人によって効果に差はあれど、短距離走の筋肉がパンプアップするイメージで間違いないと思う。デメリットとしては、ガタが来やすいのと持続可能性が殆ど無いということだ。ガタが来やすいというのは、メンタル的にも体調的にもかなり疲弊し、心身ともに壊れやすく危ないということ。持続可能性がないというのは、もしその憎しみの対象がなくなってしまったり幸福や凪の感情が憎しみを上回った時、残された人間には無茶して走り続けたぼろぼろの体とメンタルだけが残り以後何もできなくなってしまうという事だ。これはアーティストの方々でも散見される。好きだったアーティストが燃え尽きた、とかなにやらよくわからない理由で引退してしまった経験はあるだろうか。実情は先ほど説明した通りなケースが多いはずだ。
怖いよね。インスタントに力を得れるマイナスよりも緩やかに長い目で走れるプラスで生きていたいと思うけど未だにできていない。
最近は何事にも凪の心持ちで生きることが多くなってきて、慌てて僕はこんな物分かりよくないだろ!!!いい子ちゃんの振りするな!!!カス!!!と奮い立たせる事が多い。
どうあがいたって振れ幅のない安定した生活に人間は惹かれてしまう。
悪あがきを続けることでどうにか自我を保ち続ける生活に終わりは来るのだろうかと何とはなしにずっと考えていた。
来るわきゃね~~~~~よ!!!!!!クエ~~~~!!!!!!

おこがましさとの仲良くなり方

おこがましさというと一般的には身の程をわきまえていない、とか差し出がましいとか悪い言葉で通っているし僕もそう思う。が、このおこがましさと人間の魅力には正の相関があるように思う。いつだって人が魅力的に見える要因は余裕や自信がある態度からくる。だが実際その人に余裕があるかどうかは本人のみぞ知る話で、外面はいくらでも取り繕える。ある意味余裕のある態度はおこがましさの一種と言えるんじゃないの??という話だ。
僕もよく、余裕あるし賢いですよ~僕はちゃんとしてますよ~という顔をする。間違いなく分不相応なくらいに。この様子は、おこがましいという言葉に相違ない。間違いなくこのおこがましい態度で僕に無いはずの魅力を感じている人は多少は居るはずだ。答え見つけたな^^
おこがましさは人に煙たがられるが、そのおこがましさを踏み台にすることでその人の魅力をかさ増しできるじゃんね!という気づきのお話でした。
でも「おこがましい」を「烏滸がましい」っていちいち漢字で書くタイプのおこがましさはお腹一杯なのでやめようね。なんかむかつくから

結び

また頭悪いのに難しい事をずっと考えてしまった、反省、、という日々の繰り返しを続けている。いい加減学びたい。先人の過ちを見て我が振りなおせるはずだけどやっぱり自分で痛い目見なきゃわかんねぇよな~とかグダグダいうのはいい加減にやめたい。賢くなくても賢くあろうとする事をやめちゃだめだってえらい人が言ってた。ことにしておく。
そうえば最近は急に冷え込んだり暑くなったり実はめちゃくちゃ秋といえば秋なのかも。女心と秋の空とか言うしね。皆様もお体に障らない程度に楽していきましょう。駄文長文失礼しました。

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