ゾーイー 後編

p87(ゾーイー)
ゾーイーの声が、不意に怪訝そうに響いた「かあさん?何してんだい、そこで?」
グラース夫人は、包みを開けて、歯磨きの箱の裏に細かく印刷された文句を読んでるところだった。「お願いだからあんたのその口のボタンをかけといておくれ」半ば上の空で彼女は言った。それからキャビネットの所へ歩み寄った。それは、洗面台の上の壁に、取り付けになっている。彼女は鏡のはまったその扉を開くと、いろんな物がいっぱいつまった棚を仔細に眺め渡した。このキャビネットを自分の庭と心得て、その手入れに身を捧げた庭師の目、というよりしかめ、年期を入れた親方が目をしかめて見やるあの目つきで眺めやった。

p89 (ゾーイー)
「あんなバカみたいな粉を使うのはやめてもらいたいんですよ。あんなもの、あんたの歯のきれいな琺瑯質がみんなとれてしまいますよ。あんたはきれいな歯をしてるんだからね。まともな歯磨きを使いさえしたら−」
「誰がそう言った?」シャワーカーテンの陰で、湯の立ち騒ぐ音がした。「ぼくの歯のきれいな琺瑯質がみんなとれてしまうなんて、誰がいったんだい?」
「あたしが言ったのよ」グラース夫人は、自分の庭に最後の一瞥を与えて、手落ちがないかをたしかめながら「おねがいだから、これを使ってちょうだい」彼女は、のばした指先で、まだ封を切ってないサル・ヘパチカの箱を、移植ごてよろしくちょいと押しやって、ほかの庭木どもと一列にきちんと並ばせた。

p278、279《テディ》
「なるほど。じゃきみならどういう意味に使いたい?」テディはしきりに考えていたが「〈親近感〉という言葉の意味知ってますね?」ニコルソンの方を向いてそう言った。
「おおよそのところなら知ってると思うけど」皮肉を込めてニコルソンは答えた。
「ぼくは両親に対して非常に強い親近感を持ってる。つまり、彼らはぼくの両親だし、ぼくたちみんながめいめいの調和やらなんやらの一部をなしている」と、テディは言った「ぼくは両親に生きている間は楽しい時を過ごしてもらいたい、彼らは楽しく時を過ごすことが好きだから。…しかし彼らはぼくやブーパーを-ブーパーってのは妹だけど-そんなふうには愛してくれないんだな。つまり、あるがままのぼくたちを愛することはできないらしいんだ。僕たちをちょっとばかし変えないことには愛せないらしい。彼らはぼくたちを愛すると同時にぼくたちを愛する理由を愛してるんだ。いや、理由を愛してる時が大部分だな。そういうのは感心しないよ」そう言って彼はまたニコルソンを振り向くと、少し起き上がるようにしながら「今何時ですか?」と尋ねた

p88 (ゾーイー)
彼女の眼前には、金色散々たる薬の群れが、美々しいまでに着飾った兵士のように整列し、さらに、いささか専門を異にしたいわば場違いの品もいくつかまじっている。ヨードチンキ、マーキュロクローム、ヴィタミンのカプセル、歯ブラシ、アスピリン、アナシン、バッファリン、アージロール、マスタロール、エックス=ラックス、マグネシア乳、サル・ヘパチカ、アスパガム、ジレットの剃刀が二つにシック・インジェクターが一つ、髭剃りクリームのチューブが二本、反り返って少しやぶけてもいるが、ポーチの手すりの上で眠っている黒と白のぶちの猫の写真が一枚、櫛が三本、ヘアブラシが二つ、ワイルドシートの髪油が一瓶フィッチのふけ取り液の瓶、グリセリンの坐薬を入れた、小さな、ラベルの貼ってない箱が一つ、ヴィクスのノーズ・ドロップ、ヴィクス・ヴェーポラブ、カスチール石鹸が六個、一九四六年に上演されたミュージカル・コメディ(“Call Me Mister”)の入場券のちぎられたあとの部分が三枚、脱毛クリームのチューブ、クリーネックスが一箱、貝殻が二つ、すでに使ってあるらしいマニキュアの紙やすりが幾枚か、瓶入りのクレンジング・クリームが二個、鋏が三梃、爪やすりが一本、曇りの入らぬ青一色のオハジキ玉(少なくとも、二〇年代のオハジキ選手どもなら、「瑕なし」という名で承知している)が一つ、広がった毛穴を収縮させるためのクリーム、毛抜きが一本、女の子の(もしくは婦人用の)金の腕時計のバンドがとれて機会だけになったもの、重曹が一箱、女学校のクラス・リング(中の縞瑪瑙の石がかけている)、ストペットが一瓶−その他、思いもよらぬほど、か、よるほどか知らないが、とにかくいろんなものが入っている。

p137 (ゾーイー)
部屋そのものは、マンハッタンのアパートの標準からみても、特に大きいというほうではないが、いつの間にか集まってしまった家具の数々はヴァルハラの宮殿に移しても不足はないくらいであった。スタインウェイのグランド・ピアノ(いつもきまって蓋が開いている)、ラジオが3台(一九二七年のフレッシュマンと、一九三二年のストロンバーグ=カールスンと、一九四一年のR・C・A)、二十一インチ型のテレビ・セットが一台、卓上型の蓄音器が四つ(中に一九二〇年のヴィクトロラもまじっていて、今でも上にスピーカーが昔のまんまにのっかている)、煙草や雑誌のテーブルの数々、規格型のピンポン台が一つ(折り畳まれてピアノの後ろにしまい込まれているのがせめてもの救いだ)、坐り心地のよい椅子が四脚、坐り心地のよくない椅子が八脚、十二ガロン入る熱帯魚の水槽が一つ(あらゆる意味においてぎりぎりいっぱいであり、四十ワットの電球二個が照明の役割を果たしている)、二人掛けのロマンス・シートが一脚、それにフラニーが占領している寝椅子、空の鳥籠が二つ、桜材の書きもの机が一つ、それからフロア・スタンド、卓上スタンド、「ブリッジ」のためのスタンドといった電気スタンドの一式、これらが密生した下草の間からするすると伸びたぬるでか何かのように頭をもたげている。腰の高さまでの書棚が、三方の壁に添って城壁の裾を畳んだ石垣のように並び、どの棚も本がぎっしりつまって、文字通り、たわんでいる−子供の本、学校の本、古本屋で買った本、読書クラブから来た本、それに、ここの家で居間ほどの共通性を持たない部分からあふれ出して、ここに寄せ集められた異分子めいた本の数々(『ドラキュラ』が『パーリ語初歩』の隣に並んでいるかと思うと、『ソドムの少年同盟軍』の隣に『メロディの噴射』があったり、『スキャラブ殺人事件』と『白痴』がいっしょに並んで、『ナンシー・ドルーと秘密の階段』が『恐怖と戦慄』の上に重なっているといったあんばい)。

p97 (ゾーイー)
「とにかく、ほんとなんだから!父さんは、フラニーがへんだなんて、これっぽっちも考えていなさらないんだからね。本当にこれっぽっちもさ!昨夜も、11時のニュースがすんだすぐあとで、あたしに何て訊いたと思う?フラニーは蜜柑が好きだろうかね、ですって。あの子が何時間も寝たっきりで、叱れば目もつぶれるほとに泣いちゃうし、ぶつぶつぶつぶつ、何だか知らないけど、一人で呟いてるっていうのに、あんたのお父さんって人は、あの子は蜜柑が好きだろうかなんて言うんだからね。殺してやりたいくらいだったよ。今度あの人が-」グラース夫人は、言葉を切って、シャワーカーテンをにらんだ。「何がそんなにおかしいんですよ?」彼女は言った。
「なんにも。なんにも、なんにも、なんにも。ぼくは蜜柑が好きだよ。ところで、ほかにあんたの役に立たないのは誰かな?ぼく。レス。バディ。そのほかに誰?胸の中を洗いざらい言っちまえよ、べシー。遠慮することはない。そこがつまり、うちの連中の悪いところだ-みんな、胸の中にしまっておきすぎるんだ」

p256、257 《テディ》
テディは頭の大部分を引っ込めたが「ほんとにうまく浮いてるなあ」と、後ろを向き返らずに言った。「面白いよ、全く」
「テディ。これが最後だぞ。三つ数えるからな、そしたらおれは-」
「オレンジの皮が浮いてるのが面白いんじゃない」とテディは言った。「オレンジの皮があそこにあるのをぼくが知ってるってことが面白いんだ。もしもぼくがあれを見なかったらぼくはあれがあそこにあることをことを知らないわけだ。そしてもしもあれがあそこにあることを知らなければ、そもそもオレンジの皮ってものが存在するということさえ言えなくなるはずだ。こいつは絶好の、完璧な例えだな、物の存在を-」
「テディ」マカードル夫人がシーツの下で身動きの気配すらみせずに口をはさんだ「ブーバーを探しに行ってくれない?どこへ行ったの?あの子?あんなに日焼けしてるんだもの、今日もまた日差しの中でうろうろしてるんじゃよくないわ」
「ちゃんと体は包んでるよ。ぼくがオーバーロールを着せといたから」とテディは言った「もう沈み出した皮もあるぞ。あと3、4分もしたら、皮が浮いているのはぼくの頭の中だけになる。こいつは実に面白い。だって、ある見方からすれば、そもそもオレンジの皮が浮かぶというのはぼくの頭の中から始まったことだからだ。もしもぼくが最初からここに立っていなかったならば、あるいはぼくが立っているとこへ誰かが来て、ぼくの首をちょん切るようなことやったとすれば-」

p111 《笑い男》
そしてポケットから蜜柑を取り出して、それを空中に投げ上げながら歩いて行った。三塁のファウル・ラインの中ほどまで行ったあたりで私はくるりと向き返ると、メアリ・ハドソンをみつめ、蜜柑を握りしめながら、後ろ向きに歩きだした。

p260 《テディ》
テディは戸口のところでしばらく立ち止っていた。何か考えてるふうで、ドアの把手をゆっくりと右や左に回して試している。「このドアから出てしまうと、後はもうぼくはぼくを知ってる人たちの頭の中にしか存在しなくなるかもしれない」と、彼は言った「つまりオレンジの皮と同じことかもしれない」

p100 (ゾーイー)
「その意気、その意気!チキン・スープか、しからずんば無か。決然たる処置をとるというのは、そういうのを言うんだな。もしも彼女が神経衰弱になるべく決意しているのならば、われらとしては、せめて彼女が楽々とは神経衰弱になれぬよう、心すべきである。」
「そういう生意気なことを言うのはやめておくれというんですよ−まったく、なんて口なんだろう!いいかい、あたしはね、あの子が身体の中に入れる食べ物の種類が、今度のこのおかしな騒ぎとまんざらかんけいがなくはないんじゃないかと思うんだよ」

p223 (ゾーイー)
「フラニー、きみに言うことが一つあるんだ。ぼくが本当に知ってることだ。逆上がりしたりしちゃだめだぜ。べつに悪いことじゃないんだから。きみがもし信仰の生活を送りたいのならだな、きみは現にこの家で行われている宗教的な行為を、一つ残らず見過ごしていることに今すぐ気づかなければだめだ。人が神に捧げられた一杯のチキン・スープを持っていってやっても、きみにはそれを飲むというだけの明すらない。この精神病院にいる誰彼のところへべシーが持ってゆくチキン・スープは、すべてそういうスープなんだぜ。だからぼくに知らせてくれ、ぼくに知らせてくれよ、きみ。たとえきみが、『イエスの祈り』を正しく唱える方法を教えてくれる師匠−導師と言っても、信心家と言ってもいいが−それを求めて、全世界を探し歩く旅に出たにしても、それがきみに何の足しになるというのかね?神に捧げられた一杯のチキン・スープが鼻先に置かれてもそれと気がつかないというのに、本物の信心家を一体どうやって識別するつもりなんだ?それを知らせてもらえないかな?」

p100、101 (ゾーイー)
「いや、まったくその通り。まったくその通りだな。いきなり、ずばりと、ことの核心をつくところ、実に驚嘆のほかはない。ぼくは、全身、鳥肌立ってしまった。…おかげで霊感を得たよ。胸に火がついたみたいだね。べシー。あんた、自分でなにやったか知ってるかい?どういうことをやったのか、自分で納得してるかい?あんたはね、今度の問題に、新しい、斬新な、聖書的見方を与えたんだ。ぼくは、大学で、キリストの磔刑という問題について四つの論文を書いたけど-本当は五つだな-で、そのどれもがだね、何かが抜けてるような気がして、半分頭がおかしくなるくらい気がかりだったんだ。その抜けてるのが何だったか、今わかったよ。やっとはっきりした。キリストをぼくはまるきり違った各度から見られるようになった。彼の不健康な狂信性。まともで、控えめで、税金もちゃんと払ってるあのおとなしいパリサイ人たちをあんなに乱暴に扱った彼の態度。ああ、わくわくするなあ!べシー、あんたは、単純率直かつ頑固一徹に探りを入れて、新約聖書全体に流れていながらこれまで気づかれなかった主調音を探り当てたんだよ。なるほど、食い物が間違っていたのか!キリストはチーズバーガーとコークで生きてたんだ。おそらくキリストは一般大衆にも-」
「いい加減やめなさいよ」グラース夫人が口をはさんだ。おだやかではあるが要注意の言い方であった。

p114、115 (ゾーイー)
「あんたはね、人を好きになるか嫌いになるか、どっちかなんだ。好きだとなると、自分ばっかし喋っちまって、誰にもひとことだって口を入れさせやしないし、嫌いだとなると−たいていは嫌いになるほうだけどさ−こんどはもう、自分は死んだみたいに黙りこくって、相手に喋らせるばっかし。そうしちゃ落とし穴にはまりこませる。そのでんをあたしはこの目でみてるんですからね」
ゾーイーは、くるりと振り向いて母親を見つめた。このとき彼が振り向いて母親を見つめたその態度、これとまったく同じようにして、いつかの年、何かの時に、くるりと振り向きざまに母親を見つめた経験を、彼の兄弟姉妹(ことに兄弟たち)はみな一様に持っていた。その態度には、つねづね偏見と常套的なきまり文句と型にはまった言葉とから出来上がった頑冥牢固な壁のようにおもっていたものの中から、断片的にしろなんにしろ、的を射たものが跳び出してきたことに対する客観的な驚嘆があるだけではない。嘆賞、愛慕、それから少からざる感謝の念も、そこにはまじっていた。そしてまた、奇妙なことであるにしろないにしろ、グラース夫人は、彼女に対するこの「称賛の辞」が捧げられるときには、きまってこれをあざやかに受け止めるのであった。そういう表情を向ける息子や娘を、おだやかにつつましく見やるばかりなのである。このときも彼女は、そのつつましくおだやかな顔をゾーイーに向けた。「あんたって人はそうなのよ」と、彼女は言った。が、そこには相手をとがめる気持ちはこもっていない「あんたもバディも好きでない人と話をする、そのやり方を知らないのね」そう言って彼女はそのことを考え直していたが「好きでない、というよりむしろ愛してない人とよね」と、言い直した。ゾーイーは、剃る手を休めて、なおも彼女を見つめている。「困ったことだわ」わびしそうに彼女はいった「あんたはだんだん、バディがあんたの年頃だった時分とそっくりになってくる。お父さんだってそれに気がついていらした。二分ばかしで好きにならない人とは、もうそれっきりおしまいなんだものね」

p221 (ハプワース)
恥ずかしいけど、ぼくは信頼できない助言に対しては、つい非人間的な態度を取ってしまう。こういうときに使える、人間的で無難な方法がないか、必死に考えているところなんだ。

p120 (ゾーイー)
「おれたちは畸形児なんだよ、おれたち二人はさ、フラニーとぼくと」そう言いながら、彼は身体を起こした。「ぼくは二十五歳の畸形児、フラニーは二十歳の畸形児だが、これにはあいつら二人ともに責任があるんだぜ」彼は洗面台の縁に剃刀を置いたが、剃刀はすねたように盤の中に辷り落ちた。彼はすばやくそれを拾い上げると、今度は指ではさんだまま放さなかった。

p120 (ゾーイー)
「兆候の表れ方はぼくよりもフラニーの方がいささかおそいけど、でもあいつだってやっぱり畸形児なんだ、忘れなさんなよ。誓ってもいいけどね、ぼくは眉毛一つ動かさないで平然とあいつら二人を殺してやれるような気持ちなんだぜ。へん、偉大な教育者。偉大な解放者−が、聞いてあきれらあ。ぼくはもう、誰かといっしょに昼飯を食おうとしても、おとなしく話をやりとりしてることができなくなっちまったんだよ。ひどく退屈しちゃうか、さもなきゃ説教でもするみたいな具合になっちまうんだ。センスのある野郎だったら、おそらく椅子を振り上げてぼくの頭をなぐりつけるだろうよ」グラース夫人は、そういう彼を、身動きもせずに見守っていた。指にはさんだ煙草が手もとまで燃えてきている。彼女は、シェービング・クリームのキャップを閉めようとするゾーイーの手もとを見守っていた。キャップの溝を合わせるのに、ゾーイーは多少苦労していた。

p126、127 (ゾーイー)
「しかし、ぼくには誰も心当たりがない。フラニーに多少なりとも効目のある医者となると、それはかなり特殊なタイプの者でなければならないだろう。そもそも自分が精神分析の勉強をする気になったのは、神の恩寵によると、そう信じている人間でなければなるまい。トラックに轢き殺されもしないで開業の免許がとれたのだって、神の恩寵による。多少なりとも患者の役に立てるような生まれながらの頭が持てたのも神の恩寵によると、そう信じている人間でなければならないはずだ。ところが、こういう方向に物を考える優秀な分析家をぼくは一人も知らないんだな。しかし、フラニーに多少なりとも役に立つ精神分析の医者があるとすれば、それはこういう類の医者に限るんだ。もしもあいつが、フロイト一点張りの医者だとか、折衷医学を振りまわす奴だとか、てんでありきたりの野郎だとか−とにかく、自分の直感や知性に対して、わけの分からないやみくもな感謝の気持ちすら持ってないような医者につくようなことがあったら−あいつ、治療が終わった暁には、シーモアよりもっとひどいことになってるぜ。そいつを考えると、ぼくは心配で心配でたまらなかったんだ。この話はちょっとよそうじゃないか、悪いけどさ」ゾーイーはゆっくりと時間をかけて煙草に火をつけた。それから、煙草を吐き出しながら、さっきの、火の消えた煙草がのっているつや消しガラスの受け棚の上に、それをのせた。そして、いくらかくつろいだ姿勢に返った。彼は爪の先にやすりをかけ始めた−爪は完全にきれいになっているのである。

p166 (ゾーイー)
「あなたの言うことを聞いてると、土曜日にレーンがわたしのことをチクチクやりだして、わたしがまたそれに言い返してやろうとしたことを、いちいち思い出すのよ。マーティニやエスカルゴやなんかをいただいてた最中だったわ。まったく同じいざこざがあったっていうんじゃないの。でも、性質は同じようなことだと思うわ。それから理由も。少なくとも感じではそんな具合だった」ちょうどそのとき、ブルームバーグが彼女の膝の上に立ち上がった。そして、猫というよりは犬に近い感じで、もっと寝心地のよい場所を探してぐるぐるまわりだした。フラニーは、心はほかへ走りながらも、指導の役目は引き受けた者らしく、その背中に両手をやさしくのせて、なおも言葉を続けた

p130、131 (ゾーイー)
「つまり、この考えによるとだな、祈りは、それ自体だけの力によって、口先や頭脳から、やがてのことに、心の臓にまで到達する。そうして、心臓の鼓動といっしょに動く自動的な機能と化する、と、こういうんだ。それからしばらくして、その祈りが心臓の鼓動と一体化を遂げた暁には、その人はいわゆる万象の本体に参入することになるという。どっちの本にも、これがこういう形で出てくるわけじゃなくて、東洋的筆法で語られるんだけど、肉体には、チャクラという七つの敏感な中心があって、中でいちばん心臓と密接な関係にあるのが、アナハータといって、ものすごく鋭敏強力だというんだな。こいつが活動させられると、今度はこいつがアジナという、眉と眉との間にあるもう一つの中心を活動させる−これはつまり、松果腺なんだな。いやむしろ松果腺のまわりの冷気というか−次がいよいよ、神秘論者のいわゆる『第三の眼』の開眼と来るわけさ。これはなにも新しいことじゃないんだけどね。というのは、つまり、この巡礼とその仲間たちをもって嚆矢とするわけじゃないってこと。インドでは、ジャパムといって、何世紀になるか分からぬほど前から知られてたことなんだ。ジャパムというのは、人間が神につけた名前を、どれでもいい、何度も繰り返すことなんだ。神につけた名前というより、神の化身−つまり権化だ、専門用語を使いたければ−神の権化を呼ぶ名称だ。これを長い間、規則的に、文字通り心の底から唱え続けていれば、いつか時満ちて必ずや応答があるというんだな。応答というのは正確じゃない。反応だ」

p44 (フラニー)
「とにかく、そんなことがあって、結局その夜、巡礼はそこの家に泊めてもらう。そして、ご主人とおそくまで、その絶えることなく祈る方法というのを語り合うの。巡礼はそのやり方をご主人に教える。それから朝になると、いとまをつげて、また数奇な運命の旅に出てゆく。そしてあらゆる種類の人々に会う−それだけなのよ、本当に−そうして、会う人みんなに、その独特な祈り方を教えてやるんだわ」

p46 (フラニー)
「とにかくね」と、彼女はまた話だした「スターレッツがその巡礼に言うの、もしこの祈りを繰り返し繰り返し唱えていれば−初めは唇を動かしているだけでいいんですって−そのうち遂にはどうなるかというと、その祈りが自動性を持つようになるっていうの。だから、しばらくするうちに、何かが起こるんだな。何だかわたしにはわかんないけど、何かが起こる。そして、その言葉がその人の心臓の鼓動と一体となる。そうなれば、本当に耐えることなく祈ることになる。それが、その人の物の見方全体に、大きな、神秘的な影響を与える。そこが、肝心かなめのところだと思うんだな、だいたいにおいて。つまり全般的な物の見方を純粋にするためにこれをやれば、すべての物がどうなっているのか、まったく新しい観念が得られると思うんだ」

p47 (フラニー)
「でも、大事な点はね−これがすばらしいんだ−これをやり始めた当座は、自分がやってることをべつに信じてやる必要はない。つまり、そんなことをやるのにどんなに抵抗を感じながらやるにしても、そんなことは全然構わないってわけ。誰をも何をも侮辱することにはならないのよ。言いかえると、最初始めたときには、それを信じろなんて、誰もこれっぽっちも要求しないんだ。自分で唱えてることについて考える必要もないなんて、スターレッツは言うのよ。最初に必要なのは量だけ。やがて、そのうちに、量がひとりでに質になる。自分だけの力か何かで。スターレッツの言うところによると、どんな神様の名前にも−仮にも名前なら、どんな名前にだって−それぞれ、みんなこの独特の自動的な力があるっていうのよ。そして、いったんこちらで唱え始めれば、あとは自動的に動きだすっていうの」

p60 、61(ゾーイー)
湯の中で手紙を読んでいる−というより、読み返している−時間が長くなるにつれて、手の甲で額と上唇を拭う回数が多くなり、次第にその動作が無意識ではなくなっていったのだから

p291 《テディ》
「ぼくの身体はぼくが自分で育てたんだ。人が育ててくれたんじゃない。とすると、ぼくはその育て方を知っていたに違いない。少なくとも無意識的には。意識的な知識は、過去数十万年の間にいつしか失ってしまったんだろう。しかし、何らかの知識はまだ残ってるんだ、だって−明らかにぼくは−それを使ってるんだもの。…だが、その全体を−つまり意識的な知識を−取り戻すためには、ずいぶんと瞑想もし、頭の中のものを吐き出しもしなきゃなるまい。でも、その気になればできないことはない。思い切って開く自分を開け放せばいいんだ」

p196 (ハプワース)
父さんが神とか神意とか-父さんが怒ったり不快に思ったりしなければ、どう呼んでもいいけど-そういうものを信じてなくて、真剣に考えてないのは知ってる。だけど、この蒸し暑い、ぼくの人生で記念すべき日、名誉をかけてこう言いたい。煙草一本に火を付けることさえ、宇宙の芸術的許可が気前よく与えられなければ不可能なんだよ!

p218 (ハプワース)
ブーブーはこの頃「神さま」という言葉が信じられなくなったみたいだね。新しいお祈りにすれば、それが解決できるよ。「神さま」という言葉を使わなくちゃいけないという決まりはないんだ。それが「つまずきの石」だったら、使わなくていい。これからはこのお祈りにしよう。「わたしは子供です。いつものように、これから寝ます。『神さま』という言葉はいま、わたしの胸にささったとげです。この言葉をいつも使って、うやうやしく思い、おそらく心から大切に思っている人もいます。わたしの友達のロッタ・ダヴィラとマージョリー・ハーズバーグもそうです。わたしはふたりのことを、いやな、すごい嘘つきだと思っています。わたしは名前のない、あなたに呼びかけることにします。わたしの思うあなたには形がなくて、特に目立ったところもありません。そしていままでずっとやさしく、すてきで、わたしの運命を導いてくれました。わたしがこの人間の体を借りてすばらしい生を生きているときも、そうでないときも。どうか、わたしが眠っている間に、明日のための、間違いのない、理由のある教えをください。あなたの教えがどんなものか、わからなくてもかまいません。そのうちいろいろなことがわかってくると思います。でも、あなたの教えは喜んで、感謝して、しっかり守ります。いま、わたしは、あなたの教えがそのうち、効果と効能を発揮して、わたしを励まし、意志をかたく持つ助けになると考えています。でもそのためには、心を穏やかにして、心を空っぽにしておかなくてはならないそうです。なまいきなお兄ちゃんがそういってました。」しめくくりは「アーメン」でもいいし、ただ「おやすみなさい」でもいい。どちらでも好きな方を選べばいいし、自分の気持ちにぴったりするほうを選んでもいい。汽車の中でぼくが思いついたのは、これだけ。だけど、なるべく早く伝えようと頭の中にしまっておいたんだ。ただし、いやだったら、こんなお祈りはしなくていい!それから、自由に、好きなように、いいかえていいよ!もしこんなのがいやだと思ったら、さっさと忘れて平気だから。ぼくがうちに帰ったら、またほかのを考えてあげる!ぼくのいうことは絶対間違いないなんて、考えないように!ぼくは本当に、間違いばかりやってるんだから!

p241 (ハプワース)
とくに人間の折れた骨をいやしながらくっつける作業については熟読すると思う。だって、仮骨は信じられないくらいよくできていて、いつ始めて、いつ止めるかがちゃんとわかっている。それも骨折した人の脳からまったく指令を受けないのに。これもまた、奇妙な性質を持つ「母なる自然」のたまものだ。それにしても、いわせてもらうけど、ぼくはもうずっとまえから、「母なる自然」といういかがわしい言葉にうんざりしている。

p146 (ゾーイー)
「あの夢の中でわけがわかるのはたった一人、タッパー教授だけよ。つまり、あそこに出てきた人の中で、わたしを本当に嫌ってるということをわたしが自分で知ってるのは、タッパー教授だけなの」

p80 (ゾーイー)
Sの自殺を怒っているのは君だけだ。そしてそれを本当に許してるのも君だけだって、あいつはそう言ったんだ。君以外の僕たちは、みんな、外面では怒らず、内面では許していないんだってね。

p180 (ゾーイー)
「幸いにしてぼくには、それがきみの本心でないことが分かってるんだ。胸の奥では違うんだな。心の奥底では、僕たち二人とも、ここがこのお化け屋敷の中で神聖に浄められた唯一の場所だってことを承知してるんだ。ここはたまたまぼくがむかし兎を飼ってた場所でもあるぜ。あの兎たちは聖者だったよ、両方とも。実を言うと、あいつらだけが独身の兎で-」
「ああ、もうやめて!」苛立たしそうにフラニーが言った。

p147 (ゾーイー)
「その先生、プールで何をしたんだい?」
「そこなのよ!なんにもしないのよ、それが!絶対になんにも!ただその辺に立って、笑って見てただけなの。あそこにいたうちでいちばんたちが悪かったわ」

p156 (ゾーイー)
「ぼくに微笑を向けるのはやめてくれよ、頼むから」ゾーイーは落ち着いた声でそう言うと、フラニーの側を離れていった。「シーモアがいつもそれをやったもんだ。この家には微小家がうじゃうじゃいやがる」

p165 (ゾーイー)
ぼくはみんなの生活の中で敵役を演じるのは、もう死ぬほどうんざりだ。ヘスとルサージとで、新しいショーの相談−いや、新しい何の相談でもいいんだが−しているところをきみに見せたいよ。ぼくがその場に現れるまでは、二人とも豚みたいに幸福なんだな。ぼくは、自分がまるで、シーモアの大好きなあの荘子がみんなに警告した、あのいやな奴ら、あれになったような気がするよ−『そのいわゆる賢者なる者どもが、びつこをひきひき姿を現したらば気をつけよ』という、あれさ

p81(ゾーイー)
Sは僕に向かってにこやかな笑顔を向けながらかぶりを振って、利口というのは僕の痼疾、僕の義足だ、こいつを指摘してみんなの注意をそこに向けさせるのは最大の悪趣味であると言ったな。びっこ同士だ、ゾーイ君、お互い丁重親切にしようではないか。愛を込めて B

p168 (ゾーイー)
「あれがいちばんいけなかったんだ。どうしたのかというとね、ある考えが思い浮かんで−どうしても頭から追い出すことができなかったの−つまり、大学という所もまた、この世の宝やなんかを蓄積することに捧げられたイカレて狂った施設にすぎないっていう考え。つまり、宝はなんていったって宝なんだ。その宝が、金銭だって、品物だって、あるいは教養だって、あるいは普通の知識だって、そこに何の違いがあるか?包紙をはげば、わたしはみんなまったく同じもののように思えたのよ−今だってそう思うわ!ときどきわたし、知識ってものが−ともかく、知識のための知識の場合ならよ−何よりいちばんいけないことだと思うことがあるの。最も許し難いものだわ、たしかに」苛立たしげに、そして実際にはその必要もないのに、フラニーは、片手で髪の毛を後ろに押しやった。「ときたまでいいから−ほんのときたまでいいから−知識は知恵に通じるべきものだ、もしそうでなければ、それはいやらしい時間の浪費にすぎないということを、表面だけのお上品な形をとっても仕方ないから、感じ取らせてくれるものがあったら、わたしもあんなに参らなかったろうと思うの。ところがそんなものは絶対にない!知恵こそ知識の目標であるはずということなんて、それを感じとらせてくれる言葉を聞くことさえ、大学の中ではただの一度もない。『知恵』という言葉を聞くことさえ、ほとんどないわ!滑稽な話を聞かせてあげましょうか?本当に滑稽な話を聞かしてあげましょうか?四年近い大学生活の中でね−これ、絶対に本当の話なのよ−四年近い大学生活の中で『知恵ある人』という表現が使われるのを聞いた記憶はたったの一回だけ、わたしが一年の時、それがなんと政治学の時間なの!それがどんなふうに使われたかわかる?株で財産を作って、それからワシントンへ行ってローズベルト大統領の顧問になった、おじいちゃんの、あるつまんない政界の長老のことを言う時に使ったのよ。嘘じゃないんだから!ほとんど四年にもなる大学生活なのに!みんながそんな経験をしてるってわけじゃないけど、でも、このことを考えると、頭がヘンになちゃって、死んじまいたいくらい」

p202 (ゾーイー)
汝は仕事をする権利を持っているが、それは仕事のために仕事をする権利に限られる。仕事の結果に対する権利は持っていない。仕事の結果を求める気持ちを仕事の動機にしてはならぬ。怠情に陥ることも禁じられねばならぬ。
一挙一動、すべて、至尊の上に思いを致して行うべし。結果に対する執着を棄てよ。成功においても失敗にあっても心の平静を保て。〔書家の一人によって「心の平静を保て」という所に下線が引かれている〕ヨガの意味するところはこの心の平静なのである。
結果を顧慮しながら為された仕事は、さような顧慮なく、自己放下の静けさのうちに為された仕事にくらべてはるかに劣る。婆羅門の知識に救いを求めよ。結果を求めて利己的に仕事をする者はみじめである。 

-バガバッド・ギーター-

p170 (ゾーイー)
「これは昨夜たしかめようとしたことなんだが、その前にきみから向こうへ行けと言われちゃったんだ。きみは宝の蓄積をうんぬんするけどさ−金銭、品物、教養、知識、等々だな。『イエスの祈り』の修行をするということは−ぼくに最後まで言わせてくれよ、頼むから−きみが『イエスの祈り』の修行をするということは、ある種の宝を蓄えようとしてることではないのか?ほかの、もっと物質的なものとまったく同じように他人に譲渡することができるものをさ。それとも、それが『祈り』であるという事実からして一切の相違が生まれてくるのかね?というのはつまり、どっち側で宝を蓄えるか−こっち側か、あっち側かという点に、きみにとっては一切の相違があるのかというんだ。泥棒が侵入できない側、とかなんとかさ。それが違いになるのかね?ちょっと待ってくれ−ぼくの話が終わるまで待ってくれよ。頼むから」彼はちょっと黙って、ガラスの玉の中の吹雪を見つめていたが、やがて「あの祈りに対するきみの打ち込み方には、ぼくをぞっとさせるものがあるんだよ、実を言うと。きみはぼくがきみにあの祈りを唱えるのをやめさせようとしてると思うだろう。はたしてそうか、そうでないか、ぼくにはわからない−これは問題になるところだ−しかし、あれを唱えるきみの動機は一体何なのか、これをはっきりさせてもらいたいとは思ってる」

p 174(ゾーイー)
最初は断片的に、ついでは全面的に、彼の注意は、いま5階下の向かい側の路上で、作者や演出家やプロデューサーによって妨害されることなしに演じられている、一場の高貴な情景に惹かれていった。私立女学校の前に、かなり大きな楓の木が一本立っている-この幸運に恵まれた歩道の側に立ち並んだ4、5本の街路樹のうちの一つであった-が、そのときちょうど、7、8歳の女の子がその木の後ろに隠れたのだ。女の子はネーヴィ・ブルーの両前の上着を着て、アルルのヴァン・ゴッホの部屋のベッドにかかっている毛布によく似た色調の赤いタモシャンター(訳注スコットランド風のベレー)をかぶっている。好都合なゾーイーの位置から見ると、彼女のタモシャンターは、実際、絵具を落としたように見えなくもないのだ。女の子から15フィートばかり離れた所では、彼女の犬が-緑の革の首輪と紐をつけたダックスフントだが-革紐を長く後ろにひきずったまま、主人を見つけようとして、においを嗅ぎながら、やっきとなってその辺をくるくる駆け回っている。別離の苦悩が彼には耐え難いのだ。そのうちにとうとう彼も主人のにおいを突きとめたけれど、そこへいくまでの時間が短きに失せず、長きにも失しない。再開の喜びはどちらにとっても大きかった。ダックスフントが、かわいい叫び声を上げ、続いて嬉しさに身をよじりながら頭を下げ下げにじり寄ってゆくと、女主人は、彼に向かって何事かを大声に叫びながら、木のまわりにはりめぐらされた針金の柵を急いで跨いでいって、彼を抱き上げた。彼女は彼らだけにしか通じない特別な言葉で数々の賛辞を与えてから、やがて彼を地面に下ろし、紐を拾い上げると二人は嬉々として、五番街とセントラル・パークがある西の方へ歩いていって見えなくなった。反射的にゾーイは窓のガラスとガラスを仕切っている横木に手をかけた。窓を開けて身を乗り出して、小さくなっていく二人の姿を見送ろうと思ったのかもしれない。だが、それが葉巻の方の手だったために、ちょっとためらっているうちに機会は過ぎてしまった。

p75 (ゾーイー)
僕は彼女にはきっとボーイ・フレンドがいっぱいいるに違いないと言った。すると彼女はまた同じように頷くんだよ。で、僕は、ボーイ・フレンドは何人かって訊いたんだ。彼女は指を二本差し出した。「二人!」と、僕は言ったね「そりゃまたずいぶんたくさんですねえ。その人たちのお名前は何ていうの、お嬢ちゃん」すると、彼女は、つんざくような声で言ったんだ「ボビー(男の子)とドロシー(女の子)ってね。」僕は羊の肉をひっつかむと一散に駆け出したね。しかし、この手紙を書かしたのは、まさにこの出来事なんだ

p175 (ゾーイー)
ちょうどそのとき、彼の背後で、フラニーが虚心坦懐に鼻をかんだ。そんなに形がよくて華奢なつくりの機関にしては、思いがけなく大きな音であった。ちょっとたしなめるような気配を漂わせて、ゾーイは彼女を振り返った。
クリーネックスをいくつにも畳んでいたフラニーは、ふとゾーイーを見ると「あら、ごめんなさい」と、言った「鼻をかんじゃいけないの?」
「君の話はすんだのか?」
「ええ、すんだわ!ああ、なんていう家だろう。鼻をかむにも命がけだ」
ゾーイーはまた窓の方へ視線を戻した。

p57(ゾーイー)
彼女がいくたびか鼻をかむ15分ないし20分のシーンがこの映画にはあるのですが、そこのところをなんとかしたらよかったのではないかと彼女は申すのであるけれども「なんとかしたら」というのはつまり、「カットしたら」という意味であろう。ひとが鼻をかんでいるところをいつまでも見せられるのは、よい気持ちのものではないと申すのである。

p114、115(他人)
帽子箱を持った背の高いブロンドの女の子が、道路の向こう側を早足で歩いている。広い道路の真ん中あたりで、青いスーツを着た小柄な少年が、座り込んだ子犬を引っぱって、道路を渡り切らせようとしている。

p58 《コネティカットのひょこひょこおじさん》
両膝をつきテーブルの下をのぞいて煙草を探しながら、メアリ・ジェーンは言った「ねえ、ジミーどうなったか知ってる?」
「知るもんか。そっちのあんよ。そっちよ」
「車に轢かれたんだって。傷ましいじゃない?」
「スキッパーがね、骨くわえてたの」ラモーナがエロイーズに言った。
「ジミーに何があったの?」と、エロイーズは訊いた。
「車に轢かれて死んじゃったの。スキッパーがね、骨くわえてたでしょ、そしたらジミーがね、どうしても-」

p55《コネティカットのひょこひょこおじさん》
あんた、ウォルト(シーモア)が死んだってこともルーには言わないつもり?」

p324(キャッチャーインザライ)
「行くかもしれないし、行かないかもしれない」
彼女はそう言った。そして、通りを向こう側へいちもくさんに、自動車が来るか見てみもしないで、駆けて行っちまった。彼女は時々気違いみたいになっちゃうんだ。
でも、僕は後を追わなかった。彼女の方で僕の後からついて来ることがわかってたからね。それで僕は、その通りの公園側を、動物園を目指して、ダウンタウンのほうへ歩きだしたんだ。すると彼女も、向こう側の歩道をダウンタウンのほうへ向かって歩きだしたんだ。僕のほうへぜんぜん顔を向けなかったけど、おそらく、目のはしっこから、僕がどこへ行くか、注意して見てるにきまってるんだ。とにかく、僕たちは、そんな格好で、動物園までずっと歩いていったのさ。ただひとつ弱ったのは、二階建てバスがやってきた時で、通りの向こうが見えず、彼女がどこにいるやらわかんなくなった。でも、動物園のとこに来たときに、僕は大きな声でどなったんだ。「フィービー 僕は動物園に入るよ!君もおいで!」彼女はぼくのほうを見ようとしなかったけど、僕の声が聞こえたことはわかってたんで、動物園に入る階段を下りかけながら振り返ってみると、フィービーは、通りを横切って、僕の後をついて来るとこだった。

p178 (ゾーイー)
彼はそう言った口の下からさっそく身をかがめて、悠然と熱帯魚の水槽の中身の財産点検をやりだした。そして、指の爪でガラスをコツコツと執拗に叩き続けた。「うちの奴らってのは、どれもこれも、ぼくが五分間も背中を向けてると、ぼくのブラック・モリーを死なしちまうような連中なんだからな。大学へ行くときにもいっしょに持ってゆけばよかったんだ。そいつはちゃんと分かってたんだ」
「まあ、ゾーイー。あなた、五年も前からそればっかり言ってるじゃない?どうして新しいのを買わないの?」
彼はなおもガラスを叩き続けていた。「きみたちチャチな大学生はみんなおんなじだな。まるで釘みたいに非情だよ。あいつらはね、ただのブラック・モリーじゃなかったんだぜ。ぼくとは親しい仲だったんだ」

p153 (ゾーイー)
「ぼくのブラック・モリーの奴が全滅しかかってるぞ」そう言うと彼は、反射的に、水槽の横の餌箱の方へ手をのばした。
「餌はもう今朝べシーがやったのよ」フラニーが言った。彼女はまだブルームバーグを撫で続けている。温かいアフガンの外にひろがる微妙にして厄介なこの世界に彼を無理にも立ちまじらせてやらねばならぬ、その援助を与えているところなのだ。
「こいつら飢えてるみたいだぜ」ゾーイーはそう言ったが、魚の餌から手はひっこめた。
「こいつはまた、ひどく苦しそうな顔をしてるな」彼は指の爪で軽くガラスを叩いた。「お前に必要なのはチキン・スープだぜ、おい」

p29 (バナナフィッシュにうってつけの日)
「きみはただ目を開けて、バナナフィッシュを見張ってれば、それでよろし。今日はバナナフィッシュにうってつけの日だから」
「一匹も見えない」と、シビル。
「それは無理もないな。彼らの習性はとっても変わってるんだ」彼はなおも浮袋を押して行った。水はまだ彼の胸まで届いていない。「彼らはね、実に悲劇的な生活を送るんだ」と、彼は言った「どんなことをやるか知ってる、シビル?」
シビルはかぶりを振った。
「あのね、バナナがどっさり入ってる穴の中に泳いで入って行くんだ。入るときはごく普通の形をした魚なんだよ。ところが、いったん穴の中に入ると、豚みたいに行儀が悪くなる。ぼくの知ってるバナナフィッシュにはね、バナナ穴の中に入って、バナナを七十八本も平らげた奴がいる」青年は浮袋とその乗客を沖に向けて一フィートほど静かに押した。「当然のことだが、そんなことをすると彼らは肥っちまって、二度と穴の外へは出られなくなる。戸口につかえて通れないからね」
「あんまり沖へ出ないで」と、シビルが言った「それでどうなるの?」
「どうなるって誰が?」
「バナナフィッシュよ」
「ああ、あんまりたくさんバナナを食べて、バナナ穴から外へでられなくなってからのこと?」
「そう」と、シビル
「うん、言いにくいことだけどね、シビル、彼らは死んじまうんだ」
「どうして?」
「それはね、バナナ熱にかかるのさ。これはとても怖い病気なんだ」
「あ、波が来た」不安そうにシビルが言った
「波なんか無視しちまおう。鼻であしらってやるのさ」と、青年は言った「スノビズムといこうぜ」彼は両手にシビルの足首をつかむと、下へ沈めるようにしながら前へ押しだしてやった。浮き袋は鼻を突き出すようにして波頭を超えた。シビルの金髪がびしょ濡れになったけれど彼女が上げた悲鳴にはうれしさが溢れていた。
浮袋がふたたび水平になると、シビルは濡れてぺったり目にかぶさった髪の毛を片手で払いのけ「いま、一匹見えたわよ」と、言った。
「見えたって、何が?」
「バナナフィッシュ」
「えっ、まさか!」と、青年は言った「そいつはバナナを口に加えてた?」
「ええ、6本」とシビル。
青年は、浮袋からはみ出て端から垂れてるシビルの濡れた足の片方をいきなり持ち上げると、その土踏まずのとこにキスした。
「こら!」足の持ち主は振り向いて言った。
「そっちこそ、こらだ!さあ、戻ろう。もうたくさんだろう?」
「たくさんじゃない!」
「お気の毒さま」と、彼は言った。そして岸へ向かって浮袋を押して行った。そのうちにシビルがおり、後は彼が浮袋を抱えて行った。
「さよなら」シビルはそう言うと、未練気もなしにホテルの方へ走って行った。

p180 (ゾーイー)
「幸いにしてぼくには、それがきみの本心でないことが分かってるんだ。胸の奥では違うんだな。心の奥底では、僕たち二人とも、ここがこのお化け屋敷の中で神聖に浄められた唯一の場所だってことを承知してるんだ。ここはたまたまぼくがむかし兎を飼ってた場所でもあるぜ。あの兎たちは聖者だったよ、両方とも。実を言うと、あいつらだけが独身の兎で-」
「ああ、もうやめて!」苛立たしそうにフラニーが言った。

p246 (ハプワース)
これはまだバディとじっくり話し合ってないんだけど、あの中くらいのウサギちゃんを送ってくれるとバディはすごく喜ぶと思う。あの大きいウサギちゃんを、汽車で朝、掃除係の人がベッド直しにきたときになくしちゃったんだ。だけど、それについては手紙も何も書かないで、中くらいのウサギちゃんをこっそり靴箱みたいなものに入れて送ってくれればいいから。

p197 (ゾーイー)
それは、動物ならばどんな動物でもメチャクチャにかわいがる動物好きな男の子が、彼の愛する兎の好きな妹に誕生日祝いを贈ったとき、プレゼントの入った箱を開けた妹が、そこに、へたな格好の蝶々結びに結んだ赤いリボンを首につけた、つかまえられたばかりのコブラの子を発見して浮かべる表情、その妹の表情を目にしたとたんに男の子の顔から血の気がさっとひいてゆく−そういうときの男の子の蒼白な顔色によく似ていた。

p181 (ゾーイー)
「わたしは、人の気持ちを察しないって、言ったのよ!」相手の言葉をさえぎって、フラニーは言った。かなりの怒気をこめながら、しかもつとめて真剣な感じを漂わせて。「いつか病気になったら、自分で自分をお見舞いしてごらんなさい。どんなに自分が人の気持ちを察しない人間かわかるから!こっちの具合がよくないときに、あなたぐらい、そばにいられてかなわない人は、わたし、生まれてから知らないわ。風邪をひいたにすぎないときだって、あなたみたいに同情のない人って、ほかには一人も知らないわ。ホントなんだから!」

p166 (ゾーイー)
「あなたの言うことを聞いてると、土曜日にレーンがわたしのことをチクチクやりだして、わたしがまたそれに言い返してやろうとしたことを、いちいち思い出すのよ。マーティニやエスカルゴやなんかをいただいてた最中だったわ。まったく同じいざこざがあったっていうんじゃないの。でも、性質は同じようなことだと思うわ。それから理由も。少なくとも感じではそんな具合だった」ちょうどそのとき、ブルームバーグが彼女の膝の上に立ち上がった。そして、猫というよりは犬に近い感じで、もっと寝心地のよい場所を探してぐるぐるまわりだした。フラニーは、心はほかへ走りながらも、指導の役目は引き受けた者らしく、その背中に両手をやさしくのせて、なおも言葉を続けた

p159 (ゾーイー)
「ナン・デモ・ナイ。お願いだから、わたしをいじめないで。あたしはただ考えてただけよ。土曜日のあたしを見せたかったわ。あなたの場合は、みんなの士気を沮喪させるなんていう程度でしょ。あたしはレーンの一日全部を完全にめちゃめちゃにしちゃったのよ。一時間ごとに気を失っただけじゃないの。わたしがあそこまではるばる出かけていったのは、楽しくて、仲良しで、清浄で、カクテルもまじって、おそらくは幸福でもあるはずのフットボールの試合のためだったのよ。それなのにレーンが言った全部のことに一つ残らずわたしは、意地悪言うか、さもなければ反対するか、さもなければ−わかんないな−要するにダメにしちゃったのよ」

p184、185 (ゾーイー)
「これがまたきれいな話じゃないんだな。しかし、もうおしまいみたいなもんだから、できたら、もちょっと我慢してくれ。ぼくがゼンゼン気に入らないのは、きみが大学でやっている、苦行僧の服を着込んだみたいな、殉教者めいたきみの生活だよ−みんなを相手にきみが孤軍奮闘しているつもりの薄汚い聖戦だ。しかし、ぼくの言う意味は、きみが考えてるようなものじゃないんだから、しばらく口を出さずにいてくれないか。主としてきみは高等教育制度を攻撃してると思うんだ。飛びかかってきちゃいかんぜ−だいたいにおいて、ぼくはきみに賛成なんだから。しかしぼくは、きみの絨毯爆撃みたいな攻撃がいやなんだ。九八パーセントぐらいまではきみの意見に賛成なんだが、あとのニパーセントが死にそうなくらい脅威なんだ。ぼくが大学のころ、きみがいってたことにはてんであてはまらない教授が1人いた−そりゃ1人にはちがいないが、これはたいへんな傑物だったな。エピクテタスではなかったよ。しかし、病的な自負の持ち主じゃ絶対になかったし、人気とり教師でもなかった。謙虚な偉い学者だったよ。それにだね、彼が言ったことは、教室の中で言ったことでも外で言ったことでも、すべて、本当の叡智をちょっぴり、時にはどっさり、必ず含んでいたと思うんだ。きみがその革命を起こすときに、この先生なんかはどうなるんだ?ぼくは考えるに忍びないね−話題を変えよう。」

p288、289 《テディ》
「それはただ、あの人はとても霊的な人なのに、教師として教えてるのは、今のところ、あの人の本当の霊的進歩を妨げるようなものばかりだからさ。あんなものはあの人にとって刺激が強すぎるんだ。あの人は頭の中に物を詰め込む代りに、頭の中の物を全部吐き出さなきゃいけないとこまで来てるんだもの。あの人は自分でその気になったら、今の一生だけでずいぶん多くのりんごを処分できる人だよ。瞑想は得意だしね」

p187〜190 (ゾーイ)
「きみの歳は知ってるよ。いくつだったか、よく承知している。いいかね。ぼくがこんなことを言い出したのは、今さらきみを非難しようという了見からじゃないんだぜ-誤解されちゃ困るよ。これにはちゃんと訳があるんだ。これを言いだしたのはだな、子供の時分のきみにはイエスってものが分かってなかったし、今も分かってないと思うからなんだ。きみはイエスとほかの五人か十人ばかしの宗教家たちとを混同してると思うんだ。そして誰が誰、何が何と、はっきり区別がつけられるようにならなければ、『イエスの祈り』の修行もできまいと思うんだな。あの棄教のきっかけになったのはなんだったか、きみ、憶えているかい?……フラニー?憶えているかい?それともいないかい?」
返事はなかった。ただ、手荒く鼻をかむ音が聞こえただけである。
「ところでぼくはたまたま憶えてるんだ。『マタイ伝』第6章だよ。ぼくは実にはっきりと憶えてるんだ。そのときぼくがどこにいたかまで憶えている。ぼくは自分の部屋でホッケーのスティックに電気の絶縁テープをまいてたんだ。そこへきみが大きな音をたててとび込んできた-開いた聖書を手に持ってたいへんな騒ぎでさ。イエスなんかもう嫌いだという。陸軍の兵舎にいるシーモアに電話をかけて、このことを言ってやるわけにいかないかって、きみは訊いたろう。きみ、どうしてイエスが嫌いになったか知ってるか?ぼくが言ってやろう。第一に、イエスが会堂へ入っていって、テーブルや偶像を、そこらじゅうに投げ飛ばした(訳注「マタイ伝」十二章十二節他)のが気に入らなかったんだ。実に無作法で、必要のないことだというんだ。ソロモンか誰かだったら、そんなこと絶対しなかったはずだというんだな。もう一つきみの気に食わなかったのは-聖書のそこんとこをきみは開いてたんだが-『空の鳥を見よ』というところさ。『播かず、刈らず、倉に収めず。しかるに汝らの天の父はこれを養いたもう』(訳注「マタイ伝」六章二六節)ここまではよろしい。これは美しい。ここなら賛成できる。ところが、すぐ言葉を続けて、イエスが『汝らはこれよりも優れる者ならずや』と言うとき-ここで幼いフラニーは爆発するんだ。幼いフラニーが冷然と聖書を棄てて、まっすぐに仏陀に赴くのはここのところさ。仏陀はかわいい空の鳥たちを差別待遇しないからね。ぼくたちがレークで飼ってたかわいらしい鶏や鵞鳥もみんな。そのころは十歳だっただなんて繰り返さないでくれよ。きみの歳なんか、ぼくが今言ってることとは関係ないんだから。十歳だろうが二十歳だろうが大した違いはない-いや八十歳だって違わんな、その点じゃ。聖書に書かれている今の二つのことを言ったりやったりするようなイエスならば、きみは今でも思うように愛することができないだろう-それはきみも知ってるはずだ。テーブルを放り出すような神の子なんて、体質的にきみは、愛することも理解することもできないんだ。それからまた、神にとって、人間は、どんな人間でも-タッパー教授のような人ですら-やさしい、あわれな復活祭の鶏よりも価値があるなんていう神の子も、体質的にきみは愛することも理解することもできないのさ」
フラニーは今、ゾーイーの声のする方をまっすぐに向いて、丸めたクリーネックスを片手に握りしめたまま、固く身を起こして坐っていた。膝の上にはもはやブルームバーグの姿はない「あなたにはできるって言うのね」悲鳴に近い声で彼女は言った。「ぼくにできる、できないは、問題じゃないよ。しかし、そうだな、ぼくにはできるな、実を言うと。今はこの問題に入りたくないんだが、しかし、少なくともぼくは、意識的にせよ、無意識的にせよ、イエスをもっと『愛すべき』人間にしようとして、彼をアッシジの聖フランシスに変貌させようとしたことは一度もなかったな-キリスト教世界の九八パーセントまでは、まさにそれをやろうとしてずっと頑張ってきたわけだけどさ。といっても、それはぼくの名誉でもなんでもない。ぼくがたまたま、アッシジの聖フランシスのようなタイプに惹かれる人間じゃないというだけのことさ。ところがきみは惹かれるんだ。そして、それが、ぼくの考えでは、きみがこんな神経衰弱にかかる理由の一つなんだ。しかも、よりによって自家でそいつにかかる理由は、まさにそこにあると思うな。ここのうちはきみにはおあつらえ向きにできてるよ。サービスはいいし、簡単に水もお湯も亡霊も出る。これ以上好都合な所ってありゃしまい。ここでならきみはお祈りを唱えながら、イエスと聖フランシスとシーモアとハイジのじいさん(訳注ヨハンナ・スピリの『ハイジ』参照)とをみんな丸めて一つにしちゃうことができる」ゾーイーの声はほんのしばらくとだえたが、また「そいつがきみにわからんかな?いいかい、きみはなにも最低の人間なんかじゃ絶対にないのに、今この瞬間にも最低の物の考え方に首まで浸かってるじゃないか。きみのお祈りの唱え方が最低の宗教なだけじゃない。自分で知ってるかどうか知らないけど、きみの神経衰弱も最低だよ。ぼくはこれまで、本物の神経衰弱を二つほど見たことがあるが、そいつにかかった奴は、わざわざ場所を選んだりせずに-」
「やめて、ゾーイー!やめて!」フラニーはすすり泣きながら言った。

p156 (キャッチャーインザライ)
チャイルズってのはクエーカーでさ、しょっちゅう聖書を読んでいた。とてもいい奴で僕は好きだったんだけど、聖書に書いてあることでは、意見が一致しないとこがいっぱいあるんだ。特に十二使徒についてがそうなんだな。彼は、もし僕が使徒が嫌いだったら、イエスやなんかも嫌いなはずだって、そう言いはるんだ。だって、使徒はイエスが選んだんだから、その使徒も好きになるのが当然だって、そう言うんだよ。僕はこう言ってやった-イエスが使徒を選んだことは知っている。しかし、あれは手当たり次第に選んだんだ。イエスには一人一人を吟味して回るひまがなかったんんだ。だからといって、僕はイエスを責めたりなんかしてんじゃない。ひまがなかったのは何もイエスのせいじゃないんだから。いまでも覚えてるけど、僕はチャイルズに、ユダは自殺をした後で、地獄へ行ったと思うかって訊いたんだ。イエスを裏切ったりなんかしたあのユダさ。チャイルズは、もちろん、と言ったね。そこなんだな、僕が彼と意見の合わないのは。僕は、千ドル賭けてもいいけど、イエスは絶対にユダを地獄になんか送らない、と言った。今でも僕は、千ドル賭けるね、もしも千ドルあったらば。あの使徒たちだったら、どの人だって、ユダを地獄に送ったろうと思う-しかも、さっさとさ-しかし、何でも賭けるけど、イエスは絶対にそんなことはしない。

p193 (ゾーイー)
「何をしゃべっても、まるできみの『イエスの祈りを』を突き崩そうとしているように聞こえる。ところが実際はそうじゃないんだ。本当は、きみがその祈りを、なぜ、どこで、どんなふうに使うかという、それに反対してるだけだよ。人生におけるきみの義務、あるいは単なるきみの日常の義務、それを果たす代わりの替え玉として、きみがそれを使ってるんではないということを、ぼくは確信したいんだ−確信したくてたまらないんだ。だがもっとひどいことを言うと、君が理解してもいないイエスに向かって、どうして祈ることができるのか、ぼくには分からないんだよ−神に誓って分からんな。しかし、本当に許し難いと思うのはだね、きみもぼくとおなじくらいの分量の宗教哲学を漏斗で注ぎ込むようにして食わされてきた身であってみれば−本当に許し難く思うのは、きみがイエスを理解しようとしない点だよ。もしきみが、あの巡礼のように非常に素朴な人間であるか、あるいはまったくすてばちな人間であるのなら、あるいは弁明の余地があるかもしれない−しかしきみは素朴な人間じゃない。それにそんなにすてばちな人間でもない」そのとき、先ほど寝転んでから初めて、ゾーイーは、目は依然として閉じたままで、唇を硬く噛みしめた−それは(実を言うと)と括弧に入れて言うけれど、彼の母親がよくやる格好にそっくりであった。「お願いだから、フラニー」と、彼は言った「もしも「イエスの祈り」を唱えるのなら、それは少なくともイエスに向かって唱えることだ。聖フランシスとシーモアとハイジのじいさんを、みんなひとまとめにまとめたものに向かって唱えたってだめだ。唱えるのなら、イエスを念頭に置いて唱えるんだ?イエスだけを。ありのままのイエスを、きみがこうあってほしかったと思うイエスではなくだ。きみは事実にまっこうから立ち向かうということをしない。最初にきみを心の混乱に陥れたのもやはり、事実にまっこうから立ち向かわないという、この態度だったんだ。そんな態度では、そこから抜け出すこともおそらく出来ない相談だぜ」ゾーイーは、すっかり汗ばんでしまった顔を、いきなり両手で覆うと、ちょっとそのままでいて、それから放して、また手を組み合わせた。そして再び喋りだした。打ちとけて面と向かって言うような口調である「ぼくが当惑する点はだね、本当に当惑しちまうんだけどさ、どうして人が−子供でも、天使でも、あの巡礼のように幸運な単純家でもないのに−新約聖書から感じられるのとは少々違ったイエスというものに祈りを捧げたい気になるのか、そこがわからないことなんだ。いいかい!彼は、ただバイブルの中でいちばん聡明な人間というだけだよ、それだけだよ!誰とくらべったって、彼は一頭地を抜いてるじゃないか。そうだろう?旧約ににも新薬にも、学者や、予言者や、使徒たちや、秘蔵息子や、ソロモンや、イザヤや、ダビデや、パウロなど、いっぱいいるけど、事の本質を本当に知ってるのは、イエスの他に一体誰がいる?誰もいやしない。モーゼもだめだ。モーゼなどと言わないでくれよ。彼はいい人だし、自分の神と美しい接触を保っていたし、いろいろあるけれども−しかし、そこがまさに問題なんだな。モーゼは接触を保たなければならなかった。しかし、イエスは神と離れてないというとことを合点してたんだよ」そう言ってゾーイーはぴたりと両手を打ち合わせた−ただ一度だけ、高い音も立てずに、おそらくはわれにもなく打ち合わされた両の手であった。が、その手は、いわば音が出る前に、再び胸の上に組み合わされていた。「ああ、まったくなんという頭なんだろう!」と、彼は言った「たとえば、ピラトから釈明を求められたときに、彼を除いて誰が口をつぐみ続けただろうか?ソロモンではだめだ。ソロモンなどとは言わないでくれ。ソロモンだったら、その場にふさわしい簡潔な言葉をいくつか口にしたんじゃないか。その点では、ソクラテスも口を開かないとは保証できない。クリトンか誰かがなんとかして彼をわきへ引っぱり出して、適切な名言を二言三言記録にとりそうな気がする。しかし、とりわけ、何をさておいても、神の国はわれわれと共にある、われわれの中にある。ただわれわれがあまりにも愚かでセンチメンタルで想像力に欠けるものだから見えないだけだということを、聖書の中の人物でイエス以外に知っていた者があっただろうか?それをちゃんと知ってた者がさ。そういうことを知るには神の子でなければいけないんだよ。どうしてきみはこういうことが思いつかないのかな?ぼくは本気で言ってんだぜ、フラニー、ぼくは真剣なんだ。きみの目にイエスのありのままの姿がその通りに見えていなければだな、きみは『イエスの祈り』の勘所をそっくりそのまま掴みそこなうことになるんだぜ。もしもイエスを理解していなかったら、彼の祈りを理解することもできないだろう−きみの獲得するものは祈りでもなんでもない、組織的に並べられたしかつめらしい言葉の羅列にすぎないよ。イエスはすごく重大な使命を帯びた最高の達人だったんだ。これは聖フランシスなんかと違って、いくつかの歌をものしたり、鳥に向かって説教したり、そのほか、フラニー・グラースの胸にぴったりくるようなかわいらしいことは何一つやってる暇がなかったんだよ。ぼくはいま真剣に言ってんだぜ、チキショウメ。きみはどうしていま言ったようなことを見落とすのかな?神がもし、新約聖書にあるように仕事をするために、聖フランシスのような、終始一貫して人好きのする人格を持った人物を必要としたのだったら、そういう人物を選んだに違いないよ。事実は神の選びえた中でおそらく最もすぐれた、最も頭の切れる、最も慈愛に満ちた、最もセンチメンタルでない、最も人の真似をしない達人を選んだんだ。そういうことを見落としたら、断言してもいいけれど、きみは『イエスの祈り』の要点をきれいに掴み落としてることになる。『イエスの祈り』の目的は一つあって、ただ一つに限るんだ。それを唱える人にキリストの意識を与えることさ。きみを両腕に掻き抱いて、きみの義務をすべて解除し、きみの薄汚ない憂鬱病とタッパー教授を追い出して二度ともどってこなくしてくれるような、べとついた、ほれぼれするような、神々しい人物と密会する、居心地のよい、いかにも清浄めかした場所を設定するためじゃないんだ。きみにもしそれを見る明があるならば-『ならば』じゃない、きみにはあるんだが−しかもそれを見ることを拒むとすれば、これはきみがその祈りの使い方を誤っていることになる。お人形と聖者とがいっぱいいて、タッパー教授が一人もいない世界、それを求めるために祈ってることになってしまうじゃないか」

p191 、192(ゾーイー)
「お願いだからやめてちょうだい!」甲高い声でフラニーは叫んだ。
「あと一秒、たったの一秒だ。きみはいつもエゴをうんぬんするけど、いいか、何がエゴで何がエゴでないか これは、キリストを待たなければ決められないことなんだぜ。この宇宙は神の宇宙であって、きみの宇宙じゃないんだ。何がエゴで何がエゴでないかについては、神が最終的決定権を持ってるんだ。きみの愛するエピクテタスはどうだ?あるいはきみの愛するエミリ・ディキンスンは?彼女が詩を書きたいという衝迫を感じるたんびに、きみはきみのエミリに、そのいやらしいエゴの衝迫がおさまるまで、坐ってお祈りを唱えていてもらいたいと思うのかね?むろん、そうじゃあるまい!ところが、きみの友人タッパー教授のエゴは、これを取り去ってもらいたい。これは違うんだから、と、きみは言うだろう。そうかもしれない。おそらくそうだろう。しかし、エゴ全般についてきゃあきゃあ言うのはやめてもらいたいな。本当にきみが知りたいのなら言うけれど、ぼくの考えでは、この世の汚なさの半分までは、本当のエゴを発揮しない人たちによって生み出されているんだ。たとえば、タッパー教授だが、きみの言うところから判断して、教授が発揮してるもの、きみが教授のエゴだと考えているものは、エゴでもなんでもなくて、何かほかの、ずっと汚ない、はるかに表面的な能力だな。きみの学校生活もいい加減長いんだから、もう実情が分かってもいいころじゃないかね。無能な小学校の先生を一皮むいてみたまえ-その点じゃ、大学教授も同じだが-自動車修理工としては、あるいは石工としては第一級の人間が、働き場所を間違えてるんだという例に、二度に一度はぶつかるぜ。たとえば、ルサージを見ろよ-わが友人にして雇主なる、かの〈マジソン街の薔薇の花〉をさ。彼をしてテレビ界にせしめたものは彼のエゴであると思うだろう。ところが、さにあらず!彼はもはやエゴなんてものは持ってないよ-昔だってあやしいもんだ。彼はエゴを分割して趣味にしてしまったんだ。彼には、ぼくの知ってるところでは、少なくとも三つの趣味がある-そしてそれがみんな、動力工具や万力や、何やかやがいっぱいつまった地階の大きな1万ドルの作業室に関係がある。自分のエゴを、自分の本当のエゴを実際に発揮している人間には、趣味なんてものに向ける時間なんかありゃしないんだ」ゾーイーは不意に口をつぐんだ。相変わらず、目をつぶり、指を固く胸に、ワイシャツの胸に組んで寝転んでいる。が、いま彼はその顔をゆがめて意識的に苦しげな表情を浮かべた-どうやら、自己批判の表情と見受けられる。「趣味か」と、彼は言った「どうして趣味の話なんかに脱線しちまったのかな?」それからしばらく、彼は黙って転がっていた。

p203 (ゾーイー)
初めて会った一人の男と一人の女とが、東部に向かう汽車の中で話を交わし始めるとき、愛の関心とクライマックスが訪れる。
「ところで、あなた」と、クルート夫人が言った。一人の女というのは彼女なのだ。「グランド・キャニオンはいかがでした?」
「大した洞窟ですな」彼女の介添役は答えた。
「まあ、面白い言い方ですこと!」クルート夫人は答えた「あたしに何か弾いてくださらない?」

−リング・ラードナー(『短編小説作法』)−

(キャッチャーインザライ「夏休みの課題」)
「そうでもないと思います。いくつかなつかしくなることはあります。列車でペンティまで往復したこととか。食堂車にいって、チキンサンドとコーラを注文して、新刊でどのページもつるつるして真新しい感じの雑誌を五冊読んだこととか。それからトランクに貼ったペンティのステッカーも。あるときそれをみた女の人に、あら、アンドルー ウォーバックを知ってる、ってきかれたことがあるんです。ウォーバックのお母さんでした。先生も、ウォーバック、知ってますよね。すごく嫌な奴です。小さい子の手首をひねってビー玉を取り上げるようなやつです。でも、お母さんは感じのいい人でした。あのお母さんたら、頭が変になって病院に入れられてもおかしくないのに ー 母親ってのはだいたいみんなそうだと思います ー 息子を愛しているんです。思い込みの強そうな目には、あの子はすごい子なのよと書いてありました。ぼくは一時間くらい列車で、ウォーバックのことを話しました。学校では人気者で、みんな何をする時でもまず彼にききにいくとか。ウォーバックのお母さんは大喜びで、おおはしゃぎでした。たぶん、心の底では息子が嫌な奴だということは、なんとなくわかってたんだろうと思います。でも、そんなことはないよといってあげたんです。ぼくは、母親って好きなんです。どうしようもなく好きなんです」ぼくは口をつぐんだ。

p219 (ゾーイー)
「彼はこう言うの-文字通りこう言ったのよ-台所の食卓にたった一人座って、ジンジャーエールを飲んでソルト・クラッカーをかじりながら『ドンビーと息子』(訳注ディケンズの小説)を読んでいたら、不意にイエスがもう一つの椅子に座って、ジンジャーエールを小さいグラスに一杯もらえないかって言うんだって。小さいグラスにだってさ-そう彼が言ったの。つまりそんなことを彼は言うのよ。そのくせ、自分にはわたしにいろんな忠告だとかなんだとかを与える資格が完全にあると思ってんですからね。だからわたしもカッとしちゃったの!唾を吐きかけてやりたいくらい!ほんとよ!まるで精神病院に入ってるときに、ほかの患者がお医者さんの服装をしてやってきて、こっちの脈をとったりなんか、やりだしたみたい。…たまんないわ。喋って、喋って喋りまくるの。そして喋ってないときには、家じゅういたるところでくさい葉巻を吸ってるの。葉巻の臭いであんまりむかむかして、わたし、ぶっ倒れて死んじまいそうだった」

p280、281《テディ》
「すべてが神だと知って、髪の毛が逆立ったりなんかしたのは六つのとき。今でも覚えているけど、あれは日曜日だった。そのころ妹はまだ赤ん坊で、ミルクを飲んでたんだけど、全く突然に、妹は神だ、ミルクも神だってことが分かったんだな。つまり、妹は神に神を注いでたにすぎないんだ。分かるかしら、僕の言う意味?」

p100、101 (ゾーイー)
「いや、まったくその通り。まったくその通りだな。いきなり、ずばりと、ことの核心をつくところ、実に驚嘆のほかはない。ぼくは、全身、鳥肌立ってしまった。…おかげで霊感を得たよ。胸に火がついたみたいだね。べシー。あんた、自分でなにやったか知ってるかい?どういうことをやったのか、自分で納得してるかい?あんたはね、今度の問題に、新しい、斬新な、聖書的見方を与えたんだ。ぼくは、大学で、キリストの磔刑という問題について四つの論文を書いたけど-本当は五つだな-で、そのどれもがだね、何かが抜けてるような気がして、半分頭がおかしくなるくらい気がかりだったんだ。その抜けてるのが何だったか、今わかったよ。やっとはっきりした。キリストをぼくはまるきり違った各度から見られるようになった。彼の不健康な狂信性。まともで、控えめで、税金もちゃんと払ってるあのおとなしいパリサイ人たちをあんなに乱暴に扱った彼の態度。ああ、わくわくするなあ!べシー、あんたは、単純率直かつ頑固一徹に探りを入れて、新約聖書全体に流れていながらこれまで気づかれなかった主調音を探り当てたんだよ。なるほど、食い物が間違っていたのか!キリストはチーズバーガーとコークで生きてたんだ。おそらくキリストは一般大衆にも-」
「いい加減やめなさいよ」グラース夫人が口をはさんだ。おだやかではあるが要注意の言い方であった。

p227 (ゾーイー)
「あともう一つ。それでおしまいだ。約束するよ。実はだね、きみ、うちに戻ってきた時に、観客のバカさ加減をわあわあ言ってやっつけたろう。特等席から『幼稚な笑い声』が聞こえてっくるってさ。そりゃその通り、もっともなんだ-たしかに憂鬱なことだよ。そうじゃないとはぼくも言ってやしない。しかしだね、そいつはきみには関係のないことなんだな、本当言うと。きみには関係のないことなんだよ、フラニー。俳優の心掛けるべきはただ一つ、ある完璧なものを-他人がそう見るのではなく、自分が完璧だと思うものを-狙うことなんだ。観客のことなんかについて考える権利はきみにはないんだよ、絶対に。とにかく、本当の意味では、ないんだ。分かるだろ、ぼくの言う意味?」

p228 (ゾーイー)
これからウェーカーといっしょに舞台に出るってときに、シーモアが靴を磨いてゆけと言ったんだよ。僕は怒っちゃってね。スタジオの観客なんかみんな低能だ、アナウンサーも低能だし、スポンサーも低能だ、だからそんなののために靴を磨くことなんかないって、僕はシーモアに言ったんだ。どっちみち、あそこに坐ってるんだから、靴なんかみんなから見えやしないってね。シーモアはとにかく磨いてゆけって言うんだな。『太っちょのオバサマ』のために磨いてゆけって言うんだよ。彼が何を言ってるんだか僕にはわからなかった。けど、いかにもシーモア風の表情を浮かべてたもんだからね、僕も言われた通りにしたんだよ。

p213 (ハプワース)
もしブーブーが大人になったとき、人前での上品さや美しさが上部だけで、部屋でひとりきりでいるとき、誰にもみられていないときは、うすぎたないブタになってしまう、そんな人間になってしまったら、これほどいやなことはない。そういうことをしていると、少しずつ、くさっていくよ。

p176 (ハプワース)
あの議員と、ミスター・ハッピーの胸が悪くなるへつらいかたに腹を立てて、お腹のかわいい赤ちゃんが悪い影響を受けないようにくれぐれも注意してくださいって。本当にあの二人がくだらないことを話しているところは不愉快だった。ミセス・ハッピーは心から同意してくれた。その日、そのあとで、ぼくは彼女のために、嫌だったけどミスター・ハッピーのたっての頼みをきいて、夕食がすむと、バディとバンガローにいって、お客である、あの嫌な議員のために何曲か歌をうたったりした。だけどぼくは、腐敗臭の漂う場所にバディを連れて行く権利権利なんてなかった。だから心ひそかに、神様にぼくを罰してくださいと祈っている。出過ぎた真似をしたと思う。賢い弟に相談もしないで軽はずみに受けたりしちゃいけなかったんだ。ただ、招待を受けたあとふたりで相談して、タップシューズを履かないでいくことにした。ところが、これが大間違いで、ただの気休めに過ぎない事がわかった。その晩、場が盛り上がって、ぼくたちはソフトシュータップをすることになったんだ!皮肉なことに、僕たちのタップは最高の出来だった。それはミセス・ハッピーがアコーディオンを弾いてくれたからだ。美人で才能のない人が、アコーディオンで下手な伴奏をしてくれたら、そうならざるを得ない。ぼくとバディはすごく感動して、すごく楽しくなった。ぼくたちはまだ幼いけど、美人で才能のない人のためとなると、突っ込みどころ満載の、ひょうきんな引き立て役になってしまう。こういうところは直そうと思う。まったく、かなり大きな問題だよね。

p224 (ゾーイー)
「ぼくがどこにいようと、それに何の関係がある?サウス・ダコタ州のピエールだよ。僕の言うことを聴いてくれ、フラニー−ぼくが悪かった、あやまるから怒らんでくれ。そして僕の言うことを聴いてくれよ。あと一つか二つ、ごく簡単なことを言いたいだけだ。そしたらよすよ、それは約束する。しかし、ついでに聞くんだが、きみは知ってたかな、去年の夏、バディとぼくとできみの芝居を見に行ったんだぜ。何日か憶えてないけど、僕たちがきみの『西の国の人気者』を見たこと、知ってるかい?ものすごく暑い夜だった、それだけは間違いない。でも、ぼくたちがあそこに行ってたこと、きみ、知ってた?」
返事をしなければならないような感じである。フラニーは立ち上がったが、すぐまた腰を下ろした。それから灰皿を少し向こうへ押しやった。いかにもそれが邪魔だというふうに。
「いいえ、知らなかったわ」と、彼女は言った「誰も一言も−いいえ、わたし知らなかった」
「そうか、行ってたんだよ。ぼくたち、あそこに行ってたんだ。それからきみに言っとくけどね。あのときのきみはよかった。ぼくがいいって言うのは、口先だけじゃないからね。あのメチャメチャ舞台はきみのおかげでもったんだ。観客の中の陽に焼けた間抜けどもでもみんな、それは分かってたぜ。ところが聞くところによると、きみは芝居を永久にやめたいという−ぼくはいろんなことを聞いてるんだ、いろんなことを。シーズンが終わって帰ってきたとき、きみがやった大演説、あれも僕は憶えている、ああ、フラニー、ぼくは腹が立つよ。こんなこと言っちゃ悪いけど、きみには腹が立つよ。きみは俳優の世界は欲得ずくの奴らはダイコンだらけという、刮目すべき大発見をしたね。ぼくの憶えてるとこでは、きみは、結婚式場の案内者が天才ぞろいでないからといって参っちゃった誰かにそっくりだぜ。一体どうしちゃったんだよ、きみは?きみの頭はどこについてるんだ?きみの受けたのが畸形な教育だったら、せめてそれを使ったらいいじゃないか、使ったら。そりゃきみには、今から最後の審判の日まで『イエスの祈り』を唱えていることもできるだろう。しかし、信仰生活でたった一つ大事なのは『離れていること』だということが呑みこめなくては、一インチたりとも動くことができないんじゃないか。『離れていること』だよ、きみ、『離れていること』だけなんだ。欲望を絶つこと『一切の渇望からの離脱』だよ。本当のことを言うと、そもそも俳優というものを作るのは、この欲求ということだろう。どうしてきみはすでに自分で知ってることをぼくの口から言わせるんだい?きみは人生のどこかで−何かの化身を通じて、と言ってもいいよ−単なる俳優というだけでなく、優れた俳優になりたいという願望を持った。ところが今はそいつに閉口してる。自分の欲望を見捨てるわけにはいかないだろう。因果応報だよ、きみ、因果応報。きみとして今できるたった一つのこと、たった一つの宗教的なこと、それは芝居をやることさ。神のために芝居をやれよ、やりたいなら−神の女優になれよ、なりたいなら。これ以上きれいなことってあるかね?少なくともやってみることはできるよ、やりたければ−やってみていけないことは全然ないよ」

p37 (フラニー)
彼女はレーンを見やった。「役はいい役だったのよ。だからそんな顔をしてわたしを見ないで。そんなことじゃないのよ。もしも、そうね、わたしの尊敬する人が誰か−たとえば、兄たちでもいいわ−見に来ていて、わたしが自分の科白を聞かれたと仮定すると、わたしは恥ずかしくてたまらないってことなの。わたしはいつも何人かの人にお手紙を書いて、見に来ないでって言ってやったわ」彼女はまた胸の中を探るようにして「去年の夏の『人気者』のペギーン(訳注 シングの名作「西の国の人気者」のヒロイン)だけは例外。あれは本当にいい舞台にできたのに、ただ、プレーボーイをやったあのぼんくら君が、面白さをすっかり台無しにしてしまった。あんまりウィットなのよ−まったく、ウィットだったらありゃしない」

p219、220 (ゾーイー)
「葉巻は安定剤なんだよ、カワイコちゃん。安定剤以外の何物でもないんだ。もしも葉巻につかまらなければ、あいつ、足が地面から離れてしまう。ぼくたちはわれらがゾーイーに2度と会えなくなっちゃうぜ」
グラース家には、経験を積んだ言葉の曲芸飛行家が何人もいたけど、今のこういう科白を電話での話の中にうまく持ち込む腕前を持っているのはおそらくゾーイーだけだったろう。少なくとも筆者はそんなふうに思うが、フラニーもそう感じたのかもしれない。とにかく、電話の相手がゾーイーであることを彼女は突然悟ったのである。彼女はベッドの縁からおもむろに腰を上げると「わかったわ、ゾーイー」と、言った。「わかったわよ」
少し間があって−「なんだって?」
「わかったわ、ゾーイーって言ったの」
「ゾーイー?どういうことだい?……フラニー?きみ、そこにいる?」
「ええ、いるわよ。もうよしてよ、お願いだから。あなただってこと、分かってるのよ」
「一体きみは何のことを喋ってるんだい、カワイコちゃん。何の話かね?ゾーイーって誰のことだ?」
「ゾーイー・グラースのことよ」フラニーは言った。

p176 (ゾーイー)
昔なじみの共同解答者フラニーに、自分の芝居を見抜かれたことを察知した、とでもいった格好である。

p228 (ゾーイー)
彼は『太っちょのオバサマ』って誰だか言わなかったけど、それからあと放送に出るときには、いつもぼくは『太っちょのオバサマ』のために靴を磨くことにしたんだ−きみと一緒に出演したときもずっとね。憶えてるかな、きみ。磨き忘れたのは、せいぜい2回くらいだったと思うな。『太っちょのオバサマ』の姿が、実にくっきりと、ぼくの頭の中に出来上がってしまったんだ。彼女は一日中ヴェランダに坐って、朝から夜まで全開にしたラジオをかけっぱなしにしたまんま、蝿を叩いたりしてるんだ。暑さはものすごいだろうし、彼女はたぶん癌にかかってて、そして−よくわかんないな。とにかく、シーモアが、出演する僕に靴を磨かせたがったわけが、はっきりしたような気がしたのさ。よく納得がいったんだ」
フラニーは立っていた。いつの間にか顔から手を放して、受話器を両手で握っている。「シーモアはわたしにも言ったわ」と、彼女は電話に向かって言った「いつだったか、『太っちょのオバサマ』のために面白くやるんだって、そう言ったことがあるわ」彼女は受話器から片手をとると、頭のてっぺんにほんのちょっとだけあてたが、すぐまたもとに返して両手で受話器を握った。「わたしはまだ彼女がヴェランダにいるとこを想像したことはないけど、でも、とっても−ほら−とっても太い脚をして、血管が目立ってて。わたしの彼女は籐椅子に坐ってんの。でもやっぱし癌があって、そして一日じゅう全開のラジオをかけっぱなし!わたしのもそうなのよ!」

p11 (フラニー)
追伸。パパが病院からいただいてきたレントゲン写真を見てみんなホッとしました。腫瘍は腫瘍なんだけど悪性じゃないの。昨夜ママと電話で話しました。

p129 (ゾーイー)
「ママは聴いてんのかい?太っちょのドゥルイド教の婆さんよ」

p97 (ゾーイー)
彼女はシャワーカーテンに、X線のような視線を向けて「あんたたちはみんな、何の役にも立ちゃしないんだからね。まったくナンの役にもさ。お父さんという人は、こんなことになると、話をするのも嫌いになる。あんただって知ってるくせに!そりゃお父さんだって心配してますよ、当然−あの顔色で分かりますよ−でもね、お父さんて人は、何事にも正面からぶつかってゆく人じゃないからね」グラース夫人は口もとをひきしめた。
「あたしはお父さんが何かに正面からぶつかってゆくのを一度だって見たことがない。あの人は、変わったことや不愉快なことがあると、ラジオなんかかけてさ、イカレたのが歌でも歌いだすと、それでもう、そんなことはどっかへ行っちまうとと思ってるのよ」
姿の見えないゾーイーから、大きな爆笑が湧き起こった。それは彼のバカ笑いと聞き分け難いものだったけれど、しかし微妙な違いがあった。
「あら、そうですよ!」グラース夫人はきまじめに言い続けた。そして身を乗り出して「ねえ、あたしの意見を正直に言ってあげましょうか?どう?」
「どうって、べシー、どうせ言わずにはいないんだろう、だから、ぼくが何を言ったって結局は-」
「あたしの見るところじゃね-これ、まじめに言うんですよ-あたしの見るところじゃね、お父さんは、あんたたちがもう一度ラジオに出るのを聞きたがっているんですよ。こりゃ決してふざけて言ってんじゃない」グラース夫人はまた大きく息をついた。「お父さんはね、ラジオのスイッチをひねるたんびに、『これは神童』の番組を出して、あんたたちが、質問に答えるとこを、一人一人、もういっぺん聞いてみたいって、そう思ってるにちがいないのよ」彼女は固く口を結んで言葉を切った。その間を置いたことが無意識の強調になって「あんたたちみんなをよ」と、彼女は続けた。そして、急に少し身体を起こした。「というのは、つまり、シーモアのもウォルトのもっていうこと」彼女は一口大きく煙草を吸った。
「お父さんは過去に生きてるんですよ。まったく過去だけに。テレビだってろくに見やしない、あんたが出るときでなきゃね。笑うのはよしなさいな。おかしくなんかないわ」
「誰も笑ってやしないさ」

p277、278 (キャッチャーインザライ)
「ママはバスルームへ行くし、パパはラジオのニュースかなんかを聞くだろう。今が一番いいよ」

p229 (ゾーイー)
「ぼくはね、俳優がどこで芝居しようと、かまわんのだ。夏の巡回劇場でもいいし、ラジオでもいいし、テレビでもいいし、栄養が満ち足りて、最高に日に焼けて、流行の粋をこらして観客ぞろいのブロードウェイの劇場でもいいよ。しかし、きみにすごい秘密を一つあかしてやろう−きみ、僕の言うこと聴いてんのか?そこにはね『太っちょオバサマ』でない人間は一人もおらんのだ。その中にはタッパー教授も入るんだよ、きみ。それから何十何百っていう彼の兄弟もそっくり。シーモアの『太っちょのオバサマ』でない人間は一人もどこにもおらんのだ。それがきみには分からんかね?この秘密がまだきみには分からんのか?それから−よく聴いてくれよ−この『太っちょのオバサマ』というのは本当は誰なのか、そいつがきみに分からんだろうか?……ああ、きみ、フラニーよ、それはキリストなんだ。キリストその人にほかならないんだよ、きみ」

p193 (ゾーイー)
「お願いだから、フラニー」と、彼は言った「もしも「イエスの祈り」を唱えるのなら、それは少なくともイエスに向かって唱えることだ。聖フランシスとシーモアとハイジのじいさんを、みんなひとまとめにまとめたものに向かって唱えたってだめだ。唱えるのなら、イエスを念頭に置いて唱えるんだ?イエスだけを。ありのままのイエスを、きみがこうあってほしかったと思うイエスではなくだ。きみは事実にまっこうから立ち向かうということをしない。最初にきみを心の混乱に陥れたのもやはり、事実にまっこうから立ち向かわないという、この態度だったんだ。そんな態度では、そこから抜け出すこともおそらく出来ない相談だぜ」ゾーイーは、すっかり汗ばんでしまった顔を、いきなり両手で覆うと、ちょっとそのままでいて、それから放して、また手を組み合わせた。そして再び喋りだした。打ちとけて面と向かって言うような口調である「ぼくが当惑する点はだね、本当に当惑しちまうんだけどさ、どうして人が−子供でも、天使でも、あの巡礼のように幸運な単純家でもないのに−新約聖書から感じられるのとは少々違ったイエスというものに祈りを捧げたい気になるのか、そこがわからないことなんだ。いいかい!彼は、ただバイブルの中でいちばん聡明な人間というだけだよ、それだけだよ!誰とくらべったって、彼は一頭地を抜いてるじゃないか。そうだろう?旧約ににも新薬にも、学者や、予言者や、使徒たちや、秘蔵息子や、ソロモンや、イザヤや、ダビデや、パウロなど、いっぱいいるけど、事の本質を本当に知ってるのは、イエスの他に一体誰がいる?誰もいやしない。モーゼもだめだ。モーゼなどと言わないでくれよ。彼はいい人だし、自分の神と美しい接触を保っていたし、いろいろあるけれども−しかし、そこがまさに問題なんだな。モーゼは接触を保たなければならなかった。しかし、イエスは神と離れてないというとことを合点してたんだよ」そう言ってゾーイーはぴたりと両手を打ち合わせた−ただ一度だけ、高い音も立てずに、おそらくはわれにもなく打ち合わされた両の手であった。が、その手は、いわば音が出る前に、再び胸の上に組み合わされていた。「ああ、まったくなんという頭なんだろう!」と、彼は言った「たとえば、ピラトから釈明を求められたときに、彼を除いて誰が口をつぐみ続けただろうか?ソロモンではだめだ。ソロモンなどとは言わないでくれ。ソロモンだったら、その場にふさわしい簡潔な言葉をいくつか口にしたんじゃないか。その点では、ソクラテスも口を開かないとは保証できない。クリトンか誰かがなんとかして彼をわきへ引っぱり出して、適切な名言を二言三言記録にとりそうな気がする。しかし、とりわけ、何をさておいても、神の国はわれわれと共にある、われわれの中にある。ただわれわれがあまりにも愚かでセンチメンタルで想像力に欠けるものだから見えないだけだということを、聖書の中の人物でイエス以外に知っていた者があっただろうか?それをちゃんと知ってた者がさ。そういうことを知るには神の子でなければいけないんだよ。どうしてきみはこういうことが思いつかないのかな?ぼくは本気で言ってんだぜ、フラニー、ぼくは真剣なんだ。きみの目にイエスのありのままの姿がその通りに見えていなければだな、きみは『イエスの祈り』の勘所をそっくりそのまま掴みそこなうことになるんだぜ。もしもイエスを理解していなかったら、彼の祈りを理解することもできないだろう−きみの獲得するものは祈りでもなんでもない、組織的に並べられたしかつめらしい言葉の羅列にすぎないよ。イエスはすごく重大な使命を帯びた最高の達人だったんだ。これは聖フランシスなんかと違って、いくつかの歌をものしたり、鳥に向かって説教したり、そのほか、フラニー・グラースの胸にぴったりくるようなかわいらしいことは何一つやってる暇がなかったんだよ。ぼくはいま真剣に言ってんだぜ、チキショウメ。きみはどうしていま言ったようなことを見落とすのかな?神がもし、新約聖書にあるように仕事をするために、聖フランシスのような、終始一貫して人好きのする人格を持った人物を必要としたのだったら、そういう人物を選んだに違いないよ。事実は神の選びえた中でおそらく最もすぐれた、最も頭の切れる、最も慈愛に満ちた、最もセンチメンタルでない、最も人の真似をしない達人を選んだんだ。そういうことを見落としたら、断言してもいいけれど、きみは『イエスの祈り』の要点をきれいに掴み落としてることになる。『イエスの祈り』の目的は一つあって、ただ一つに限るんだ。それを唱える人にキリストの意識を与えることさ。きみを両腕に掻き抱いて、きみの義務をすべて解除し、きみの薄汚ない憂鬱病とタッパー教授を追い出して二度ともどってこなくしてくれるような、べとついた、ほれぼれするような、神々しい人物と密会する、居心地のよい、いかにも清浄めかした場所を設定するためじゃないんだ。きみにもしそれを見る明があるならば-『ならば』じゃない、きみにはあるんだが−しかもそれを見ることを拒むとすれば、これはきみがその祈りの使い方を誤っていることになる。お人形と聖者とがいっぱいいて、タッパー教授が一人もいない世界、それを求めるために祈ってることになってしまうじゃないか」

p230 (ゾーイー)
たっぷり三十秒かそこらの間、言葉は切れて、演説は終わった。が、それから「もうこれ以上喋れないよ、きみ」という声が聞こえ、続いて受話器をかける音がした。
フラニーは軽く息を吸い込んだが、そのまま受話器を耳にあてがっていた。接続が断たれたのに続いて、もちろん、発信音が聞こえるだけであった。それが並々ならず耳に快い音であることに気がついたといったような彼女のようすである。原始の静寂にとって代わるものがあるとするならば、この音にまさるものはないといったような。同時にまた、この世にある知恵のすべてをいま急に把握したように、いつこの音から耳を離すべきかをも心得ているような様子にも見えた。もとの通りに受話器をかけた彼女は、次にすべきことをも承知しているふうで、煙草道具を片付けると、今まで坐っていたベッドのベッドカバーを裾の方に向かってまくり返し、スリッパを脱ぐと、ベッドの中に入った。そして、しばらくの間、天井に微笑を向けながら、静かに黙って横たわっていたが、やがて深い、夢もない眠りに入っていった。

ゾーイー 完

やっぱり最後にフラニーとゾーイ持ってきて正解だったね。今までしてきた事の集大成って感じでアベンジャーズのラストか!!!ってくらい色んな物語からこのフラニーとゾーイーに集まってくるし、最後のとこに関してはもうナルトの五影会談か!!!くらいこれでもかってくらい集結するやん🙄とりあえず夏休み中に終わってよかった!
明日からは気が向いた時にでも所々ミスとかあるかもだから点検しつつ修正してこ٩( ᐛ )و
もう画面とにらめっこしすぎて、うう〜目眩が〜とか言いながらやってたけど、普通にそん時酔っぱらってただけだった。後から気づいた。そういやお酒飲んでたわって。大雨とお酒が筆を進めた🖌🖌🖌

          完了

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