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同じような話が二個あるって話(その③)

教祖がある時、若い娘さんのお手振りのけいこをご覧になっていた時、その娘さんが「きゝたくバ」の手のところ、右指を右の耳にあてるべきなのに左の耳にあてたことがありました。すると教祖は「それは間違いである」というお言葉ではなく、「〇〇さん、耳というものは遠いところから聞くものやないで。近いところから聞くものやで」と教えられた、ということです(西村勝造氏の話)。これも理を振るものだということが明白にうかがわれるお話です。
「近いところ」というのは、まず神様の言われることという意味に悟れますし、「遠いところ」といえば、人間の言うこと、常識ともいえます。聞く順序を間違えてはいけないわけです。

西山輝夫『ひながたを身近に ―天理教教祖伝によせて―』(立教183年1月、天理教道友社、p.199~p.200)

というお話が残っている。なかなか興味深いお話である。

これと同じような話が中川よし先生の逸話の中にもある。

おかぐらの時、「ききたくば」「きいていれども」「とききかす」という場合のお手は、右手の人さし指を右耳の所へもってくることになっている。ところが、この少女は、およしさんにいくら直されても、またしても、右人さし指を左の耳に持ってくる。あきれてしまったおよしさんは、ある日、その少女に、しみじみ言った。
「あんたはなあ。気をつけないと、将来、色情のために身を滅ぼすことになりますよ」と。これを聞いていたのが、少年田淵豊吉氏であった。
それから幾十年、少年田淵豊吉氏は、東京で東明分教会長となっていた。或る年、田淵氏が郷里に帰って見ると、一人の婦人をお助けしてくれ、とたのまれた。行ってみると、驚いたことには、その時の少女が、今はいいおばさんになっていたが、それが子宮病で悩んでいると云うのであった。ずいぶん因縁をつんでいたが、この婦人は出血がひどくて、結局出直した。

高橋兵輔『中川與志』(平成四年四月、高橋定嗣、p.404~p.405)

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