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権力的ファッションリーダー

PM10時

一日中頭痛で寝込んでいたが、この夜中のふとしたタイミングで急に頭痛が消えた。
天候による体調不良を抱える人には共感できることかもしれないが、体調がすぐれない時は何をしてもすぐれないが、良くなる時は何もしてないのにいきなり良くなる。すべては神の思し召し。なんだおぼしめしって。
「東京オボシめし」
元祖焼きオボシ丼の店として東京に店舗を爆増させたのち、急に店舗数を減らしていこうかな。なお、現在は香港を中心として海外で人気を博している模様。

(参考 https://www.itmedia.co.jp/business/articles/2208/22/news028.html


午後10時ではあるが、その日一日は何も食べていなかったため、僕はその時間でも空いているリンガーハットへタイヤを運ぶこととした。

「え、北海道コーンみそちゃんぽんはもう終わったんですか?」
「終わりました」
「じゃ、野菜たっぷりちゃんぽんで。」

「なんか新商品って移り変わり早いな」と思いながら野菜たっぷり食べていたところ、僕しか客のいない店内で店員のおばちゃん2人による大愚痴大会が開催された。「田中さんはもうあれはパワハラよ!」「そうよ!絶対に出るところ出てやるわ!!」「遠藤店長も頼りない!!あんな人に何を言っても無駄!!」「ほんと、なーーにもしない!!あの人は!私の方が10倍働いてるから給料もっとよこしなさいよ!!」

レジの時「すみませんねぇうるさくして」と言われた。
自覚はあったのか。むしろだめだろ。
僕は「まぁいろいろありますよね。」と言った。(ココリコみたいな登場人物ですねとは言わなかった)



僕が権力的ファッションリーダーと初めて出会ったのは小学4年生の頃だ。

僕の小学校は荒れに荒れていたが、僕は常にイジメられもせず、イジメもせずの中立的ポジションにいた。当然、権力的ファッションリーダーでもなかった。

権力的ファッションリーダー曰く「ランドセルってダサくね?」だ
学年一のヤンキーだった加藤はこの令を発布し、自らもランドセルの代わりにアディダスの普通のリュックを背負って登校するようになった。それからその風潮は加藤の仲間を中心に広まり、学年の壁を越え、ついには学校全体へ広まることになった。
人々のしがらみに影響されないポジションの僕であっても、権力的ファッションリーダー加藤のインフルエンシー(インフルエンサーの影響を受ける側の人の意)になることは逃れられなかった。
あの時いったいどれぐらいの人がランドセルをやめてリュックになったのか、はっきりとは覚えていないが、記憶が正しければ学年の90%はリュックに移行したような気がする。

しかし、僕を含めて数人は6年生の途中からランドセル回帰した。
理由は「せっかく親に買ってもらったものを使わずにいるのはなんとなく勿体ない(かわいそう)」だった。ランドセルに戻してもランドセルダサいというイメージ像は残ったままだった。
もちろんランドセルはべつにダサくねぇのだが、発言に力のあるヤンキーの加藤が言うのだから、学校全体がそのように錯覚してしまう。


だいぶ前になるが、仕事中に僕は手順Bを使って作業をしていたところ、同業者たちから「手順Aの方が効率がいいに決まってるので手順Aでしろ」といった感じのことを言われた。
この手順Bは手順Aの問題点等を是正し、新たに作られたものだったので、手順Bの方が効率がいいに決まっているのだが、僕はしぶしぶ手順Aで進めることになった。
これも権力的ファッションリーダー案件だなと思った。田舎や狭いコミュニティでは特に権力的ファッションリーダーが現れがち。


「異端とされていた天動説がなぜ突然受け入れられるようになったと思いますか」
「えっ、それは天動説の根拠を研究して、みんなが納得したからではないんでしょうか?」
「いや、それは違います。地動説を唱える老害が全員この世を去った後に広まったんだよ」

僕の母校の近くを通った時、ランドセルではなくリュックの子どもは一人も見かけなかった。

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