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あれもそれもこれも

天心流のくわみです。
昔から器用貧乏と言われており、まあ今もあれもこれもと手広くやっているわけですが。
今年はYou Tubeにもっと力を入れたいというか。
まあ毎年これは言っているのですが、コロナより前ですがそこそこやっていたのですが、昨年は特にコロナの影響によりさっぱりでした。
オンライン指導を行うようになって、むしろ下手するとコロナ前よりなんだか忙しくなるという状態になり、そして稽古場が使えず撮影する場所もないし、演武もないというようなあたふたでYou Tubeが配信以外はすっかり放置状態になっていました。
これはとてもいかんということで、あれこれと考えています。

まあ生き馬の目を抜くYou Tubeの世界で、多くの方に見てもらったりチャンネル登録していただくのは容易なことではありません。
しかしまあ経営やらマネジメントやらプロモーションとかそういうことに関しても毎日勉強し続けている中で、やはり自分の中にたくさんの出来損ない部分を自覚出来てくるわけです。

もちろん、あれもそれもこれもの中ではやむを得ない要素はあるものの、「とにかくある素材でとりあえずアップしていた」という事実は否めないということをさっき自覚しました。

本当についさっき。
もちろん半ば分かっていたのですが、それはよくやってしまう言い訳です。
結局、結果に結びつかなければ意味がありません。
問題なのはテーマをきちんと絞れていないことでした。
それぞれの動画ごとに、何を見てもらいたいのかをはっきり自分の中で分類して、テーマを持って作っていくことが出来ていなかったのです。

例えば流儀の入門に関してのものならば、再生回数よりも、見学・体験、そして入門という流れに繋がるアプローチになっていれば良いわけです。
逆に耳目を浴びたいネタ動画ならば、再生数や話題性が重要になります。
海外向けとなれば天心流オンラインに誘導したり、応援を促すような動画にすべきです。
文化関係のものは成功していると思いますが、撮影の手間、編集の手間を考えるとあまりにコストが掛かりすぎていてやはりよくありません。

このあたりをきちんと分別して、そして持続可能で楽に作っていくことをしなければいけません。
あくまでも指導や流儀の継承保存活動と流儀の運営が私の中心であって、映像クリエイターでもなければ、生粋のユーチューバーになれるわけでもありません。

このあたりの持続可能な取り組みというのは、もっとも考えるべき部分でした。
それぞれの動画の意図と役割をもっとしっかりと分別して、あとはやはり再生数を見て動画を作っていくべきかなと。

この場合は徹底的に阿っていかなければ見てもらえない、存在を認識してもらえないのは存在していないのと同じだとすら言えます。
より多くの人々に天心流を知ってもらい、より多くの人々に天心流を学んでもらい、多くの人々に自分自身の可能性を見出し、そしてその中から天心流の継承者たりうる人材、指導者たりうる人材を育成する。

そういう観点から見ると、You Tubeには極めて重要な役割があると言えます。


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