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幸運な Too Much Pain 【丘の上の学校のものがたり ①】

無題


丘の上の学校に通うことになった。少年が中学生になった昭和42年4月のこと。

世間的には、社会が大きく変わる怒濤の60年代後半の鳥羽口で、美濃部都政のはじまり、学生運動の象徴のひとつである佐藤首相訪米阻止の羽田闘争、海外からは新しいライフスタイルを提唱するヒッピーの出現や新しいロックであるドアーズ、ジミヘンの活躍など今から見れば、社会の内部から変化を欲する大きなうねりがわき起こっているかのような時代だが、東京の下町の少年には、まだ、今日は昨日の続きだった。

丘の上の学校は、少年の通っていた小学校と同じ東京の港区にあった。

東京の港区は、「北西一帯の高台地と、南東の東京湾に面した低地および芝浦海浜の埋め立て地からなって」おり、「高台地は秩父山麓に端を発している武蔵野台地の末端で、これらの台地は小さな突起状の丘陵となっているため、東京23区の中で最も起伏に富んだ地形」であり、「区の中央部には、西から東に流れる古川(金杉川)流域に平地部が横たわって」いる塩梅となる。(「」内は、港区公式HP内の【港区の地勢】より引用)

要するに、高台地がある北西から芝浦海浜の埋立地がある南東に細長いということになる。

少年は、昭和42年(1967)の春に中学生となり、山手線浜松町駅の東側の埋立地にある自宅から、北西部にある突起上台地のひとつである丘の上にある学校へ、港区の南東端から北西端へと通うこととなったわけだ。

4月1日入学式。少年が、新しい大きめの学生服に身を包まれ、大きな革靴を履いて、付き添いの母親と山手線の外側、海よりにある自宅をでると、柔らかな陽ざしが降りそそぎ、新幹線や山手線、汐留からの貨物が行き交う鉄道の高架線越しに薄くもやった青空のなか東京タワーの赤い容姿が映えていた。高架線を越えたすぐ左では、日本屈指の超高層ビルとなる世界貿易センタービルが建設工事中、さらにその左隣には、山手線浜松町駅の屋根越しに、羽田空港へ向かって始発駅を出発するモノレールが見えた。東京タワー、新幹線、建設工事中の超高層ビル、モノレールという東京の最先端の名物を一望できる風景に立つ少年の足元は都心らしくアスファルトとコンクリートで固められてはいたが、ここは、朝には豆腐屋のラッパが夕方には焼き鳥屋の煙が流れてくる土地柄でもあった。ゆるやかな東風が夜のうちに運んだ汐の匂いが朝の町のところどころに微かに残っていた。

浜松町駅北口の高架下をくぐり、山手線の内側に入り、超高層ビルの建設工事を左にして、東京タワーに向かって真っ直ぐゆくとたくさんの車が行き交う、大門の交差点につきあたった。第1京浜国道(旧東海道)を渡り、国道沿いに右に曲がり、400メートルほど先の大きな三叉路を左折すると、新橋6丁目という小さなバス停があった。しばらくすると、日本橋から銀座を経由してきた都バスがやってきて乗車した。このバス停までで、自宅から1キロ以上はありそうで、ローラースケートで走り回り慣れ親しんでいた小学校の校区からも外れ、新しいことが始まる期待感もあるが、少年は何だか心もとない気分にもなってしまうのだった。

バスは、神谷町から飯倉下へと東京タワーの北側から西側を大きく回り込み、渋谷を通過して東京湾にそそぐ古川にゆきあたると右折し、そのまま川沿いにしばらく走ってゆく。途中、古川の正面に大きな台地が立ちはだかり、川が左に直角に曲がるとバスも正面に大きな商店街を見ながら、左折しそのまま川と丘に挟まれた道を進み、バス停で二つ目ぐらい過ぎたあたりで右折し、丘の麓から、急な坂道を登り始めた。この坂は上るにしろ滑り降りるにしろ、ローラースケートにはむかないことを少年は心の中で反芻していた。急傾斜に並ぶ建物が車道に迫っているなかをバスが進んで行くと、やがて眺めがなだらかになり、空が開けてきたように感じられた。そのあたりでバスが少し右にうねると、左には、テニスコートがいくつか並びその向こうには、高い梢が青空のなかで揺れている樹木たちが見えた。右には、庭木をのぞかせている石塀が続き、大きな屋敷が静かに並んでいた。少年が親しんだ下町とは違っていたが、ローラースケートで走り回れそうな場所ではあった。そんな中に、「丘の上の学校」があった。

丘の上の学校の校門はバスが通る車道沿いにあった。校門から本校舎や講堂がある学校本体までは、両脇に民家があるので校門から学校本体までは両脇を塀で仕切られた細い道のようになっていた。後年、この有り様を、産道を通って子宮に至る、と例える先輩の言葉を少年は聞いた。このことばに倣えば、少年は、この日に丘の上の学校に胚胎された。

校門を入った細い道は、入学式に参加する親子連れでごった返していた。全校生徒330人の小学校から、1学年300人の学校に入るという覚悟はあったものの入学式なので付き添いの父兄も入れると600人以上のひとが、校門から入学式の行われる講堂の入り口までの細い道にびっしりいて、細やかにざわめいているのは新鮮な驚きだった。しかも、この学校は、中高一貫の男子校で、新入生は、全員男子だった。黒い制帽が細い空間にひょこひょこと蠢いていた。

細い道の先の右手には古風な作りの大きな講堂があり、それを飲み込むかのようにコの字型の3階建ての鉄筋の校舎が口を開けていた。校舎と講堂に囲まれた中庭には、校舎と同じようにコの字型に植えられた桜の古木たちが花開き始めており、古い校舎を背景にしたその光景は飾りっ気がないだけに、よけいにとても美しく少年には感じられた。

講堂の入り口は数段階段を上ったところにあり、校門を過ぎたあたりからよく見えた。お互いに知り合いという連中が多いらしく何人かでグループで話していたり、元気のよい生徒は、高いところからきょろきょろして知り合いを見つけると大声をあげて名前を呼び合っていたりしていた。

友だちどころか知り合いもいない少年は、その光景に圧倒されるばかりで、知り合いや友達がいる連中がとても羨ましく思っていた。少年には、ここで友だちをつくらねば、いつまでもこのままひとりっきりかという思いも生じてきた。

そういう騒ぎのなか促され、新入生父兄ともに、講堂に入った。講堂の内部は高い天井と煤けたあめ色の壁に包まれた広い空間で、建てられてから長い年月が経っているのはすぐにわかった。前の方に新入生、後ろの方に父兄が座わり、生徒父兄600人以上を余裕で包み込んでいる空間には、何か時を経た重厚な雰囲気が薄暗い天井から降りてくるようだった。

檀上中央には、ぶ厚い木造製の立派な演壇、左袖には1本のマイクがあった。左右には重量感のある臙脂の幕がゆったりと垂れ下がっていた。

やがて、左袖の奥から、体のがっしりした中背の初老の男性が登場し、マイクなんかいらないと思わせるような、大きな声で、「入学式を始めます!」と宣言し、すかさず「校長先生、祝辞!」とほとんど怒鳴るように叫んだ。

その男性の後ろから入学案内のパンフの写真で見たことのある、恰幅の良い丸みを帯びた落ち着いた雰囲気の校長先生があらわれ、中央演壇にゆるゆるとむかった。演壇から講堂の人々をゆっくりと見回しながら、軽く挨拶をなさって、入学祝いの言葉を述べられた。

校長先生の話を少年は熱心に聞いたはずだが、さすがに覚えてはいなかった。おそらく、新入生へのごく普通の祝辞と学校生活での気構えみたいなことだったのだろう。

校長先生の祝辞がおわり、左袖の奥に引っ込むと、先ほどの男性がマイクに向かって、「以上をもって、入学式を終了します!」と叫び、入学式は突然終わってしまった。

校歌斉唱、教職員や在校生の歓迎の挨拶など、およそ入学式にふつうはあるであろうことは何もなかった。あっさりも度が過ぎている。

思わぬ事態に、えっと少年はびっくりはしたが、入学式は、確かにこれだけで、充分だと思い、何だか愉快な気持ちもわいてきた。小学生の時には、毎年の卒業式などでは、校歌や合唱の伴奏のアコーディオンを弾くひとりにされてしまい、練習含めて長い式次第を経験してきた少年にとって学校の儀式に関する思い込みがひとつとれたようで軽やかな気持ちになったのだろう。

講堂を出る前にもう一度、少年は、薄暗く広々とした高い天井を見上げた。そこには、この学校が経験してきた長い時間の気配があり、少年の好奇心をそそっていたのだ。

新入生300人は、60人づつ5組に分かれ、満開の桜に囲まれた中庭を歩き各組の教室がある校舎に向かった。校舎は、コの字型の3階建て、コの字の開口部に面している講堂を背にすると、右側の直角部の上は、塔の先頭部のようになっており、そこに、大きな校章が据えられていた。

校舎の中に入るのは、入試の時以来だった。小学校と比べて、広い廊下、高い天井、古い柱と壁、格段に重厚感のある空間であることは変わらなかった。

教室には、生徒60名分の机が二つづつ並んだ列が5列あり、背丈の順に前から座り、背の高い少年は予想通り、一番後ろの席で、廊下側の扉の横となった。

教室の後ろには、付き添ってきた父兄が所狭しと並んでおり、全員女性のようだった。少年は一番後ろの席だったので、背中のすぐ後ろどころか横にも母親たちが詰めかけていた。

席順の指示をしていた担任の先生が黒板前の一段高い教卓から、背筋をピンと伸ばして挨拶を始めた。

よく見ると担任の先生は、まだ若く、この場での緊張感は隠せず、生徒を見ながら、父兄たちの反応を伺いながら、一定の威厳を印象づけるように一生懸命しゃべっているようだった。私も今日が初日ですと言ってるような、そのもの慣れない感じは、威厳よりは誠実をかもし出し、好感の持てるものだった。

担任の先生の話を聞きながら、教室の後ろに父兄が並ぶという父兄参観日のような雰囲気の中で、小学校の時とは、決定的に違う何かを少年は感じ始めていた。まず、気づいたのは、教室の中に、それとなく漂う下町の学校ではありえない上品な香水の匂いだった。後ろの父兄の方をみてみると、およそ身につけているもの着ているものが下町の授業参観日の風景とは全く違っていた。ついさっきまで働いていて駆けつけて来たなんていう風情の人は、もちろんいなかった。入学式なので、下町でもそんな人は滅多にいないかもしれないが、同じ制服を着ている生徒たちとは異なり、母親たちはそれぞれがこの場に適った衣装をこらしており、そのレベルがとても高いように思われるのだった。

入学式の1日は、少年に今までとは違う新しい空気への予感をもたらして終わった。

入学式の一週間後に始業式があり、いよいよひとりで丘の上へと向った。

途中滞ることもなく、学校に到着し、コの字型校舎の角の右側と記憶していた教室に入り、席に座り、教室に入ってくる生徒たちの様子を見ていると、二日目の出会いにしては、とても親しく話している様子だった。少年に話しかけてくる生徒は誰もいず、やはり、知り合いがいないのは自分だけかと思っていると、ひとりの生徒が、君は新入生じゃないの? はい。ここは、2年生の教室だよ。

コの字型校舎の角の右側の教室と思っていた少年は、もうひとつの角と間違えていた。

慌てて、もうひとつの角の右側の教室にゆくと、そこでは真新しい制服の生徒たちがもの静かに正面をむいて机に座っているのだった。

始業式と言っても、全校生徒が集まるわけでもなく、各教室で担任の先生によっておこなわれるのであった。少年は、入学式で格式張った行事が無いらしいこの学校の姿勢に触れていたので、簡素な始業式の形式に驚くことはなかった。

少年の座っている席から、教室の反対側になるガラス窓を通して、少年が見るともなしに桜満開の中庭を眺めていると、上級生たちが登校してきて、校舎にはいってゆく様子がよくみえた。この学校では、中学1年生は1階に、高校3年生は3階に教室があり、各学年の教室は学年とともに上に上がっていった。

教室での始業式が始まり、担任からの話が続くなか、中庭では、人の気配が止まず、上級生たちが、ぶらぶらとしていた。一回上階の教室に行ってからおりてきた様子の上級生たちもいた。何本もある桜の木を廻ったり、桜の花を指さしながら、楽しそうに談笑しており、ついには、赤い毛氈のようなものを敷いて、そこに座り込んでいる上級生たちまで出現していた。上級生たちは、新入生から見ると、背丈もあり、体もがっしりとし、無精ひげを生やしていて、大人と遜色ない風情だった、とても自分たちと同じ生徒の身分とは思えなかった。おそらく、教師も混じっていたのだろうが、制服を脱いでラフな格好の生徒たちもおり、ますます、教員との区別が難しいように思われた。

教室内の新入生たちは、中庭で繰り広げられている、花見のようなにぎわいに目を奪われ、自分たちがどんな学校に通おうとしているのかを予感することとなった。そういう意味では、見事な始業式だった。

翌日から、授業が始まった。

始業時間は、午前8時。少年は、早朝で本数の少ない都バスに間に合うように、午前6時半過ぎには、自宅がある官舎の集合住宅の門を出た。早朝の町は、人どおりも少なく、コンクリートの壁やアスファルトの道路が剥き出しになり、聞こえてくる音も何かよそよそしい。

大門の広い交差点を渡ると角の電信柱に幼稚園児ほどの高さの小柄な細長い立て看板があった。テアトル東京という行ったことはないが、かなり規模の大きそうな映画館で、『グランプリ』という映画を上映していることがわかり、映画好きの少年は、今朝から始まった新しい日々の先には、この大きな映画館で飛びきり面白いアクション映画が見られそうな気がしてきて、やおら楽しくなってきた。

新橋6丁目のバス停には、早朝というのに、十人ほどの男女の学生がバスをすでに待っており、少年と同じ制服の姿もあった。新しい制服の女学生は、どこかの私立学校の新入生らしく、少年と同じくやや緊張したおもむきだった。

丘の上の学校に到着すると、登校してくる生徒の群れが校門からぎゅっと細い構内に吸い込まれ、中庭でパァと散開して、あいかわらず賑やかだった。

午前8時から教室で担任教諭による朝礼、そして、授業が始まった。

この学校には、教師と生徒が初対面の授業時間には、いきなり授業を始めないという伝統があるらしく、ほとんどの教員が、1回目の授業時間には、自己紹介や、科目や自分の教え方についてのオリエンテーションのみならず、学校の歴史的なエピソードを披露するなどをした。

この伝統は、学年が上がり、新任の教師を迎える側になった時にも、適用された。というよりは、新任の教師に対する生徒側の押し付けでもあり、新任の教師は、詳しい自己紹介やら趣味や時によっては恋愛体験まで話さなくてはならなかった。気の弱い先生には、気の毒な儀式だったろう。この儀式のなかで、生徒たちと人間関係を築ける教員がこの学校を愛し、長く勤務することとなったようだった。

この学校は私立なので、定年制がなく、かなり高年齢の先生方が現役だった。この学校の卒業生でもある若手の先生に言わせると、オレが中学生の頃から爺さんだったという先生がところどころで独特の渋い存在感を放っていた。

先生方の新入生を扱う手慣れた授業の連続のうちに初日が終わろうとしていた。

少年には、気になっていることがひとつあった。受験のときに初めて見て感動した、広い土のグランドも走ってみたし、屋上からの都心の風景には、東京湾のそばで育った少年の胸を躍らせた。残るのは、図書館はどうなっているんだろうという本好きからの好奇心だった。

そこで、授業が終わった時に、周りの生徒に図書館に行ってみようと思うんだけどと、声をかけてみた。

周りの生徒といっても、声をかけられるぐらいに親しくなったのは、隣の席と前の席の二人の三人だけだったが。

隣の席には、とても真面目な感じの独特の縮れ毛の長身痩躯の生徒がおり、彼は、立川から通っていた。少年が自分は浜松町からだと言うと、えっそんなに近く!とびっくりされ、少年も母方の墓所のある多摩墓地より西にはまったく実感がなく、その余りの遠さにびっくりした。彼は、同じ小学校から三人で入学しており、その二人がかわるがわるにあるいはともに彼を訪ねてきていた。明け方から電車を乗り継いで登校してくる彼らの話は、詳しく聞けば聞くほど驚くばかりだった。三人ともに真面目そうで制服がよく似合っていた。

前のふたりは、ひとりは、大変社交的で、大きな声で自分のことを周りに話しながらだれかから反応があると即座にそのひとと会話を始めるという陽気な性格で、その素朴な大きな声からして、裏表のない人間であることが分かった。もう一人は、全く逆で自分のことは控えめにしていて、聞かれれば応え、相手の話にもゆっくりと耳を傾け、理解したことを確認しながら会話をするような大人びたところがあった。彼は、トキくんといったが、ふっくらとしたうりざね顔で、薄い縁の少し大きな丸眼鏡をかけていて、体形もふっくらとしており、少年が初めて会った紳士と呼ぶにふさわしい同世代だった。

少年の図書館へゆく呼びかけには、トキくんが応えてくれた。たった一日の会話ではあったが、彼はどうも本好きらしいことは感じていたので、少年は安心した。

図書館は、コの字型校舎の校門とは反対側の先端の先にある、新館と呼ばれる新しく建てられた3階建て校舎の1階にあった。3階が音楽教室、2階は、美術や製図、習字などのための特別教室、そして1階全部が図書館だったが、図書室と言った方が相応しいかもしれない。

トキくんと図書室に行き、入り口にある受付で入室の許可を仰ぐとすぐに許可され、書棚の並ぶ中へと入っていった。新館と言うだけあって、本校舎と違い屋内も明るく感じられ、壁際に書棚が並び、真ん中あたりに両側に書籍が並ぶ本棚があった。入り口からみるとコの字型に並んだ先端を旋回して反対側に行くとL字型に書棚があった。入り口入ってすぐ横には、雑誌類をおく大きなラックがあった。

入り口からざっと見る限り、小学校の図書室の何十倍もありそうな蔵書量、しかも置いてある本も児童向けなのではなく、大人が読む本ばかりであり、雑誌まである、少年の心身は一気に高揚した。

隣では、冷静なトキくんが、少年ほどではないにしろ、やはり、静かに興奮しているようだった。

ゆっくりと入り口近くから見ていこうかと、大人のトキくんのさすがの提案だった。少年のように平面を見ればローラースケートでとりあえず1周してみるかといった、大雑把な発想は彼にはなく、しかも同行者にこうするが良いかという配慮までしていた。もう、はい、と素直にしたがうばかりだった。

本棚を眺めながら、トキくんとのホン談議が始まった。少年は、小学校の図書室の本はほとんど読んだと自負するぐらいに唯一の自慢分野だったので、初めての友人に遠慮しながらも、頭と体で湧き上がる熱気とともにだんだんと自分の知識をひけらかすようにしゃべり始めていた。

ところが、それに対するトキくんの応えは次元が違うのだ。

書棚の初めの方は、辞書や事典が並んでいた。少年は、小学校の図書室にあった事典と自宅にあった平凡社の事典をイメージしながら、
「平凡社の事典は、読みやすくわかりやすい図もあっていいよね。」
「そうだね。(ここでトキくんは軽くこぶしで手をうつように同意してくれる。)平凡社の事典を書いている学者は新しい人も多いしね。図版なら、○○の出版社がいいし、写真なら、△△かな。」

事典の項目を書いている学者や図版や写真のできなどは、考えたこともない少年は、心の中で「おい、おい」と呟くのだった。この「おい。おい」は、「おい、おい、何を言い出すんだ。」という少年の必死の抵抗であり、「おい、おい、こいつは何だか凄いやつだぞ!」という感嘆であり、「おい、おい、これじゃ、自分の出番はないじゃないか。」という悲鳴なのだった。

少年は、少しは自分の立場を有利にしようとよく読んでいた、小説や文学の書棚に歩を早めるのだった。

「芥川ってさ、けっこう面白くて読んでたんだけど、晩年のあのカッパが出てくるあたりのは、何かさ、気持ち悪いよね。」
「芥川は、漱石の門下生みたいだったから・・・」
(少年は心でまたもつぶやく「えっ!そうなの!」)
「漱石ってさ、『坊ちゃん』が面白いってよくいうけど、やっぱり『吾輩は猫である』の方がいいよね。」と、少年は、本心とは別に気取ってみるが、
「あれはね、続編を門人の内田百閒というひとが書いてるんだ。え~とね」
(「えっ、なんだそりゃ。」)
トキくんは、書棚を探し、文学全集じゃないとないかなと言いながら、探し当てて、ほら、これだよと渡してくれた。

ここにきて、決定的なことがわかった。少年が読んでいた文学小説は、筑摩少年文学全集で、トキくんが読んできているのは、大人用の1頁に三段の活字がびっしりある筑摩日本文学全集だった。

もう少年の完敗、そのものだった。

それでも、少年はめげずに、こういう優等生はお化け怪奇ものは弱いんじゃないかと、
「けっこう、お化けの話が好きなんで、ラフカディオ・ハーン、小泉八雲のことだけど(少年は相当気取っているのだった)、かれの書いた『怪談』なんか面白かったな。」
「日本人が書いたほうのが、ぞくっとするのがあるよね。」
「それって、だれ。」
「そうだな、やはり、泉鏡花だよ。」

少年は完敗の上から、さらに冷水をかけられて、もう、すいません、という心境になっていた。

トキくんとの図書室探索は、すべてこの様態で、彼の話す内容は、高度であり、日本語として聞くだけで、少年には精いっぱいだったが、この時間はとても楽しく、かけがえのない経験となった。
その日は、トキくんの推薦の内田百閒『続・吾輩は猫である』、泉鏡花『照葉狂言』の二冊を借りて帰った。二冊とも一頁三段の文字組、ほとんどルビなし、しかも、泉鏡花は、家で開いたら、文語体であった。

後年、少年は、丘の上の学校の初日にトキくんと出会えたことは特別に幸運に思えた。
世の中には、自分が得意とする分野や物事で、鼻っ柱を高くしていても、到底追いつけないくらいに深い知見をもつ優秀な人間がおり、その人に対して、白旗を上げるか、打ちのめされ避けてしまうことになりがちなのに、少年は、白旗を掲げることは、恥ずかしいことではなく、自分の好きで得意な分野の深い知識に触れることができ、今まで以上の快楽がやってくることに気がついたからだ。

丘の上の学校を卒業した後に、親しい友人間で、あの学校では、それまでは想像もしなかった出来事に出会って打ちのめされたことがたくさんあったことが話題になった。それが同期生の場合でも、こちらから完敗宣言である白旗を上げて頭を下げて(心の礼儀として)、教えてもらうことがよくあったという話で盛り上がり、入学してからいつごろに初めての白旗を上げることになったかを報告し合い、少年は、この授業初日の図書室であったが、遅かれ早かれ、白旗経験を皆が持っていることがわかり、大笑いした。中には、白旗を挙げた回数が多すぎていつだったかわからない同期もいた。少年もそういわれれば、そういう感じもしたのだった。

丘の上の学校では、少年の想像を超えた未知の面白い出来事があったが、それは、同時に、昨日までの少年を支えていた、小さいながらもアスファルトのように固かったプライドや価値観が木っ端みじんに砕かれることでもあった。それは、少年にとってそれなりに重い体験だった。

トキくんとは、その後は、付かず離れずというか、校内ですれ違えば、挨拶して時間あれば立ち話をするような関係だった。

高校2年の時に、学校の秩序が大きく揺らぐ時期が長く続いた。そのときに、生徒側の立場を理解して解決に尽力している父兄のなかに、トキくんの父上の名前があり、この父にしてこの息子かなとあらためてこの父息子に密かに敬愛の念を抱いたこともあった。

やがて、月日が経ち、インターネットでメールが交換されることが頻繁になり、丘の上の学校の同期の一部でもメール交換が始まった。ちょうど40代後半の一息つく頃であった。

ある日、トキくんの訃報が入ってきた。

正確には、訃報ではなく、訃報とするという内容だった。

トキくんは、ちょうどその頃に、結婚式を挙げていた。そして、新婚旅行で訪れた東南アジアのクルージングで新妻ともども行方不明になっていた。ご両親や近親者、友人たちが現地を訪れ、現地の警察などにも協力を依頼したが、調査の結果は、海賊の襲撃にあったのだろうということだった。それから、1年余り月日が経ち、ご両親は、息子を亡くなったこととし、彼の友人たちに連絡なさった。

その連絡が、友人づたいにかつての少年のもとにも届いたしだいだ。

トキくんが、丘の上の学校を卒業後、理科系の道に進み、エンジニアになっていたことや独創的な開発で有名な創業者の研究所でF1のエンジンを開発していたことを、初めて知り、思いもつかなかった彼の人生に、少年は、数十年ぶりに白旗を掲げ、心の中で快哉を叫んだ。

トキくんと少年は、あのまま図書室にいるような気がしている。面白い小説を読んで感動したときに、その小説がトキくんの好きそうな小説ならば、そっとトキくんに感想を確かめたくなるからだ。そして、トキくんから、少年の思いもつかなかったことを聞いてみたいからだ。平たい地面でローラースケートを滑走させることばかり考えている少年には、F1エンジンの開発者になる、もう一人の少年との大切な会話なのだ。

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