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「判断をする」という行為は本当にあなたの人生にとってより良い選択なのか?

「判断する」という行為は、仕事をする上でとても重要な意味を持ちます。

特に組織やチームで重要なポジションにいる人ほど、その行為は、ほとんど仕事そのものだと言っても過言ではありません。

良い判断は組織やチームをより良い方向へと導いてくれる指針となり、悪い判断は組織やチームを谷底へと誘う悪の囁きになってしまいます。

それだけ判断の影響力は大きく、判断を責務とする人のプレッシャーは軽いものではありません。良い判断をするためには、質の良い情報を集める必要があります。

今すぐ意思決定ができないのであれば、情報を集める。情報を集められないなら意思決定をする。

特に判断におけるスピードが重要なビジネスにおいて、「手元の情報で判断をするのか?それともまだ持っていない情報を集めるのか?」の二択を素早く選び取ることはとても重要です。

質の良い情報を持っていれば、その分判断クオリティが上がり、インパクトを残すことが可能になります。

ここまでの話を振り返ってみてみると、質の良い判断を素早く行うことは、非常に大きな効果効能があるように感じます。

実際にそれは間違いありません。しかし、効果効能が大きくなればなるほど、それに伴う副作用も大きくなる。

それは数多く存在するこの世の理のひとつであり、他の真理と同じように普遍的な意味を持ちます。

今日話をしたかったのは、その「副作用」の話です。
つまり、「質の良い判断を素早く行うこと」で失われる「何か」についての話です。

判断をするということは、その物事についてもう考えなくなるということである

「判断をする」ということは、情報収集をストップするということでもあります。これは、その物事について考えることをストップすることと同じ意味を持ちます。

急ぎ次へと進む緊急性がある場合、あるいはその判断によって利便性を獲得したい場合に、このような行為少なくない効果を発揮します。

例えば、「〇〇さんにはこのプロジェクトのリーダーは任せられない」という判断が行われたとします。プロジェクトにはスケジュールがあり、問題をクリアして急ぎ進める必要があります。

また、〇〇さんを変えて適材となるリーダーを据えることでプロジェクトにおける利便性を獲得したいというニーズもある。

このように緊急性や利便性のニーズが高い状況であればあるほど、「判断する」という行為はその効果を発揮する場合があります。

しかしながら、人生は必ずしも緊急性や利便性だけで出来上がっているわけではありません。

自らの好奇心でもってこの世の真理に近づいたり、利便性や効率さとはかけ離れた場所でアイデアを育んだりと、人は様々な方法でより良く生きるためのライフデザインを行っています。

世界は決して緊急性と利便性だけで出来上がっているわけではないのです。

そしてより良く生きるというライフデザインを行う上で、「判断する」という行為がもたらす緊急性と利便性の鋭さは、少なくない副作用を生む要因になる。

私はそのように考えています。

例えば、あなたが前述した〇〇さんの友人だとします。

プロジェクトのリーダーから下ろされた話を噂で聞いたあなたは、「〇〇さんは仕事ができない」と判断をしました。

まあ、よくある話です。
そんなに珍しいことではありません。

しかし、私はそのような話を聞く度に思うのです。
その判断は、本当にあなたの人生をより良くする判断なのか?と。

先ほど話をしましたが、判断というのは緊急性と利便性が必要な時に役立つものです。

「〇〇さんは仕事ができない」と判断をしたあなたは、一体どんな緊急性と利便性を求めているのでしょうか?

残念ながらこのような場合によくあるのは、「自分の方が〇〇さんよりも、仕事ができると思いたい」というニーズです。

どうでしょう?

この欲求を満たすための緊急性と利便性を獲得したいが故に判断をしたと感考えると、判断を改める気になりませんか?

このように、「判断をする」という行為は必ずしも自分を良い方向に導いていかないことがあります。

そのため、私自身、なるべくたくさんの情報を手に入れて、できうる限り判断を先に先に延ばせないかを懸命に考えるようにしています。 

「〇〇さんがプロジェクトリーダーから下された」というような話を聞いた時は、

・何があったんだろう?
・どんなプロジェクトにいたのだろう?
・〇〇さんが得意なことと苦手なことは何だろう?ということを考え、疑問を頭にたくさん浮かべることによって手元にない情報を集めることを心がけます。

場合によっては、すぐに判断したくなる時もあります。

しかしそんな時もグッと堪えて、判断をしません。

そのようにしていくと、〇〇さんの理解が深まるだけでなく、〇〇さんといままでなかった深い繋がりを作れるきっかけを作れるかもしれません。

あるいは、「人はどのような場面でプロジェクトリーダーから外されるのか?」について知らなかった視点を得られることもありそうです。

このように判断をしないという選択は、より良く生きるためのいくつもの視点を提示するきっかけとなるのです。

もちろん、その行為が全て良い機会に繋がるとは言えません。むしろ、徒労に終わることの方が多いでしょう。

それでも、よほど急いで先に進む理由がない限り、出来うる限り判断を遠くに伸ばすことを心がけています。

それはもうほとんどライフワークのようなものに近いかもしれません。

もしかすると、この考えはビジネスにおけるデメリットを多く含んでいるかもしれません。

まだ判断をするには早すぎる気もするし、判断するにはたくさんの情報が必要です。

これからもできうる限り、判断を先に先に引き伸ばし、考えを深めていこうと思います。

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