ナインストーリーズ エズミに捧ぐ

エズミに捧ぐ

p141 《エズミに捧ぐ》
1番年下の子供2人のテンポが心持ち落ちたけれど、ああいう瑕なら、あの曲を作曲した当人の母親でもなければ気づかなかったに違いない。

p209 (ハプワース)
父さんはお客さんの前で歌うときや、うちに暖炉の前での熱い議論で腹立たしそうにしゃべるときをのぞけば、訛りに気づかれることはない。気づくとしたらせいぜい、ぼくかバディかブーブーか、異様に敏感な呪われた耳を持った人だと思う。

p146 《エズミに捧ぐ》
「あなた、オハイオ州ご存知?」
私は一口トーストをかじると、オハイオのあたりには、ひどく荒れた土地があるはずだと言った。

p78〜80《対エスキモー戦争の前夜》
「ニューヨークにいなかったんだもの」
「まあ!どこにいたの?」
「おれか?オハイオだ」
「オハイオで何してたのよ?」
「おれか?飛行機工場で働いてたのさ、チキショウメ」
「ホント」とジニーは言った「つらくなかった?」
「つらくなかった?」相手はジニーの口調をそっくりそのままに繰り返した「とっても面白かったわよ。飛行機ってすてきなんだもん。すごーくイカスわ」
今知らされた事情に心を奪われていたジニーには、そうからかわれても、腹を立てる余裕はなかった。

p147《エズミに捧ぐ》
「だって」と彼女は言った「わたしの見たアメリカ人って、やることがまるで動物みたいなんですもの、いっつもおたがいに殴り合いをしたり、みんなを侮辱したり、それからー一人はどんな事をしたか、ご存知?」
私はかぶりを振った。
「一人はね、わたしの祖母の窓からウィスキーの空瓶を放り込んだんです。運よく、窓は空いてました。でも、そんなの知的な感じがしますかしら?」
あまり知的な感じがしないことは勿論だったけれど、私はそうは言わなかった。世界じゅうのどこにいる兵隊でも、およそ兵隊というものは、たいてい自家から遠く離れている。それに、恵まれた境遇にあった者なんかほとんどいないのだ、と、そんなことを言った-そのくらいのことは、たいていの人に、察しがつくものと思っていた、ともつけ加えた。
「そうですわね」私の客人は、そう言ったけれど、はたしてどこまで得心していったものやら

p134《小舟のほとりで》
「サンドラがね-スネルさんにね-パパのことを-でかくて、だらしない、ユダ公だって-そう言ったの」
ブーブーは、ほんの分からぬぐらい怯みを見せたけれど、息子を膝から抱き下ろすと、自分の前に立たせて額にかかった髪を掻き上げてやった。「そう、そんな事を言ったの?」と、彼女は言った。
ライオネルはそれを強調するように力を入れてうなずいた。そして泣き止まぬままに近寄って、母の両脚の間に立った。
「でもね、それはそう大したことじゃないわ」ブーブーは息子の両腕と両脚で万力のようにきつく抱きしめながら言った「世の中にはもっともっとひどい事だってあるんだから」それから彼女は息子の耳の縁をそっと噛んで「坊や、ユダ公って何の事か知ってるの?」
「ユダコってのはね、空にあげるタコの一種だよ」と、彼は言った。「糸を手に持ってさ」

p148《エズミに捧ぐ》
「毛がぐしょぐしょに濡れてしまって」と、彼女は言った「ひどい格好でしょ?」そう言いながら彼女は、私の方を見やって「濡れていない時には、はっきりウェーブの出る毛なんですのよ」
「そうでしょうね、それは今でもわかります」
「カールとは違うんですけどね、ちゃんとウェーブするんです」と、彼女は言った
p26(フラニー)
「ぼくは、一体何がどうしたっていうのか、それを知りたく思うだけだ。つまりねえ、きみは、いわゆるボヘミアン・タイプか、さもなきゃ死んだ人でもなけりゃ、本当の詩人じゃないって言うのかね?きみは何を要求するんだ-髪にウェーブでもかかってなきゃだめかい?」

p151《エズミに捧ぐ》
「目は本当に緑ですね。そうでしょう、チャールズくん?」
チャールズは、そうした私の質問に対して、無理もない胡散臭げな表情を見せていたが、そのうちに、椅子にかけた身体をよじりながら、ずるずるとテーブルの下へもぐっていき、しまいには顔だけ出して、それをレスリングのブリッジよろしく、椅子のシートの上にのっけていた。「ぼくの目はオレンジだい」天井を向いたまま、彼は、声をはりあげてそう言った。それから、テーブルクロスの端をつまむと、それを頭からひっかぶって、そのかわいらしい目鼻立ちにとぼけた表情を浮かべた小さな顔を隠してしまった。

p46《バナナフィッシュにうってつけの日》
「目はグリーンで、髪は黒いの」

p192 《愛らしき口もと目は緑》
「肌白く薔薇色の頬。愛らしき口もと目は緑」全くどうも決まりの悪い話だけどさ 昔はこの詩を読むといつもあいつのことが思い浮かんだ。あいつの目は緑じゃない 海の貝殻みたいな目だよ、あいつは なのに、とにかくあいつのことが思い浮かぶんだ。

p23 《バナナフィッシュにうってつけの日》
「君のその水着、いい水着だね。ブルーの水着っていうの、こんなに好きなものないな」シビルは大きく目を見開いて相手を見つめ、それから少し突き出た自分の腹に視線を落とすと「これは黄色よ」と、言った「これはキイロ」「そうかい?もちょっとこっちへ来て」シビルは一歩前に進み出た。「本当に君の言うとおりだ。ぼくはオバカサンだねえ」

p151《エズミに捧ぐ》
「この子ったらとてもお利口なこともあるし、そうでないときもあるんです」

※キャッチャーインザライ(夏休みの課題)
僕はときどき実際の年齢よりずっと子供っぽく振る舞っちまうんだよ。僕は 当時16歳で、今では17歳なんだけど、 よく13歳の子供がやるみたいなことをしちゃったりする。これは実に皮肉な話で。だって僕は6フィート2インチ半もあって、白髪が生えてんだから。嘘じゃないんだよ。頭の中片一方の側は ー 右側だけどさ ー 白髪がいっぱい、ゴマンと生えてんだ。子供の頃からずっとこうなんだよ。それでいながら、今でも、ときどき12ぐらいの子供みたいなことをやるんだからな。みんなからそう言われるんだ。特に親父からね。それも、いくらかはその通りなんだが、(たしかにある一面としては真実なんだが)しかし、全くその通りってわけのもんじゃない。僕としちゃ適当に聞き流してはいるんだけど、それにしても、大人ってのは、いつだって、全く自分たちの言う通りと思うものなんだ。こっちは知っちゃいないやね。ただ、年相応にふるまえって大人から言われると、ときどき、うんざりするよね。僕だって場合によっちゃ、年齢よりもずっと大人びた行動をとることもあるんだ。嘘じゃなくてさ。ところがみんなそういうのには目を留めてくれない。人って肝心な所はまるで見てないんだよな。

p154《エズミに捧ぐ》
「父は古文書の収集家なんです。-もちろん、アマチュアですけれども」

p205《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
わたしは『ハーバード古典叢書』を一揃い買い込んだ。

p154《エズミに捧ぐ》
「ひとつの壁が隣の壁になんて言ったか?」甲高い声で、彼はそう言った「なぞなぞだよ!」私は考えにふけるように目玉をぐるぐる動かしながら天井を睨んだ。そしてその問題を口に出して繰り返した。それから、チャールズに当惑げな顔を向け、降参だと言った。
「『角のところで会いましょう』じゃないか!」とたんに最高の音量で、傑作な答えがとんできた

p205《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
わたしは午前中から昼過ぎまで、四十八丁目通りとレキシントン街との角にある美術学校に-少なくとも身体だけは-出席していたが、この学校がわたしは嫌いだった

p157《エズミに捧ぐ》
エズミは立ち上がると「イル・フォ・ク・パルト・オーシ(わたしもおいとましなきゃ)」吐息をつきながら、そう言った「あなた、フランス語ご存じ?」

p204 《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
わたしは少々身をかがめるだけの労さえ取らず、すなわちこの運チャンのように人には聞かせぬように、あくまで礼節を守ってという配慮すら示さずに、フランス語で彼に言ってやったのだ-彼は粗野で、愚鈍で、横柄な低能であり、わたしがいかに彼を嫌悪するか、とうてい彼には見当もつかないであろう、ということを。

p70《対エスキモー戦争の前夜》
「しみったれ」という言葉を口にするくらい腹を立ててはいたのだが、ことさらそこに力を入れていうだけの度胸はない。

p139 (キャッチャーインザライ)
手袋を手にしっかと持ったぐらいにしてんだけど、腹の中じゃ、こいつの顎に1発くらわすかどうかすべきとこだ-こいつの顎を砕いてやるべきとこだ、なんて思ってんだな。ただ、そいつをやるだけの度胸がないってわけだ。黙ってそこに突っ立って、すごんで見せるのが関の山。

p157《エズミに捧ぐ》
私は、悔恨と困難と、ふたつながら入り混じった複雑な気持ちを味わいながら、椅子から立ち上がった。エズミと私は握手を交わした。彼女の手は、予測したとおり、掌がしっとりとして、いかにも神経の細かそうな手だった。私は彼女が同席してくれて、どんなに楽しかったかしれないと、英語で言った。

p84《大エスキモー戦争の前夜》
「いや、ひどいんだな。ぼくのアパートに同居してた奴だけどね、何ヶ月も何ヶ月も何ヶ月も-口にするのもいやだな、あんな奴のこと。…作家だか何だか知らないけど」彼はこの最後の所をいとも満足げに力を入れてつけ加えた。おそらくヘミングウェイがその小説の中でいつも蛇蝎のように扱う作家というものの像を思い浮かべたのであろう。
「何をしたっていうの、その人」
「率直に言ってぼくは、あまり具体的なことには触れたくないんだけどね」青年はそう言うと、テーブルの上に透明な煙草のケースが置いてあったのに、わざわざ自分の袋から一本取り出し、自分のライターで火をつけた。その手は大きな手だった。が、逞しくもなければ器用そうでもないし、敏感そうにも見えぬ。それなのにその手の動作には、手が美しい仕草をしたいという欲求に駆られてひとりでに動いてしまうといったような、美的効果を狙ったしながいちいちついて回った。

p207《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
最近妻を失って間もなく南フランスのささやかな屋敷を後にしてこのアメリカに渡り、目下ある病気療養中の親戚のもとに滞在している(この滞在が一時的なものであることをわたしは強調しておいた)。

p159《エズミに捧ぐ》
チャールズが先頭に立ち、片方の足がもう一方の足より数インチ短い人みたいに、ひどいびっこを引きながら歩いてゆく。

p223 《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
それは派手やかな色で仕上げた水彩画で、「彼らのあやまちを免せ」(訳注マタイ伝六章十四節より)というタイトルがついている。小さな男の子が3人、池ともつかず沼ともつかぬ何とも面妖な水辺で釣りをしているところだが「魚釣り厳禁」と書いた立ち札の上に一人の子の上着がひっかけてある。前景にいる1番背が高い子は片方の脚がくる病にかかり、もう一方の脚は象皮病にかかっているように見える-この子が少し両脚を開いて立っている感じを出そうとして、ミス・クレーマーが意識的に用いた技法に相違ない。

p81(ゾーイー)
Sは僕に向かってにこやかな笑顔を向けながらかぶりを振って、利口というのは僕の痼疾、僕の義足だ、こいつを指摘してみんなの注意をそこに向けさせるのは最大の悪趣味であると言ったな。びっこ同士だ、ゾーイ君、お互い丁重親切にしようではないか。愛を込めて B

p161《エズミに捧ぐ》
「さよなら」と、エズミは言った「お身体の機能がそっくり無傷のままでご帰還なさいますように」

p162《エズミに捧ぐ》
だが彼は、すべての機能を無傷のままに戦争をくぐり抜けてきた青年ではなかった。それで、いま彼は、1時間以上も前から、同じ文節を3度ずつ繰り返しながら読んできたのだけれど、今度はそれを文章ごとに切って、同じ文章を3度ずつ繰り返し読んでいるところであった。

p161《エズミに捧ぐ》
これからが、その凌辱的なところ、あるいは感動的なところというわけだけれど、場面はここで一転する。人物も変わる。私は依然として登場するけれど、これから以後は、私の口から明らかにすることを許されない理由によって巧妙に扮装してしまっているので、どんなに慧眼な読者でも私の正体を見抜くことはできないだろう。

p60 (ゾーイー)
その手紙の文体だが、これが、語り手であるこの私の文体というか書き癖というか、それと偶然の相似などといってはなかなかすまされないまでの似通いを持っていると言われるのだ。だから一般読者は、一足とびにこの手紙の筆者と私とが同一人物であるという性急な結論を下されるであろう。下されても仕方がないし、また、下されるのが至当かもしれぬ。しかし、ここから先は、このバディ・グラースを三人称のままにしておこうと存ずる。彼をそこから引き出す正当な理由は、少なくとも私には、何一つ見当たらないからである。

p162 《エズミに捧ぐ》
舌の先でちょっと押しただけでも歯茎から血が流れ出すので、その具合を試してみずにはおれなかったのである。それは時によって何時間も続く、彼のささやかな遊戯であった。

p209《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
それから聳え立つような乳房をした娘たちが、浮世の悩みなどつゆ知らぬげに波乗り板に笑い興じている姿-こうした彼女らの幸福も、つまりはアメリカの通弊とも言うべき歯茎の出血、顔のしみ、醜い髪の毛、そして不適当ないし不十分な生命保険から十二分に保護されていればこそというわけだ。

p167 《エズミに捧ぐ》
彼のところには、彼女から、かなりきちんと手紙が来ていたが、三重の感嘆符が付いたり、的外れな考察があったりして、筆者がこの世とも思えぬ楽園に住んでることを思わせる手紙であった。

p113 (他人)
太ったマンションの守衛が片手に煙草を持って、パーク・アベニューとマディソン・アベニューの間の歩道でフォックステリアを散歩させている。
ベイブは思った。あの人はバルジの戦い(訳注一九四四年十二月から翌年一月、ドイツ軍最後の大反撃)の時も毎日、あの犬を散歩させていたんだろうか。まさか。ありえない。いや、ありえなくはないけど、ありえないだろう。

p55 (最後の休暇の最後の日)
「ベイブ、会えてよかった。呼んでくれてありがとう。兵隊同士-とくに気の合う相手は-かけがえのない仲間だからな、この頃は。国にいる連中といてもしょうがない。連中は、我々の知っていることを知らないし、我々は連中の知っていることとは縁がない。話が合うわけないよな」ベイブはうなずき、タバコを吸った。
「本物の友情を知ったのは軍隊に入ってからなんだ。きみはどうだった、ヴィンセント?」
「まったく同じだ。友情ほどありがたいものはない。まあ、おおむね、そうだ」

p56 最後の休暇の最後の日
「父さん、偉そうに聞こえるかもしれないけれど、父さんは先の大戦のことを話す時-父さんたちの世代はみんな同じで-ときどき、戦争は泥まみれになってやる荒っぽいスポーツみたいなもので、自分たちはそれをやって大人になったみたいな言い方をするよね。生意気に聞こえるかもしれないけれど、父さんたち、先の大戦で戦った人たちはみんな、戦争は地獄だということはわかっている、わかっているのに-なぜかわからないけど-みんな、従軍したことで少し優越感を覚えているようにみえるんだ。たぶん、先の大戦に行ったドイツ人も同じように話したり、考えたりしてるんだよ。だからヒトラーが今度の大戦を起こそうとした時、ドイツ軍の若者たちは、自分たちだって親の世代と同じくらい、いや、それ以上に立派にやれるってことを証明しようと頑張ったんじゃないかな」ベイブは気詰まりになって、言葉を切った。「もちろんこの戦いは正しいと信じているんだ。もしそうでなかったら、良心的兵役拒否をして、戦争が終わるまで収容所で斧で木を切ったりしているよ。ナチやファシストや日本人を殺すのは正しいと。だって、そう考えるしかないんだから。だけど、心から信じている事がひとつあるんだ。これほど堅く信じた事はないってほどにね。それは、いま戦ってる者も、これから戦うものも、戦いが終わったら、口をつぐみ、どんな形であれ、戦争の事を話してはならないという事だ。死者はそのまま死なせておけばいい。死者を起こしてよかったことなんて一度もなかった」ベイブはテーブルの下で左手を握りしめた。「もしアメリカ人が帰還して、ドイツ人が帰還して、イギリス人が帰還して、、日本人もフランス人もほかの国の人も帰還して、みんながしゃべったり、書いたり、絵に描いたり、映画を作ったりし始めたらどうなると思う?あいつは英雄だった、ゴキブリがいた、塹壕を掘った、血まみれになったとか。そうなったら、未来の若者はまた未来のヒトラーにのせられてしまうに決まっている。若者が戦争をばかにしたり、歴史の本に載っている兵士の写真を指差して笑ったりしたことはいままでなかった。もしドイツの若者が暴力を馬鹿にすることを覚えていたら、ヒトラーだってひとり孤独に野心を温める以外になかったと思う」

p79《対エスキモー戦争の前夜》
「オハイオで何してたのよ」
「おれか?飛行機工場で働いてたのさ。チキショウメ」
「ホント」とジニーは言った「つらくなかった?」
「つらくなかった?」相手はジニーの口調をそっくりそのままに繰り返した「とっても面白かったわよ。飛行機って素敵なんだもん。すごーくイカすわ」

p87 《対エスキモー戦争の前夜》
「あなたもやっぱし飛行機工場で働いていたの?」
「そう。何年も何年も何年も。その話、よそうよ、頼むから」

とここでちょっと閑話休題。閑話休題だと本筋に戻ることだからこの場合は何と言ったらいいんだ?本題閑話?休って入ってるとニュアンス的に小休憩入れましょーって感じするけど、。やっぱ、ちょっと書き続けていると気になるポイントが貯まりだして私の自我が喋らせてくれーって疼きだすンゴね。ここらでお気にポイント使って話繰り広げてこうとおもう。んだったらここで切るのが最適ンゴ٩( ᐛ )و
もしかしたら、何でこんな風に並べてるかワカンナインゴ〜というンゴ族がぼちぼち誕生してるかもだから、ここら辺でちょっと例みたいな感じで実際に一箇所摘んで私がこれ書きながら作り上げてた妄言をここで熱く語っていくね。あ、先に言っとくけどちんちんはもう出てこないよ。楽しみに待っててくれてた人ごめんね。もしかしたら、なんだよー、ちんちん出ないのかよー。ってここで読むのをやめちゃう人がいっぱいいるかもしれないけれど、一様ちんちんと同じぐらいの高みにまでは到達していきいとは思っているから、もうちんちんは出てこないけど、出てこないの中に抽象的にでも『ちんちん』を感じてくれると嬉しいな。そんで、あわよくばンゴ族のみんなにはちんちんのその上、ゆずの虹みたいに超えてってほしいな。下から僕が押し上げるんで。つーことで、切ったとこから取りあげて話していこうかな。

p79《対エスキモー戦争の前夜》
「オハイオで何してたのよ」
「おれか?飛行機工場で働いてたのさ。チキショウメ」
「ホント」とジニーは言った「つらくなかった?」
「つらくなかった?」相手はジニーの口調をそっくりそのままに繰り返した「とっても面白かったわよ。飛行機って素敵なんだもん。すごーくイカすわ」

p87 《対エスキモー戦争の前夜》
「あなたもやっぱし飛行機工場で働いていたの?」
「そう。何年も何年も何年も。その話、よそうよ、頼むから」

はい。ここはねえ戦争の話ではないけど、p56 最後の休暇の最後の日の所で、戦争に行った人たちは絶対戦争の話をしないでねーってベイブが言ってたから、この人たちも戦争ではないけれど飛行機工場で働いてた時の、おそらく辛かったであろうお話はしてないなーっていうので次に書いたよ。なんで戦争の話をしちゃいけないのかについての説明もまた別の箇所にあるんだけど、そこまで書いちゃうと、注釈の注釈みたいになっちゃって本流の流れが分かりづらくなるかもなーと思ってここでは割愛させてもらった。そこは説明の方が出てきたときにちゃんと合わせて書こうと思てるので安心されたし。
あと、その前の

p167 《エズミに捧ぐ》
彼のところには、彼女から、かなりきちんと手紙が来ていたが、三重の感嘆符が付いたり、的外れな考察があったりして、筆者がこの世とも思えぬ楽園に住んでることを思わせる手紙であった。

ってところも、もしこういう人が相手だったら、どういう態度になってしまうだろうかー?と考えたら、内容は戦争と飛行機工場と違うけど態度としては

p79《対エスキモー戦争の前夜》
「オハイオで何してたのよ」
「おれか?飛行機工場で働いてたのさ。チキショウメ」
「ホント」とジニーは言った「つらくなかった?」
「つらくなかった?」相手はジニーの口調をそっくりそのままに繰り返した「とっても面白かったわよ。飛行機って素敵なんだもん。すごーくイカすわ」

p87 《対エスキモー戦争の前夜》
「あなたもやっぱし飛行機工場で働いていたの?」
「そう。何年も何年も何年も。その話、よそうよ、頼むから」

やっぱりこういう態度をとるのが1番しっくりくるかなーと思ってここをチョイスした。
それプラスサリンジャーの匠としてはその後に

p167 《エズミに捧ぐ》
彼のところには、彼女から、かなりきちんと手紙が来ていたが、三重の感嘆符が付いたり、的外れな考察があったりして、筆者がこの世とも思えぬ楽園に住んでることを思わせる手紙であった。

の部分からヒントを得つつ反対に変形させて

人を寄せ付けず、はなっから相手にしていない彼のその態度には、まるで彼がこの世とも思えぬ地獄を垣間見てきたということが、言葉や態度の裏にでも秘められている、とでも言いたげな雰囲気が言わずもがなにも前面に押し出されていた。

みたいな文を付け加えたら分かりやすいかもなーとも思った。でもこれ難しいしめんどくさい!おれのぼきゃぶらりーがもっとスーパーだったらもっとサリンジャーっぽい言葉の羅列がうまれるはずだが、まあそのような事が付け加えたくなるよってことがここでは言いたいかったンゴ٩( ᐛ )و
んで、こういうのに特化してやったのがアックリーコールフィールド。あれは言っちゃえばサリンジャーの文の並べ替えつつ移し書きというよりかはほぼほぼ僕のオリジン。だからあんな変な文はサリンジャーの本どこ読んでも書いてないデフ。サリンジャーの本のほうではあの場面はホールデンの視点から書かれてあるからね。それを僕がこれをアックリーの視点にしてホールデンの思考で書いたら面白くなるんじゃね?ってして書いた実験的プロジェクトなのら。だからアックリー・コールフィールド。でもいくらぼくの勝手な創作と言ってもその中でもルールがあってだね。それが今みたいな、自分が入り込まないようにするために極力文の形自体は本文の形から拝借する事。で、どうしてもない時は、〜のような言葉が入るでしょう。と適当に振り当てて書いた。だから

サリンジャー キャッチャーインザライ(アックリーコールフィールド)
それはあいつがすっかり自分に惚れこんでるからなんだ。まるで自分が西半球第一の天才だとでも思ってる感じなんだよ。そりゃなかなか賢くはあったよ。しかし、奴はだな、生徒の親たちが学校の成績順位表を見て、「この子は誰?」とすぐそう言ったりなんかする、そういうタイプの天才ではないんだな、だいたいにおいて、つまり、優等生向きではないんだ。ペンシーには、ぼくの考えじゃ、ホールデンよりもずっと成績がいいと思われる奴がいっぱいいたけど、そいつらは実際に会って話をしてみると、賢い奴とはまったく思えないんだよ。つまんなかったり、話がうまく噛み合わなかったりね。そんな経験は珍しくないからな。だけどホールデンの賢さってのはそいつらとは種類が違うのさ。やつの賢さってのは一見したところではなんでもないんだが、俺みたいにあいつを知っている人間に言わせれば、あいつほど話しがいのある奴は学校中何処を探しても見当たらないんだな。そいつは僕も認めないわけにはいかないさ。

の部分はその時流れてる物語に沿うように

p45 サリンジャー キャッチャーインザライ
ストラドレーターのだらしなさは、もっと人目につきにくいんだよ。一見したところでは、なんでもないんだ、ストラドレーターってのは。しかし、たとえばだよ、あいつが髭を剃る剃刀を見てみるがいい。いつもすごくさびててだね、石鹸の泡だとか毛だとかなんとかが、いっぱいくっついてんだ。ちゃんと身なりを整えたあいつを見ると、いつだってきれいに見えはするよ。しかし、僕みたいにあいつを知ってる人間に言わせれば、人目につかないながら、やっぱりだらしのない人間に変わりはないね。あいつがどうしてきちんと見えるように身なりを整えるかというとだな、
それはあいつがすっかり自分に惚れ込んでるからなんだ。自分で西半球第1の美男子と思ってやがんだよ。そりゃなかなかの美男子ではあった。そいつは僕も認めるさ。しかし、奴はだな、生徒の親たちが、学校の年鑑の写真を見て、「このこは誰?」と、すぐそう言ったりする、そう言う種類の美男子なんだな、だいたいにおいて。つまり、年鑑向きの美男子なんだよ、だいたいにおいて。ペンシーには、僕の考えじゃ、ストラドレーターよりもずっと美男子だと思われるのがいっぱいいたけど、そいつらは、年鑑の写真で見ると、美男子に見えないんだよ。鼻がでかいように見えたり、耳が突き出してるように見えたりね。そんな経験は珍しくないからな。

本文のこの部分から形を拝借して単語を変えながらはめ込んでいって繋げたってわけよ。でも、反対にしたりはめ込んだりできればそれでいいんだけど、どうしようもない部分もあるじゃん。この文だとカッコウィーみたいな文の形を頭ウィーにに言い換えて書かなきゃならんわけで、そうすると、例えば、鼻がでかいように見えたり、耳が突き出してるようにみえたりね。ってとこを頭ウィーには、鼻も耳もでてこないから無理じゃん。だからここでは、みたいな事を当てずっぽうで書くしかなくなんの、なんでぼくの場合にはそこを、つまんなかったり、話がうまく噛み合わなかったりね。に変えてたのね。たぶんそのような言葉が入るでしょう。という事で。んで、本日、この本文の振り返りをしている最中に、わたくし、この箇所にお入りになるべき単語を本文の方から見つけてまいりました!それはーーー

p192 キャッチャーインザライ
気がどうにかなりそうなくらい退屈な男だったのに

と、

p223 キャッチャーインザライ
彼には僕を相手に真面目な話をする気がないことが明らかだった。そこがこういう頭のいい連中の困った点なんだ。

だーーーーー!

ニュアンスとしてはほぼ合ってたンゴ٩( ᐛ )و

なので、本日から私色が消えてここは

サリンジャー キャッチャーインザライ(アックリーコールフィールド)
それはあいつがすっかり自分に惚れこんでるからなんだ。まるで自分が西半球第一の天才だとでも思ってる感じなんだよ。そりゃなかなか賢くはあったよ。しかし、奴はだな、生徒の親たちが学校の成績順位表を見て、「この子は誰?」とすぐそう言ったりなんかする、そういうタイプの天才ではないんだな、だいたいにおいて、つまり、優等生向きではないんだ。ペンシーには、ぼくの考えじゃ、ホールデンよりもずっと成績がいいと思われる奴がいっぱいいたけど、そいつらは実際に会って話をしてみると、賢い奴とはまったく思えないんだよ。気がどうにかなりそうなくらい退屈だったり、真面目な話をする気になれなかったりね。そんな経験は珍しくないからな。だけどホールデンの賢さってのはそいつらとは種類が違うのさ。やつの賢さってのは一見したところではなんでもないんだが、俺みたいにあいつを知っている人間に言わせれば、あいつほど話しがいのある奴は学校中何処を探しても見当たらないんだな。そいつは僕も認めないわけにはいかないさ。

となりまして本来のサリンジャーへと尚グッと距離を縮めましたね㊗️

他にもこれ使えそうみたいな文も何箇所かみつかつたので、そのうちにそれらも合わせてこのnoteの中の文も変えていければと思っております。

気が向いたらね。今日はしない!

あとはーさっきのひとつ前の文に戻ると、

人を寄せ付けず、はなっから相手にしていない彼のその態度には、まるで彼がこの世とも思えぬ地獄を垣間見てきたということが、言葉や態度の裏にでも秘められている、とでも言いたげな雰囲気が言わずもがなにも前面に押し出されていた。

ってここのこだわりはねえ、「とでも言いたげな雰囲気が、言わずもがなにも前面に押し出されていた。」って喧嘩腰にしてみたところらね🤛
いやね、可哀想な目にあったんだからね、言葉や態度の裏に秘められているようでもあった。とか同情風にも出来たんよ?でもさ、ちょっと待てと、元の手前さんの文を見返そうやと、

p167 《エズミに捧ぐ》
彼のところには、彼女から、かなりきちんと手紙が来ていたが、三重の感嘆符が付いたり、的外れな考察があったりして、筆者がこの世とも思えぬ楽園に住んでることを思わせる手紙であった。

と、なんかトゲのある書き方がしてあるじゃん?
この元の文を拝借したのだからその意思も汲み取らなくてはなと、ということで、ちゃんと喧嘩腰にした🤛
おれくらいのサリンジャーの匠になってくるとそういう文上にまで会話つーか関係性っていうの考慮するもうクセがついちゃってるンゴ٩( ᐛ )و

そんな文上での会話が如実に現れ出てるのがこのところ

4科目(おっことしちゃって)それでもやる気を出さなかった。
身を入れて勉学に励むようにという警告を(さんざん)僕は受けていた

4科目落第点を(とりながら)しかも勉強する気がない。(とかいいやがんだな)
勉強しろと言う注意は(ちょいちょい)うけてたんだけどね

この2つのキャッチャーインザライの訳文ですがね。ここで私が気になったのはなぜ(さんざん)が(ちょいちょい)になったんだろう?という事で、ここで僕が苦悩の末至った結論はというと(とかいいやがんだな)っていうちょっと無駄な語が入ってる、し、そして落第点を取りながら、ってとこは仮にも取りながらなんで、おっことしちゃってよりはプラスなイメージがある。なので、(さんざん)を(ちょいちょい)で薄めたのかな?という結論を出しました。もし仮に(とかいいやがんだな)がなかったら(ちょいちょい)もなかったかもしれない。そして(とりながら)が(おっことしちゃって)になったら消えた(ちょいちょい)の所に(ぜんぜん)がきたかもしれない…というその辺から文同士を考慮して比較しつつお互いを尊重し合うということ覚えました

と、いうのは嘘で元々の二つの訳文にはなんの法則性もなく、ランダムに並んでただけだけど、僕はこれを組み入れながらひとつにまとめて文にするという事をしてたんで、これもしや?そんな配慮がなされているのか?と思い並べ替えて、元の文と照合してみたところ、単なる偶然の産物だった。サリンジャー関連ではこういう幻想みたいなのよく起こる。思い出せない夢の感情だけ起きた後も残ってるみたいなのが。それが何によって引き出されたかはディメンターに抜き取られてて、確信よここに帰ってこい!みたいな事が。ただ、これはこう並べたくなる気持ち分かるよね?と同じ内容の文の中での尊重し合うって遊び心あっておもしろいなと思った次第であります

よし、ここまでで言いたいことは言ったので本文に戻るンゴ٩( ᐛ )و

p169 《エズミに捧ぐ》
「あいつがなんて言ったと思う?戦争とかなんとかいうもんだけじゃ誰も神経衰弱にはならねえってさ。おめえはたぶん、前からずっと不安定なとこがあったんじゃねえかって、そう言うんだな」

※キャッチャーインザライ (夏休みの課題)
それにしてもあの学校じゃ明晰な思考をする優秀なやつなんてただの1人も見かけなかったね。そうだな。2人くらいはちょっとましなのがいたかもしれない。でもせいぜいその程度だよ。2人じゃどうしようもないだろう。それに多分その2人にしたところで、ペンシーに入る前からもともと「ちょっとまし」だったんじゃないのかな。

p176 《エズミに捧ぐ》
こんにちは こんにちは こんにちは こんにちは こんにちは こんにちは こんにちは こんにちは こんにちは こんにちは
アイとセップンをおくります チャルズ

p11 フラニー 
愛の限りを込めて フラニー
キス キス キス キス
キス キス キス キス

エズミに捧ぐ 完

また明日ンゴ٩( ᐛ )و

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