ロイス・タゲットのロングインタビューその他

ロイス・タゲットのロングインタビューその他
・ロイス・タゲットのロングインタビュー

p137(ロイス・タゲットのロングインタビュー)
ところが、突然、ロイスは自分がめちゃくちゃ幸せなことを確信することになった。というのは結婚して間もないある日のこと、ビルがロイスに夢中になったからだ。その日の朝、ビルは仕事に出かけようと起き上がって、ふと隣のベッドをみたとき、それまでとまったく違うロイスをみた。枕に押しつけた顔はむくんで、まさに寝顔そのもので、唇は乾いていた。それまでで最低の顔といってもいい。ところが、その顔をみた瞬間、ビルは彼女に夢中になった。起きがけの顔をみても平気な女は初めてだったのだ。

p138(ロイス・タゲットのロングインタビュー)
彼女をみて、生まれて初めての幸せをかみしめた。飛び上がりたい気分だった。歯を食いしめ、正気とは思えないほどの甲高い幸福の叫びを上げたい気分だった。しかし、それはできなかった。説明のしようがないからだ。まさかロイスにこんなことをいうわかにはいかない。「ロイス、初めて、きみを心からいとしいと思った。いままでは、きみのことをかわいい小娘くらいにしか考えてなかった。結婚したのは金のためだ。だが、金なんてもうどうでもいい。きみこそすべてだ。最高の女性だ。妻だ。かわいくてたまらない。ああ、なんて幸せなんだ」もちろん、こんなことをいうわけにはいかない

(いまどきの若者たち)
「うん。絵とか描くんだよ、彼、アーティストなの。ああやだ!」「どうしたの?」「べつに。ただ、ひとつだけ忘れられないことがあるの!彼があたしの肖像を描きたいって言ったのよ。彼ったらいつもメチャクチャ真面目な顔してね「エドナ、君は伝統的な基準からすれば美しいとは言えない。でも君の顔には僕じゃ表せない素朴な何かがあって、それをつかまえたいんだ」ってむちゃくちゃ真剣にそういうの。

p141(ロイス・タゲットのロングインタビュー)
「ガス、この人はフレッドよ。フレッド、この子はガスっていうの」

(レコードと毛皮と真珠といまどきの若者たち)
「ウィリアム」ルシルは言った。「こちら私の友達のエドナフィリップス。」そして今度はエドナの方を向いて「そしてこちらがウィリアムジェイムソン。それとも、もうお知り合い?」

・他人

p107 (他人)
「ええ、彼が死んだのは朝方でした。われわれは六人で、たき火をしてそのまわりに立ってたんです。ヒュルトゲンの森の中でした。迫撃砲の砲弾が落ちてきたんです。それも突然。あの爆弾はヒューという音も何も聞こえないんです。ヴィンセントと他の三人が被弾しました。彼は三十メートルほど離れた、衛生兵の指揮所のテントで死にました。砲弾にやられて3分も経っていませんでした」ベイブは何度かくしゃみをしてから、続けた。「おそらく。全身が強烈に痛んで、痛いどころか、ただただ闇の中を漂っているような感覚だったはずです。だから痛みは感じていなかったと思います。きっと、そうです。目は開いていて、こっちの顔は見えていて、言葉も聞こえていたはずですが、何もいいませんでした。最後にこんなことをいいました。たき火が消えそうだ、だれかくべる枝を持ってこいよ できれば、若いやつがいい、彼の口調はご存知じでしょう」

p56、57 《コネティカットのひょこひょこおじさん》
「彼の連隊がどっかで休養してたんだ。戦闘の合間かなんかでさ 彼の友達がくれた手紙にそう書いてあったんだ。ウォルトともう1人の兵隊さんとで小ちゃな日本のストーブを荷造りしてたんだな。どっかの大佐殿が記念品として故国へ送るというんだって。それとも包み直すというので箱から取り出すとこだったのかな よくわかんないんだけど、とにかくそのストーブにはガソリンやなんかがいっぱい入ってて、そいつが二人の鼻先で爆発したんだな。もう1人の人は片目失明ですんだけどさ」

p63 《コネティカットのひょこひょこおじさん》
エロイーズはスイッチのところへ歩み寄って電灯を消した。だが彼女はそのまま戸口に長いこと佇んでいた。それから急に、暗い中を、ナイトテーブルに駆け寄った。ベッドの脚に膝をぶつけたけれど、夢中で痛みも感じなかった。彼女はラモーナのメガネを手にとった。そして両手で握りしめて固く頬に押し当てた。涙が溢れ出て、眼鏡のレンズを濡らした。「かわいそうなひょこひょこおじさん」何度も何度も繰り返して彼女はそう言った。それからようやく、眼鏡を元のテーブルの上に戻した、レンズを下にして。彼女をながめると、ふらふらしながらラモーナの毛布をベッドの下にたくし込んでやった。ラモーナは眠っていなかった。彼女は泣いていた。さっきから泣いていたのだ。エロイーズは娘の唇に涙に濡れたキスをすると、目にかぶさっている髪の毛を掻き上げてやり、続いて部屋を出た

p113 (他人)
太ったマンションの守衛が片手に煙草を持って、パーク・アベニューとマディソン・アベニューの間の歩道でフォックステリアを散歩させている。
ベイブは思った。あの人はバルジの戦い(訳注一九四四年十二月から翌年一月、ドイツ軍最後の大反撃)の時も毎日、あの犬を散歩させていたんだろうか。まさか。ありえない。いや、ありえなくはないけど、ありえないだろう。

p167 《エズミに捧ぐ》
彼のところには、彼女から、かなりきちんと手紙が来ていたが、三重の感嘆符が付いたり、的外れな考察があったりして、筆者がこの世とも思えぬ楽園に住んでることを思わせる手紙であった。

p55 (最後の休暇の最後の日)
「ベイブ、会えてよかった。呼んでくれてありがとう。兵隊同士-とくに気の合う相手は-かけがえのない仲間だからな、この頃は。国にいる連中といてもしょうがない。連中は、我々の知っていることを知らないし、我々は連中の知っていることとは縁がない。話が合うわけないよな」ベイブはうなずき、タバコを吸った。
「本物の友情を知ったのは軍隊に入ってからなんだ。きみはどうだった、ヴィンセント?」
「まったく同じだ。友情ほどありがたいものはない。まあ、おおむね、そうだ」

p56 (最後の休暇の最後の日)
「父さん、偉そうに聞こえるかもしれないけれど、父さんは先の大戦のことを話す時-父さんたちの世代はみんな同じで-ときどき、戦争は泥まみれになってやる荒っぽいスポーツみたいなもので、自分たちはそれをやって大人になったみたいな言い方をするよね。生意気に聞こえるかもしれないけれど、父さんたち、先の大戦で戦った人たちはみんな、戦争は地獄だということはわかっている、わかっているのに-なぜかわからないけど-みんな、従軍したことで少し優越感を覚えているようにみえるんだ。たぶん、先の大戦に行ったドイツ人も同じように話したり、考えたりしてるんだよ。だからヒトラーが今度の大戦を起こそうとした時、ドイツ軍の若者たちは、自分たちだって親の世代と同じくらい、いや、それ以上に立派にやれるってことを証明しようと頑張ったんじゃないかな」ベイブは気詰まりになって、言葉を切った。「もちろんこの戦いは正しいと信じているんだ。もしそうでなかったら、良心的兵役拒否をして、戦争が終わるまで収容所で斧で木を切ったりしているよ。ナチやファシストや日本人を殺すのは正しいと。だって、そう考えるしかないんだから。だけど、心から信じている事がひとつあるんだ。これほど堅く信じた事はないってほどにね。それは、いま戦ってる者も、これから戦うものも、戦いが終わったら、口をつぐみ、どんな形であれ、戦争の事を話してはならないという事だ。死者はそのまま死なせておけばいい。死者を起こしてよかったことなんて一度もなかった」ベイブはテーブルの下で左手を握りしめた。「もしアメリカ人が帰還して、ドイツ人が帰還して、イギリス人が帰還して、、日本人もフランス人もほかの国の人も帰還して、みんながしゃべったり、書いたり、絵に描いたり、映画を作ったりし始めたらどうなると思う?あいつは英雄だった、ゴキブリがいた、塹壕を掘った、血まみれになったとか。そうなったら、未来の若者はまた未来のヒトラーにのせられてしまうに決まっている。若者が戦争をばかにしたり、歴史の本に載っている兵士の写真を指差して笑ったりしたことはいままでなかった。もしドイツの若者が暴力を馬鹿にすることを覚えていたら、ヒトラーだってひとり孤独に野心を温める以外になかったと思う」

p79《対エスキモー戦争の前夜》
「オハイオで何してたのよ」
「おれか?飛行機工場で働いてたのさ。チキショウメ」
「ホント」とジニーは言った「つらくなかった?」
「つらくなかった?」相手はジニーの口調をそっくりそのままに繰り返した「とっても面白かったわよ。飛行機って素敵なんだもん。すごーくイカすわ」

p87 《対エスキモー戦争の前夜》
「あなたもやっぱし飛行機工場で働いていたの?」
「そう。何年も何年も何年も。その話、よそうよ、頼むから」

p114、115(他人)
帽子箱を持った背の高いブロンドの女の子が、道路の向こう側を早足で歩いている。広い道路の真ん中あたりで、青いスーツを着た小柄な少年が、座り込んだ子犬を引っぱって、道路を渡り切らせようとしている。

p55《コネティカットのひょこひょこおじさん》
あんた、ウォルト(シーモア)が死んだってこともルーには言わないつもり?」

p58 《コネティカットのひょこひょこおじさん》
両膝をつきテーブルの下をのぞいて煙草を探しながら、メアリ・ジェーンは言った「ねえ、ジミーどうなったか知ってる?」
「知るもんか。そっちのあんよ。そっちよ」
「車に轢かれたんだって。傷ましいじゃない?」
「スキッパーがね、骨くわえてたの」ラモーナがエロイーズに言った。
「ジミーに何があったの?」と、エロイーズは訊いた。
「車に轢かれて死んじゃったの。スキッパーがね、骨くわえてたでしょ、そしたらジミーがね、どうしても-」

p 174(ゾーイー)
最初は断片的に、ついでは全面的に、彼の注意は、いま5階下の向かい側の路上で、作者や演出家やプロデューサーによって妨害されることなしに演じられている、一場の高貴な情景に惹かれていった。私立女学校の前に、かなり大きな楓の木が一本立っている-この幸運に恵まれた歩道の側に立ち並んだ4、5本の街路樹のうちの一つであった-が、そのときちょうど、7、8歳の女の子がその木の後ろに隠れたのだ。女の子はネーヴィ・ブルーの両前の上着を着て、アルルのヴァン・ゴッホの部屋のベッドにかかっている毛布によく似た色調の赤いタモシャンター(訳注スコットランド風のベレー)をかぶっている。好都合なゾーイーの位置から見ると、彼女のタモシャンターは、実際、絵具を落としたように見えなくもないのだ。女の子から15フィートばかり離れた所では、彼女の犬が-緑の革の首輪と紐をつけたダックスフントだが-革紐を長く後ろにひきずったまま、主人を見つけようとして、においを嗅ぎながら、やっきとなってその辺をくるくる駆け回っている。別離の苦悩が彼には耐え難いのだ。そのうちにとうとう彼も主人のにおいを突きとめたけれど、そこへいくまでの時間が短きに失せず、長きにも失しない。再開の喜びはどちらにとっても大きかった。ダックスフントが、かわいい叫び声を上げ、続いて嬉しさに身をよじりながら頭を下げ下げにじり寄ってゆくと、女主人は、彼に向かって何事かを大声に叫びながら、木のまわりにはりめぐらされた針金の柵を急いで跨いでいって、彼を抱き上げた。彼女は彼らだけにしか通じない特別な言葉で数々の賛辞を与えてから、やがて彼を地面に下ろし、紐を拾い上げると二人は嬉々として、五番街とセントラル・パークがある西の方へ歩いていって見えなくなった。反射的にゾーイは窓のガラスとガラスを仕切っている横木に手をかけた。窓を開けて身を乗り出して、小さくなっていく二人の姿を見送ろうと思ったのかもしれない。だが、それが葉巻の方の手だったために、ちょっとためらっているうちに機会は過ぎてしまった。

p324(キャッチャーインザライ)
「行くかもしれないし、行かないかもしれない」
彼女はそう言った。そして、通りを向こう側へいちもくさんに、自動車が来るか見てみもしないで、駆けて行っちまった。彼女は時々気違いみたいになっちゃうんだ。
でも、僕は後を追わなかった。彼女の方で僕の後からついて来ることがわかってたからね。それで僕は、その通りの公園側を、動物園を目指して、ダウンタウンのほうへ歩きだしたんだ。すると彼女も、向こう側の歩道をダウンタウンのほうへ向かって歩きだしたんだ。僕のほうへぜんぜん顔を向けなかったけど、おそらく、目のはしっこから、僕がどこへ行くか、注意して見てるにきまってるんだ。とにかく、僕たちは、そんな格好で、動物園までずっと歩いていったのさ。ただひとつ弱ったのは、二階建てバスがやってきた時で、通りの向こうが見えず、彼女がどこにいるやらわかんなくなった。でも、動物園のとこに来たときに、僕は大きな声でどなったんだ。「フィービー 僕は動物園に入るよ!君もおいで!」彼女はぼくのほうを見ようとしなかったけど、僕の声が聞こえたことはわかってたんで、動物園に入る階段を下りかけながら振り返ってみると、フィービーは、通りを横切って、僕の後をついて来るとこだった。

p83
「どこ出身ですか、軍曹?-腕がぬれてますよ」
また腕を引っこめる「ニューヨークだ」
「ぼくもです!ニューヨークのどこです?」
「マンハッタン。美術館から二ブロック離れたところだ」
「ぼくはヴァレンタイン・アヴェニューに住んでるんです。知ってますか?」
「ブロンクスかい?」
「はずれ!ブロンクスのそばですけど、ブロンクスじゃありません。あそこもマンハッタンなんです」
ブロンクスそばだが、ブロンクスじゃない、か。覚えておこう。

p27 《バナナフィッシュにうってつけの日》
「コネティカット州ホーリーウッドか」と、青年は言った。「ひょっとしたら、そいつはコネティカット州ホーリーウッドの近くじゃないか?」シビルは彼を見やった。「そこがそのまんまあたしの住んでるとこよ」

p51 (最後の休暇の最後の日)
「『リディア・ムア』に出てる男の人?」マティが聞いた。
「いや、リディア本人さ。そのために、ひげはそっちゃったんだ」

p283 (キャッチャーインザライ)
「バッファローから来た女房の友達仲間とさっきまでいっぱいやってたとこなんだ……バッファローから来たというよりバッファロー(野牛)そのものだな、実をいうと」

・最後の休暇の最後の日

p55 (最後の休暇の最後の日)
「ベイブ、会えてよかった。呼んでくれてありがとう。兵隊同士-とくに気の合う相手は-かけがえのない仲間だからな、この頃は。国にいる連中といてもしょうがない。連中は、我々の知っていることを知らないし、我々は連中の知っていることとは縁がない。話が合うわけないよな」ベイブはうなずき、タバコを吸った。
「本物の友情を知ったのは軍隊に入ってからなんだ。きみはどうだった、ヴィンセント?」
「まったく同じだ。友情ほどありがたいものはない。まあ、おおむね、そうだ」

p79《対エスキモー戦争の前夜》
「オハイオで何してたのよ」
「おれか?飛行機工場で働いてたのさ。チキショウメ」
「ホント」とジニーは言った「つらくなかった?」
「つらくなかった?」相手はジニーの口調をそっくりそのままに繰り返した「とっても面白かったわよ。飛行機って素敵なんだもん。すごーくイカすわ」

p87 《対エスキモー戦争の前夜》
「あなたもやっぱし飛行機工場で働いていたの?」
「そう。何年も何年も何年も。その話、よそうよ、頼むから」

p113 (他人)
太ったマンションの守衛が片手に煙草を持って、パーク・アベニューとマディソン・アベニューの間の歩道でフォックステリアを散歩させている。
ベイブは思った。あの人はバルジの戦い(訳注一九四四年十二月から翌年一月、ドイツ軍最後の大反撃)の時も毎日、あの犬を散歩させていたんだろうか。まさか。ありえない。いや、ありえなくはないけど、ありえないだろう。

p167 《エズミに捧ぐ》
彼のところには、彼女から、かなりきちんと手紙が来ていたが、三重の感嘆符が付いたり、的外れな考察があったりして、筆者がこの世とも思えぬ楽園に住んでることを思わせる手紙であった。

p56 (最後の休暇の最後の日)
「父さん、偉そうに聞こえるかもしれないけれど、父さんは先の大戦のことを話す時-父さんたちの世代はみんな同じで-ときどき、戦争は泥まみれになってやる荒っぽいスポーツみたいなもので、自分たちはそれをやって大人になったみたいな言い方をするよね。生意気に聞こえるかもしれないけれど、父さんたち、先の大戦で戦った人たちはみんな、戦争は地獄だということはわかっている、わかっているのに-なぜかわからないけど-みんな、従軍したことで少し優越感を覚えているようにみえるんだ。たぶん、先の大戦に行ったドイツ人も同じように話したり、考えたりしてるんだよ。だからヒトラーが今度の大戦を起こそうとした時、ドイツ軍の若者たちは、自分たちだって親の世代と同じくらい、いや、それ以上に立派にやれるってことを証明しようと頑張ったんじゃないかな」ベイブは気詰まりになって、言葉を切った。「もちろんこの戦いは正しいと信じているんだ。もしそうでなかったら、良心的兵役拒否をして、戦争が終わるまで収容所で斧で木を切ったりしているよ。ナチやファシストや日本人を殺すのは正しいと。だって、そう考えるしかないんだから。だけど、心から信じている事がひとつあるんだ。これほど堅く信じた事はないってほどにね。それは、いま戦ってる者も、これから戦うものも、戦いが終わったら、口をつぐみ、どんな形であれ、戦争の事を話してはならないという事だ。死者はそのまま死なせておけばいい。死者を起こしてよかったことなんて一度もなかった」ベイブはテーブルの下で左手を握りしめた。「もしアメリカ人が帰還して、ドイツ人が帰還して、イギリス人が帰還して、、日本人もフランス人もほかの国の人も帰還して、みんながしゃべったり、書いたり、絵に描いたり、映画を作ったりし始めたらどうなると思う?あいつは英雄だった、ゴキブリがいた、塹壕を掘った、血まみれになったとか。そうなったら、未来の若者はまた未来のヒトラーにのせられてしまうに決まっている。若者が戦争をばかにしたり、歴史の本に載っている兵士の写真を指差して笑ったりしたことはいままでなかった。もしドイツの若者が暴力を馬鹿にすることを覚えていたら、ヒトラーだってひとり孤独に野心を温める以外になかったと思う」

p202 (ハプワース)
この美しく腹立たしい世界で何かを尊重すべき確固たる事実と呼ぶという、じつに疑わしげな満足を得るためには、ぼくたちは機嫌のいい囚人のように、目や手や耳や、単純で哀れな頭脳から提供される頼りない情報を百パーセント信用する以外ない。そんなものが価値基準の確固たる基準になるんだろうか?冗談じゃない!確かにそれは間違いなく感動的なものではあるけど、確固たる基準になるわけがない。それは、哀れな人間の感覚器や頭脳を盲信することにほかならない。「仲介人」という言葉があるけど、人間の脳は有能な仲介人だ!そしてぼくは、この世の仲介人は一切信用しないよう生まれついた。たしかに、不幸なことだと思うけど、このことについての楽しい真実とやらはこれっぽっちも語る気になれない。ところが、ここで、愚かなぼくの胸のなかにいつもある不安の確信にぐっと近づくことになる。ぼくは仲介人とか、個人的見解とか、尊重すべき確固たる事実とかは全く信じてないくせに、正直いうと、どちらも度を越して好きなんだ。ぼくはどうしようもなく感動してしまうんだよ。とびきり素晴らしい人たちが、この魅力的で当てにならない情報を、人生の哀れな瞬間瞬間に受け入れているその勇気にね!ああ、人間って本当に勇敢な生き物だと思う!地上最後の哀れな卑怯者さえ、言葉では言い表せないくらい勇敢だ!人間の当てにならない感覚器や脳を、魅力的で表面的な価値そのままに受け取るんだから!そして同時に、これは間違いなく、悪循環だ。ぼくは悲しいけど、もし誰かがこの悪循環を断ち切ったら、それは全人類への親切で永続的な贈り物になると思う。だけど、人はしばしば、そんなことを急ぐ必要はないと考えてしまう。人は、このデリケートな問題を考えるときほど、自分が愛している魅力的な相手から遠ざかることはない。

p232 (ハプワース)
それから、面白そうで、つまらない本を二冊、簡単に包んでいっしょに送ってほしい。そうすればほかの-男女を問わず、天才、秀才、卓越した控えめな学者による-本をけがさないですむからね。アルフレッド・アードンナの『アレキサンダー』とシオ・アクトン・ボームの『起源の思索』がいい。父さん母さん、あるいは図書館のぼくの友人でもいいから、無理のない程度で、なるべく速く、暇なときに郵便で送って。どちらもつまらない、ばかばかしい本なんだけど、これをバディに読んでほしいんだ。現世で初めて、来年学校に入る前にね。ばかばかしい本だからといって、はなからばかにしちゃいけない!あまり気の進まない、いやな方法だけど、バディみたいな才能豊かな子に、日常の愚かさやつまらなさを直視させるための最も手っ取り早い方法は、おもしろそうで、愚かで、つまらない本を読ませることなんだ。二冊の無価値な本をさりげなく渡せばきっと、口をつぐんだまま、悲しみや激しい怒りのにじんだ声をきかせることなく、こう伝えることができる。「いいかい、この二冊の本はどちらも、それとなく、上手に感情をおさえて、目立たないようにしてあるけど、芯まで腐りきっている。どちらも有名なにせ学者が書いたもので、ふたりとも読者を見下して、利用してやろうという野心を心密かに抱いている。この二冊を読んだときは、恥ずかしさと怒りで涙がにじんだ。あとは何も言わずに、この二冊を渡すことにする。これは神さまがくださった見本、それも腐りきった呪わしい知性と、見せかけだけの教育の見本だ。才能も人間的洞察もない駄作だ」バディには、ひと言だって余計な注釈を付け加える必要はない。この言葉もまた辛辣かな?辛辣じゃないといったら、それこそ、冗談をいうなと笑われるだろう。とても辛辣だよね。だけど、逆に言わせてもらうと、父さんはこういった連中の危険に気づいてないのかもしれない。ひとつはっきりさせるために、ざっと手短に、アルフレッド・アードンナのほうを検討してみよう。彼はイギリスの有名大学の教授で、アレキサンダー大王の評伝を、分量は多いけど、ゆったり読みやすい文章で書いた。そしてしょっちゅう言及するのが、自分の妻。彼女も有名な大学の優秀な教授だ。それからかわいい犬のアレキサンダー。あと、彼の前任者であるヒーダー教授。この人も長いことアレキサンダー大王の研究で生活していた。このふたりは長年、アレキサンダー大王をうまく利用して-金銭的な面ではどうか知らないけど-名誉と地位を得た。それなのに、アルフレッド・アードンナはアレキサンダー大王を愛犬アレキサンダーと同程度に扱っている!ぼくはアレキサンダー大王も、その他のどうしようもない軍人もあまり好きじゃないけど、アルフレッド・アードンナはひどい。だって、さりげなく、不当な印象を読者に与えようとしているんだから。要するに、自分の方がアレキサンダー大王より優れているといわんばかりなんだ!それも、自分と、妻と、ついでに愛犬が居心地のいい場所にいてアレキサンダー大王を搾取し利用しているからできることだっていうのに。アレキサンダー大王がいたということに、これっぽっちも感謝していない。いまの自分があるのは、アレキサンダー大王を好きなように、うまいこと使う特権を得られたからだというのに。ぼくがこのインチキ学者を非難するのは、彼がいわゆる英雄や英雄崇拝を嫌っていて、わざわざ一章をアレキサンダーと、彼に匹敵するナポレオンに当て、彼らが世界にどれほどの害悪と無意味な血を流してきたかを示しているからじゃない。この論点はぼくも、正直いって、大いに共感できるからね。そうじゃなく、こんな大仰で、平凡な章を書くなら、せめて次の二点はおさえておいてほしいと思うからなんだ。これはちょっと議論する価値があると思う。だから、どうか、がまんして、無償の愛情を持って、最後まで読んでほしい!いや、おさえておくべき点は三つある。
1.英雄的なことができる資質が備わっている人なら、英雄や英雄的行為をどんなに嫌っていても足元がぐらつくことはない。また、英雄的なことをする資質に欠けていても堂々と議論に入ることはできるがその場合、徹底的に注意深く理知的で、体のすべての灯りを灯すよう努力し、さらに神への熱い祈りを二倍にしなければ、安易な道に迷い込んでしまう。
2.人は、一般的な判断ができるくらいの頭脳を持っているのは当然。もしその程度の頭脳がないなら、皮をむいた栗でも十分に代替可能だ!しかし自分の目でみることが重要だ。とくにこの種のこと、英雄や英雄的行為に関してはそれが必要不可欠といっていい。人間の頭脳は魅力的で、好ましく、じつに分析能力に長けているだけで、人間の歴史を包括的に理解したり-英雄的なことであれ、非英雄的なことであれ-その人がその時代に愛情や良心にかられて果たした役割を理解する能力はまったく持っていない。
3.アルフレッド・アードンナは、アレキサンダー大王の幼い頃の家庭教師がアリストテレスだったという事実をおおらかに認めている。それなのに、嘆かわしいことに一度も、アリストテレスがアレキサンダー大王に謙虚であれと教えなかったことを非難していない!
この興味深い問題に関して、ぼくが今までに読んだ本では、アリストテレスが少なくとも、アレキサンダーが偶然手に入った王の衣だけを受け取って、その他のクソのような-失礼-王の付随物は拒否するように言ったなんて、どこにも書かれてはいなかった。
腹立たしい話はもうやめよう。神経が擦り減ってきちゃった。それにシオ・アクトン・ボームのいかがわしくて非常に危険な、才能なき、冷ややかな文学作品について語るつもりだった時間を使い果たしてしまった。ただ、繰り返しになるけど、ぼくは本当に心配でしょうがないんだ。もしバディが小学校に入学を許可されて、長く、とても複雑な正規の教育を受けたあと、こういう危険で、つけあがった、とことんありきたりの本を読むかと思うとね。

p290、291 《テディ》
「きみは大人になったら何か研究してみたいと思ったことはないかな?医学の研究とか、何かそういったことさ。きみほどの頭があったら。いずれは−」
テディは立ったままで答えた「2年ばかり前に一度考えたことはある。ずいぶん大勢の医学者たちと話たけどね」そう言って彼はかぶりを振りながら「どうもぼくには面白くなさそうなんだ。彼らはあくまで表面のことばっかしなんだよ。いつも細胞とかなんとか、そんな話ばかりさ」
「ほう。きみは細胞構造なんか重要じゃないってわけ?」
「いや、そりゃ重要だよ。でも医学者たちが言うのを聞いてると、細胞自身が無限の重要性を持っていて、それの持ち主の人間なんかそっちのけみたいに聞こえるからな」

p219、220 《ド・ドーミエ=スミスの青の時代》
本当に優れた芸術家はたいていそういうものだが、ヨショト氏のデッサンの教え方も、芸術家としてはまあまあだが教える才能だけは優秀といった連中の域を一歩も出るものではなかった。生徒のデッサンの上にトレーシング・ペーパーを重ねて原画を修正してやるコピー式実技指導、それと生徒のデッサンの裏に書き込むコメント−この二つを併用するわけだけれど、これによって彼は、まずまずの才能を持った生徒に、豚だと分かるものが豚小屋だと分かるものに入っているように描くことは結構教える事ができる。いや、いかにも絵にあるような豚がいかにも絵にあるような豚小屋に入っているように描くことだって教えられなくはない。しかし、美しい豚が美しい豚小屋に入っているように描くにはどうしたらよいか(そこの技術をちょいと郵便で知らせてもらいたいということこそ彼の生徒たちの比較的ましな連中が何より渇望している焦点のはずだが)、これを教えることはしゃっちょこ立ちしたって金輪際できることではない。つけ加えるまでもあるまいが、なにも彼は、意識的ないし無意識的に才能の出し惜しみをしてるわけでも、才能の浪費を慎重に警戒しているわけでもない。要するに彼には人にくれてやろうにもそんな才能の持ち合わせがないのだ。仮借ないこの真実にもわたしとして別段驚くことは何もなかったので、それが暴露されたといってもべつに不意打ちをくらって仕事に支障をきたしたというわけではない。

p76、77 (ゾーイー)
きみとフラニーがどちらも字が読めるようになった頃には、シーモアも僕も、もう大人だった-シーモアなんかとうに大学を出てたくらいだからな。あの年輩だから、僕たちには、自分の愛読する古典を君たち二人に押し付けようなんて情熱は本当はなかったんだ-とにかく、双子の大将やブーブーの時のような熱量を持ってやったわけじゃなかったよ。学者に生まれついたような人間を、いつまでも無知のままで置こうったって、それは無理だってことは知っていた。心の底では僕たちも、しんからそうしたいと思ってたわけじゃなかった、と僕は思うんだが、しかし、神童や学校時代の物知り博士が長じて研究室(実は娯楽室)の顔になるという例が、統計的に不安、というより脅威だったからな。けど、それよりずっと重要なことは、あの頃すでにシーモアが、いかなる名による教育でも、知識の追求ではなくして、禅にいうところの「無心」の追求から始めても、やはりかぐわしい芳香を放つ、いやむしろその方が遥かにかぐわしい芳香を放つであろうという信念を持ち始めていたことだ(僕もまた、兄貴に賛成だったんだよ、自分に分かる範囲でだけどさ)。スズキ博士がどっかで言ってるよ−純粋意識の状態−サトリの境地−に入るということは、神が「光あれ」と言う前の、その神と合一することだって、シーモアもおれも、この光を、君とフラニーから、(少なくともでき得る限り)遠ざけておいた方がよろしいと考えたんだ。その他、より低次な、より当世風な光の根源の数々−芸術、化学、古典、語学−これらすべてをだな。君たち二人が、すべての光の根源を会得した境地というものを、少なくとも想定できるようになるまではさ。この境地のことを、一部もしくは全部知った人々−聖者、阿羅漢、菩薩、生前解脱者−こういった人たちについておれたちの知っている限りのことを(というのは、おれたちにだって「限界」があるからな)言うだけでも言ってやったら、これはすばらしく建設的なことではないかと考えたんだ。つまり、君たちが、ジョージ・ワシントンと桜の木とか、「半島」の定義とか、文の分解説明法とかはもちろん、ブレイクもホイットマンも、いやホーマーやシェイクスピアについてすら、ほとんど、もしくは全然知らないうちに、イエスや釈迦や老子やシャンカラチャーリヤや慧能やスリ・ラーマクリシュナ等々の何たるかを、二人に知ってもらいたいと思ったんだ。とにかく、これがわれわれの名案なるものだったのさ。同時に、Sと僕とで家族ゼミナールを時間割通りに開催したあの何年間か、中でも形而上学の時間を、どれほど君が嫌がっていたか、僕にはわかっているということをいま僕は言おうとしているような気がする。

p289、290 《テディ》
「そうだな…何をやるか、あまりはっきりした考えはないけどね」とテディは言った
「一般に学校でまず最初に教えることからは始めない、これは確実に言えるな」彼は腕を組んで少しの間考えていたが「まず子供たちを全部集めて、みんなに瞑想の仕方を教えると思う。自分たちの単なる名前とかなんとか、そんなことじゃなくて、本当に自分は誰なのか、それを発見する方法を教えようとするだろうな。…いやそれよりも前に親やみんなから教え込まれたことを全部、頭の中からきれいさっぱりと吐き出させるね、きっと。たとえば、象は大きいと親から教えられていたとしても、そいつを吐き出させちまうんだ。象が大きいのは、何か他の物−犬とか女の人とか、そういったものと並べたときだけ言えることでね」テディはまたちょっと考えてから「ぼくなら象には長い鼻があるということだって教えないだろう。手もとに象がいたら、見せはするかもしれない。けどそのときでも、子供たちを象のとこにただ行かせるだけだな。象が子供たちのことを知らないように、子供たちにも象のことを知らせないでおくね。草とか、そのほかの物もおんなじさ。草が緑なんてことさえぼくは教えない。名は名称にすぎないからね。つまり、もしも草は緑だと教えると、子供たちは初めから草をある特定の見方−教えたそのご当人の見方−で見るようになっちまう−ほかにも同じようによい見方、いやもっとはるかによい見方があるかもしれないのにさ…よく分かんないけどね。ぼくはただ、両親やみんなが子供たちにかじらしたりんごを、小さなかけらの果てまでそっくり吐き出さしてやりたいんだよ」
「それではしかし、無知蒙昧なチビッコ世代ができてしまう危険がないかな?」
「どうして?無知蒙昧になんかならないよ。象だって無知蒙昧じゃないだろう。あるいは鳥だって。木だって」と、テディは言った「ある物がある態度をとる代わりにある形で存在するからと言って、それが無知蒙昧の理由にはならないさ」
「そうかな?」
「そうとも!」とテディは言った「それにだね、彼らがもし他のいろんなことを−名前だとか、色だとか、そういったことをさ−学びたいと思ったら、後になって彼らがもっと年をとってから、その気になれば、やれることだからね。でも最初は物を見る本当の見方から始めてもらいたいんだ、ほかのりんご好きの連中の見方じゃなくてね−そういうことさ、ぼくが言うのは」

p187〜190 (ゾーイ)
「きみの歳は知ってるよ。いくつだったか、よく承知している。いいかね。ぼくがこんなことを言い出したのは、今さらきみを非難しようという了見からじゃないんだぜ-誤解されちゃ困るよ。これにはちゃんと訳があるんだ。これを言いだしたのはだな、子供の時分のきみにはイエスってものが分かってなかったし、今も分かってないと思うからなんだ。きみはイエスとほかの五人か十人ばかしの宗教家たちとを混同してると思うんだ。そして誰が誰、何が何と、はっきり区別がつけられるようにならなければ、『イエスの祈り』の修行もできまいと思うんだな。あの棄教のきっかけになったのはなんだったか、きみ、憶えているかい?……フラニー?憶えているかい?それともいないかい?」
返事はなかった。ただ、手荒く鼻をかむ音が聞こえただけである。
「ところでぼくはたまたま憶えてるんだ。『マタイ伝』第6章だよ。ぼくは実にはっきりと憶えてるんだ。そのときぼくがどこにいたかまで憶えている。ぼくは自分の部屋でホッケーのスティックに電気の絶縁テープをまいてたんだ。そこへきみが大きな音をたててとび込んできた-開いた聖書を手に持ってたいへんな騒ぎでさ。イエスなんかもう嫌いだという。陸軍の兵舎にいるシーモアに電話をかけて、このことを言ってやるわけにいかないかって、きみは訊いたろう。きみ、どうしてイエスが嫌いになったか知ってるか?ぼくが言ってやろう。第一に、イエスが会堂へ入っていって、テーブルや偶像を、そこらじゅうに投げ飛ばした(訳注「マタイ伝」十二章十二節他)のが気に入らなかったんだ。実に無作法で、必要のないことだというんだ。ソロモンか誰かだったら、そんなこと絶対しなかったはずだというんだな。もう一つきみの気に食わなかったのは-聖書のそこんとこをきみは開いてたんだが-『空の鳥を見よ』というところさ。『播かず、刈らず、倉に収めず。しかるに汝らの天の父はこれを養いたもう』(訳注「マタイ伝」六章二六節)ここまではよろしい。これは美しい。ここなら賛成できる。ところが、すぐ言葉を続けて、イエスが『汝らはこれよりも優れる者ならずや』と言うとき-ここで幼いフラニーは爆発するんだ。幼いフラニーが冷然と聖書を棄てて、まっすぐに仏陀に赴くのはここのところさ。仏陀はかわいい空の鳥たちを差別待遇しないからね。ぼくたちがレークで飼ってたかわいらしい鶏や鵞鳥もみんな。そのころは十歳だっただなんて繰り返さないでくれよ。きみの歳なんか、ぼくが今言ってることとは関係ないんだから。十歳だろうが二十歳だろうが大した違いはない-いや八十歳だって違わんな、その点じゃ。聖書に書かれている今の二つのことを言ったりやったりするようなイエスならば、きみは今でも思うように愛することができないだろう-それはきみも知ってるはずだ。テーブルを放り出すような神の子なんて、体質的にきみは、愛することも理解することもできないんだ。それからまた、神にとって、人間は、どんな人間でも-タッパー教授のような人ですら-やさしい、あわれな復活祭の鶏よりも価値があるなんていう神の子も、体質的にきみは愛することも理解することもできないのさ」
フラニーは今、ゾーイーの声のする方をまっすぐに向いて、丸めたクリーネックスを片手に握りしめたまま、固く身を起こして坐っていた。膝の上にはもはやブルームバーグの姿はない「あなたにはできるって言うのね」悲鳴に近い声で彼女は言った。「ぼくにできる、できないは、問題じゃないよ。しかし、そうだな、ぼくにはできるな、実を言うと。今はこの問題に入りたくないんだが、しかし、少なくともぼくは、意識的にせよ、無意識的にせよ、イエスをもっと『愛すべき』人間にしようとして、彼をアッシジの聖フランシスに変貌させようとしたことは一度もなかったな-キリスト教世界の九八パーセントまでは、まさにそれをやろうとしてずっと頑張ってきたわけだけどさ。といっても、それはぼくの名誉でもなんでもない。ぼくがたまたま、アッシジの聖フランシスのようなタイプに惹かれる人間じゃないというだけのことさ。ところがきみは惹かれるんだ。そして、それが、ぼくの考えでは、きみがこんな神経衰弱にかかる理由の一つなんだ。しかも、よりによって自家でそいつにかかる理由は、まさにそこにあると思うな。ここのうちはきみにはおあつらえ向きにできてるよ。サービスはいいし、簡単に水もお湯も亡霊も出る。これ以上好都合な所ってありゃしまい。ここでならきみはお祈りを唱えながら、イエスと聖フランシスとシーモアとハイジのじいさん(訳注ヨハンナ・スピリの『ハイジ』参照)とをみんな丸めて一つにしちゃうことができる」ゾーイーの声はほんのしばらくとだえたが、また「そいつがきみにわからんかな?いいかい、きみはなにも最低の人間なんかじゃ絶対にないのに、今この瞬間にも最低の物の考え方に首まで浸かってるじゃないか。きみのお祈りの唱え方が最低の宗教なだけじゃない。自分で知ってるかどうか知らないけど、きみの神経衰弱も最低だよ。ぼくはこれまで、本物の神経衰弱を二つほど見たことがあるが、そいつにかかった奴は、わざわざ場所を選んだりせずに-」
「やめて、ゾーイー!やめて!」フラニーはすすり泣きながら言った。

ロイス・タゲットのロングインタビューその他完

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