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カタール旅行その2 宿が無い(11/21-22)

◇イスタンブールに行く

まずはイスタンブールまで片道10時間半。当然、人生最長のフライトだ。

この日の為にポケモンの新作を買って、手をつけずに取っておいてある。往復の飛行機でクリアできてしまうだろうと高をくくっていた。

西加奈子の『サラバ』も読み直そうと思って持ちこんでいた。
『サラバ』は一人の男が老いていく自分に耐え、ルーツであるエジプトとその友人を辿ることによって自分を取り戻していく物語で、僕の最も大事な小説だ。突如中東に発つ道中は、『サラバ』と向き合うのに最も適したシチュエーションだと思ったのだ。
アラブ版の地球の歩き方も買っていた。観光のスケジュールを組むのだ。聞けていなかったアルバムも沢山ある。

日本時間22:50発からトルコ時間5:30着のフライトにおいて、それはそれは十分な準備で、睡眠を含めると時間が足りないくらいだった。


飛行機は結構揺れながら、時速600kmでぐんぐん西へと進んでいった。
膨大な時間を目の前にして僕は寝るでもなく、ポケモンを開いては閉じ、書籍は開きもせず、落ち着かないままただただ機内食を口に放り込んだ。
あんなに楽しみにしていたのに何にも集中できない。暇すぎてひっくり返りそうになりながら到着を待った。

飛行機、速すぎるし、狭いし、滅茶苦茶な営みだなと改めて感じた。人間がこんなに高いところを高速で移動するなんてどうかしている。

イスタンブール空港に着陸間際、近くに座っていたCAさんが2人とも祈っていて、到着したら目配せをしてほっとし合っていた。
僕は社有車でお客さんのところに到着しても胸をなでおろさないので、飛行機が飛んで到着するということはやはりとんでもないことなのだと思う。
帰りもこれに乗るのかと憂鬱になった。

トルコだ!



飛行機がイスタンブールに接地したタイミングで、トランジット後の飛行機の出発予定時刻まで残り30分を切っていた。

慌てて飛行機の外に出ると、「日本人でドーハに向かう人たちはこっちだ」と、恰幅の良い空港職員が誘導してくれた。
「流石に飛行機が遅れたら上手にトランジットが出来る様に誘導してくれるんや。この人はなんて親切な人なんや」と、僕たちは口々に関西弁で感謝の言葉を言いながら、後ろをぞろぞろとついていった。

あまり正規ではなさそうな入国ゲートに案内され、集団の半分ほどがゲートに押し込まれる。明らかに定員オーバーな関所は完全に機能を停止していた。
「どうなるんや兄やん。俺たちも乗せてくれるんよな」
声をかけようとすると、彼はふらっと姿を消してしまった。

突如としてトルコ自力入国レースが始まった。何となく着いていけば大丈夫だろうと浮かれていた自分を恥じる。
僕は取り残された列の先頭だったので、最後尾の日本人のお姉様が交渉してなんとか呼び入れてくれた。
明らかにタイムオーバーの航空券を振りかざして、喚きながらなんとかゲートを通過。イスタンブール空港では出発直前に搭乗口が決まるので、急いで電光掲示板を確認するも、僕たちの便は記載すらされていなかった。


一緒の便だった日本人の方と何となく7人組チームを組んで、ターキッシュエアラインズの窓口に向かう。前の組の夫婦が遅れた理由を丁寧に説明して、代わりのチケットをゲットしていた。
僕のもお願いしていいですかとお願いして、代わりのチケットを取ってもらった。本当にありがたい。1人で動いていたら、一生空港に住むことになっていた。
自分のできないことを人にお願いをすることの抵抗感は、仕事をこなしていく中で最近ようやく薄れてきていた。働いていて良かった。

無事、次の飛行機に乗れることになったものの、フライトまで5時間の空白が確定した。
みんなどうするのかなと周りを伺ったけど、僕以外は2人組で来ているので、勿論一瞬で散り散りになった。
そりゃそうだ。そりゃそうなんだけど、かなり寂しかった。

トランジット失敗記念コーヒー

◇イスタンブールからカタールへ

取り急ぎ手持ちのドルを両替をすることにした。
ここでも両替屋の兄さんはめちゃくちゃ話しかけてくる。日本でもそうだった。
お国柄を超えて、普段集団で働いている人は他人と話したがらないし、1人で働いている人はお客さんと話したいのかなと思った。

彼はガラタサライサポで、長友のことは知っていると教えてくれた。僕は今長友の所属しているチームのサポーターだと話すと、拙い英語ながらも伝わったようで喜んでくれた。

一息ついて、何日の何ご飯かわからない食事をとりながら久しぶりに社用携帯を開くと、日本に残してしまっていた仕事がかなりイマイチな進捗で気分が暗くなる。
自信を持って対応できていない案件だったから、とても憂鬱な気分になった。それでも、確認しないより数百倍マシなこともようやく学んできたので、全て目を通した。


近くに座っていた老夫婦は、食事後に旦那さんは新聞を読み、奥さんはクロスワードパズルをしていた。
僕の育ってきた鈴木家では、父方の男性(祖父・父)は新聞好きで、母方の女性(祖母・母)はクロスワード好きだったので、万国共通の人間の本能なのだと嬉しくなった。


美味しくも不味くも無いトルコビールをぐびぐび飲む等で時間を潰して、無事に次の飛行機には乗ることが出来た。現地時間13時。乗り遅れなかったであろう僕の荷物だけは先にカタールに入国している時間だ。


イスタンブールを出発してドーハに到着する飛行機なので、乗客は各国のサッカーファンで溢れていて、特にブラジルの方が多かった。隣の席はドイツ代表のユニフォームを着ていた。舐められてはいけないと思い、なるべく凛とした表情を作ってポケモンに挑むよう心掛けた。

飛行機ではCNNの生放送を見ることが出来て、ちょうどアルゼンチン対サウジアラビアの試合をやっていた。
乗客の全員がカタールまでサッカーを見に行くほどのサッカー好きなので、当然全員がワールドカップを見ていた。惜しいシュートが放たれるたびに歓声があがる。
これがサッカーの本場の雰囲気か!とも思ったし、飛行機ってこんなに喋って良いんだとも思った。

試合は先制したアルゼンチンが優位にゲームを進めているものの、サウジアラビアも規律と勇気をもって立ち向かっていて、こちらまで緊張感が伝わってくるようないい試合だった。
もしかしたらもしかするかもと思ってみていたら、スーパーゴール2本でサウジアラビアが勝ってしまった。

サウジアラビアが得点するたびにブラジル席から歓声が沸き上がり、タイムアップ後は肩を組んで大合唱していた。歌詞はわからないけれど、マラドーナが馬鹿にされていることが分かった。
メッシが試合に出ているにも関わらず、揶揄され続けているマラドーナはすごい。
それはそうとして、飛行機って肩を組んで大合唱しても良いんだと思った。


隣に座っているドイツの青年は予想外のアップセットを静かに眺めていた。同じアジアのチームとの対戦を控える強国の身としては、あまり縁起のいい結果ではなかったのだと思う。
僕は天皇杯で大学生のチームに度々負けるチームのファンを長く続けているので、番狂わせには慣れている。

規律とスーパーゴールと勇敢で安定したGKがいれば、どんなに個人の実力差があっても勝ったり負けたりするのがサッカーだ。
あまり期待してなかったのだけど、日本も勝ったりするのかなと思った。思えばこの時に初めて、ドイツ戦について考えだした気がする。
僕は明日、カタールでサッカーを見るのだと思うと胸が躍った。

◇宿が無いっすね

到着予定時刻は18時。ドーハに到着するころにはあたりは真っ暗になっていた。
飛行機が高度を下げ、ドーハの街並みが窓の外からうっすらと見える。日本ではあまり見ない少し土っぽい建物が街灯に照らされていて、異国を感じた。

本当に着いちゃった!

とても興奮した。初めて目にする中東の地は明らかに日本とは異質で、異なる文化があることが建物のシルエットだけでも感じ取れた。荷物があるかはわからないけれど、丸々24時間かけてとりあえずは辿り着いた。
素晴らしい!

カタールへの入国は拍子抜けするほど簡単で、殆ど顔パス。ナルゲキ(良くお笑いを見に行く劇場)に入場するくらい容易だった。
待機列を仕切る空港スタッフの手際はかなりグダグダで、普段体感しているナルゲキのスタッフさんの見事な列捌きは特殊能力なのだと思った。

一足先に入国してくれていた荷物とも無事再会できて、かなりテンションが上がる。1,500円くらいするアイスカフェラテをずるずると10秒で飲み干して、スーツケースにFC東京のタオルマフラーを巻き付けた。楽しい。

24時間ぶりに再会した荷物は我が子のように愛おしく、
すぐにタオルマフラーを巻いた


ドルをカタールリヤルに両替して、スーツケースをごろごろ引いて地下鉄に向かう。地下鉄は入国の際に必要なHAYYAカードを見せれば乗り放題なのだ。
意気揚々と宿の最寄り駅に向かう。かなり楽しい。
最寄り駅について初めてカタールの外気に触れる。気温は高いけれど、湿度がさっぱりしていて不快じゃない。良い暑さだ!楽しい嬉しい!

ただ移動しているだけなのに、急に世界が刺激的に見えた。違う場所にいるだけなのに、違う人間になっているかのようだった。日本にいるときは肌身離さず持ち歩いているスマホもイヤホンも必要なくて、ただただ目の前にあるものを見て、聴いて、感じていたかった。

「昔からサッカーが好きで」「4年後なんてどうなってるかわからないですし」「ちょうど長期休暇を取れる年次だったんですよ」「ワールドカップでも無いと中東っていかないでしょ」
人から理由を聞かれた時は、このあたりを組み合わせつつ使いまわして説明していたけれど、その実、明確な理由は特になくて、「なんかいけそうだしおもしろそうだから」カタールに来ていた。
この意味不明さは俺のものだ。軽率さが俺をここに連れてきた。最高だ。

着きすぎ


これ以上なく上機嫌に予約していたFree Zone Cabinへ向かう。開催前から評判の悪かったコンテナホテルを予約していた。到着は大分遅れてしまったけれど、確か24時間受付だったはずだ。
ファンゾーンに到着すると、賑やかな声が聞こえてくる。試合は大画面で中継されていて、フォトスポットのイルミネーションがきらめていていた。

19:30頃に受付に着くと、チェックイン待ちのお客さんで大行列が発生していた。
聞いていた通りの最悪オペレーションだ。良いぞ良いぞと先に並んでいる日本人の方の後ろに並んだ。お守りのだと念のため持ってきていた携帯翻訳機に電源を入れて自分の番を待つものの、一向に列が縮まらない。

どうしたのだろうと前の方に声をかけると、どうやら予約した宿が「無い」らしい。

宿が「無い」?

「とりあえず今日は宿が無いっすね」の貼り紙

近くにいた日本人の方と一緒に抗議に行ったが受付の方は誰も目を合わせてくれない。「詐欺だよこんなものは!」と初老の男性は怒りを通り越して呆れていた。「4時間待ってるのに理由も教えてくれないのか」と、オーストラリア人の男性が叫んでいた。

重大なトラブルが起きていて、僕は最終盤に来ただけだったんだとその時理解した。そして何とか肩を入れて自分の権利を主張しなければ、宿が確保できないと本能的に感じた。

その場にいた日本人4人組タッグを組み、あちこちに聞きまわった。タッグとは名ばかりに、英語が出来るお姉さんががんがん攻め入ってくれて、僕はその横で「そうだそうだ」と言う顔をしているのみだった。
残念なことにその場にいたスタッフは誰も何もトラブルの状況を把握しておらず、明確な答えは誰からも返ってこない。
結局、何の保証もない状態で、とりあえずこのバスに乗ってくれと乗り場に案内された。

行けば部屋があるかも、相部屋かも、雑魚寝かも、砂漠の奥かも、etc…様々な情報がお姉さん越しに届き、もはや祈るしかなかった。
僕らを乗せたバスは行き先も告げずに西へ砂漠へ激走していった。

思えばしばらく水も飲んでいない。生きた心地がしなかった。


何とか代わりの宿泊施設にたどり着いた。部屋はあるらしい。
タッグを組んでいた皆さんは早々に鍵を手に入れていて、少しホッとする。
僕が受付に向かうと、2人以上でしか宿泊できないので、相部屋の相手を連れて来いと要求された。

出来るわけがない。言葉の通じない異国のおじさん(何となくその時はそう思った)と3泊するわけにはいかない。お姉さんと二人で大抵抗した。
一人一部屋で予約をしたのに、どうして一部屋使わせてくれないのかと揉めに揉めた。
(僕はone room OK?と繰り返すのみだった。)
最終的に、受付に座っていた違う人を捕まえて、後からもう一人来るんですよ的な嘘を交えることで何とか泊まることが出来た。

宿泊手続き自体は元の宿の予約番号を告げて、A4の用紙の左上にフルネームを漢字で署名しただけだった。こんなサインで何が保証されるのだろう。
漫画喫茶に泊まるより簡素な手続きと引き換えに、何とか鍵を手に入れた。

全てが終わったのは現地時間21:00過ぎ。羽田空港から出発して28時間の長旅がようやくひと段落した。

「なんかあっちに行けば泊まれるらしいよ」の受付


用意された部屋はかなり綺麗で、なぜか既にエアコンが全開でキンキンに冷えていた。寝室が3つあり、シングルベットが4つにキングサイズのベッドが1つあった。SMAPが泊まれるベッド数を独り占めするわけなので、これは受付の方も嫌な顔をするよなと思った。

寝室にはそれぞれシャワー室が付いていて、そのうちの1つには僕の身長を優に超える大きな脚立が置き去りにされていた。
要はこの建物もまだまだ作り途中なのだ。

ふと、学園祭の片づけで、どうしてこんなところに机や椅子があるんだと頭を抱えたことを思い出して笑ってしまった。どんなに苦労して持ってきた大きな什器でも、人は平気で置き忘れてしまうのだ。


靴を脱ぎ部屋着に着替え、久しぶりにソファに寝転がる。地面と平行になるのは40数時間ぶりだ。
地面と平行になるのは最高。ちょっとでも角度が付いているとだめだ。椅子の上に本当の睡眠は無い。

一通り荷物を開けたりした後、既に現地入りしていた友達と電話をした。いろいろなSNSの通話機能を試してみたけれどどれも接続がイマイチで、結局は画面オフのzoomをつなぐことで落ち着いた。無課金ユーザーの無料会議の枠を丸々2本分話した。

とにかくくったくたに疲れていて、見聞きしたことを誰かに話したくてたまらなった。
思えばここ2日間、英語でしどろもどろのコミュニケーションはとったものの、ほとんど誰とも喋っていない。情報で頭がパンパンになっていた。
話した後はシャワーを浴びれる程度には落ち着けていて、人と話をするとこんなにも心が安らぐものなんだなと改めて感じた。


シャワーを浴びて、ようやく夜ご飯を食べていないことに気が付いた。宿泊施設の裏にはスーパーマーケットがあったので、買い出しに向かう。

異国のスーパーは情報量が多くて刺激的なはずだったが、あまり何かを食べたいと思わなかった。三食食べるリズムが崩壊していて、エネルギー補給だけが目的だったからか、単純に日本のコンビニより見劣りして見えた。
日本人大学生二人組は野菜炒めを作るのだと、楽しそうに調味料を選んでいた。

僕は欲しいものが見当たらず、水とコーラとオレンジジュース、気休めにミニトマトを買って店を出た。コーラを一缶飲み切って、メモを一通り書いてベッドにもぐりこんだ。

信じ難いサイズの風呂場の脚立


この顛末は本名+ドーハで検索すると記事になっている。
端的にまとまっていて凄いし、苦笑までしていて面白い。

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