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コロナ時代を生きぬくための聖書のことば(12)~機が熟すまで待とう
たとえ、遅くなっても、待っておれ。
それは必ず来る、遅れることはない。
ハバクク書2章3節
掲げた聖句は、今や世界的なピアニストになっているフジ子・ヘミングさんが、まだその名が知られていなかった60代後半のとき、主から示されたみ言葉です。
彼女は、それまで長い不遇な時代を送ってこられたのでした。
5歳で母親からピアノを習い始めて17歳でソロコンサートデビューを果たし、さらに東京芸大に進んで数々の音楽賞を受賞。
その後、20代後半にバラ色の生活を夢見てドイツに留学したのですが、他の留学生たちから妬みや嫌がらせなどを受け、身の安らぐひまもなかったと言います。
しかも母親からのわずかな仕送りに頼っての貧乏生活で、帰国もできず、砂糖水で飢えをしのぐほどでした。
しかし、1969年、59歳のとき、ついに大きなチャンスがめぐってきました。
著名なバーンスタイン氏らからの推薦があって、ようやくデビューすることになったのです。
ところが、リサイタル直前に風邪をひいて両耳の聴力を失い、そのリサイタルは惨憺たる結果に終わりました。
こうしてスポットライトのあたる舞台からふたたび暗い奈落の底へと突き落とされ、以後、絶望の淵にあえぐようになってしまいました。
そうして失意のうちに帰国。友人の求めに応じて聖路加病院でのチャリティーコンサートでピアノを弾くチャンスに恵まれました。
ある日のことでした。主日のミサにあずかり、その当日の「聖書と典礼」の冊子にふと目を向けると、冒頭の聖句が書かれてあったそうです。
「この聖句はなんだろう?」と思いめぐらしていますと、ほどなくしてNHKから取材の申し込みがあって放映され、以降、とんとん拍子に道が開けていったのでした。
カトリック信者のヘミングさんは、神さまからけっして見放されていなかったのです。
ヘミングさんは書いています。
「……途中、何度も思いました。なんで神さまは私をこんな目に遭わせて平気でいるのだろう、と。だけど、そうではなかった。まるで、私の人生は神様にプログラミングされていたかのように感じます」(『天使への扉』知恵の森文庫、光文社)。
彼女はピアノを弾く1分ごとに「イエスさま、イエスさま」と祈りながら演奏しているそうです。
神さまの答えは、私たちがしびれを切らすほどに遅いかもしれません。
しかし、私たちもヘミングさんのように、あきらめずに耐え抜くならば、み心にかなった望みは必ず実現するに違いありません。
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