ロスチャイルド銀行は、ミッテラン大統領に国有化された。

ミッテラン共和国大統領

ツイッターにて、ミッテラン共和国大統領の政権下、ロスチャイルド銀行(ロスチャイルドフレール)が国有化した内容をツイートしました。私自身、クレディ・コマーシャル・ド・フランスというHSBCコンチネンタル・ヨーロッパの前身の銀行を追いかけていたところ発見した内容で、興味深く、自分でも読み直したいと思い、ここに残します。

ツイッターも、いつまで使わせてもらえるかわからないので(削除されてもおかしくないことばかりつぶやいてますし・笑)、noteの方にもまとめながら、使いたい方には利用しやすいように、情報を置いておきます。

ミッテランの国有化政策によってロチルド家の銀行は国有化され、「ヨーロッパ銀行(のちのバークレイズ)」と改名された。代償金は支払われたものの、銀行業からはもっと大きな収入が上がるのでロチルド家にとっては大きな痛手となった。ギーは「工業化の進んだ国の社会主義政党は国有化などはるか以前に捨てたのに、なぜこのように無益で金のかかることをするのか。銀行の国有化は経済についての左翼の途方もない無知と時代遅れのイデオロギーへの隷従を示すものでしかない」と批判し、「ペタンの下ではユダヤ人、ミッテランの下ではパリア(インドの不可触民)。一度しかない人生を2度も廃墟の上から復興しろというのはあんまりだ」と嘆いた。

https://ja.wikipedia.org/wiki/ギー・ド・ロチルド
横山三四郎『ロスチャイルド家 ユダヤ国際財閥の興亡』講談社、1995年。

彼(ミッテラン大統領)は、大統領選に先立ってロチルド一族が経営に参加しない場合、銀行の名前にロチルドの名前を付けられなくなるよう法的処置を施していた。また、スイス・チューリッヒにイギリスのN・M・ロスチャイルド&サンズと連携する銀行を作り、ニューヨークにも投資家会社を足場として作っておいたのである。ギーは「社会主義の実験」が行われている間、アメリカに移住して失敗の時を待っていた。

池内紀『富の王国ロスチャイルド』東洋経済新報社、2008年。

結局ミッテラン政権の社会主義政策はわずか2年で破綻して見直しが迫られ、共産党は政権を離脱し、自由主義路線へと復帰した。それ見たことかと溜飲を下げたギーは、1984年にもパリへ戻った。フランスにギーの長男ダヴィドを頭取とする「パリ・オルレアン銀行」を作り直し(ロチルドの名前で再建したかったが、ミッテラン政権に禁止されたらしい)、昔からの顧客を取り戻していった。

さらに1986年の議会の総選挙で社会党が敗れ、シラクの保守内閣が発足すると国有化された財産の一部がロチルド家に返還され、また銀行にロチルドの名前を復活させることも認められて、パリ・オルレアン銀行を「ロチルド会社銀行(Rothschild &companie banque)」と改名した。同銀行はダヴィドの指導の下、再び成功を収めた。

ダヴィドはギーが進めたロンドン家とパリ家の統合の動きを更に進め、2003年に両銀行を統合したロスチャイルド・コンティニュエーション・ホールディングスを創設している。フランスでの銀行業務は現在傘下のロチルド & Cie(フランス語版)が担っている。

ヨアヒム クルツ(ドイツ語版)『ロスチャイルド家と最高のワイン 名門金融一族の権力、富、歴史』日本経済新聞出版社、2007年。

ロチルド銀行が、財産を没収され、クレディ・コマーシャル・ド・フランスに売却され、さらにバークレイズになって、一旦消失する、という流れが、ミッテラン大統領の任期、数年で起こったことで、再度その名前は戻るけど、もともとのロチルド銀行はなくなってるんですよね。

今、巷では、ロスチャイルドというと、恐れる者はなく、その金融帝国はこれからもずっと続く・・・のような論調の記事が多いように思えますが、本当にそうでしょうか。
私たち一般市民が団結して、知恵を集めたら、方法は見つかるのではないでしょうか。まあ、私みたいな変わり者以外、誰もそんなことは言わないのですけどね・笑。
ロチルドの名前を使えないように、大統領になる前から、したたかに準備していたというミッテラン大統領の、老獪な、というか考え抜かれた台本に、ほんと舌を打ちます!(あら、舌を打ったのはロスチャイルド家ですね!)
もし、彼が今も生きていたら、なんて言うのかな。

1995年5月、2期14年の任期を終えて退任した。翌年1996年1月8日、前立腺癌により、アンヌ親子に見守られてパリの自宅で死去した。ミッテランの主治医だったクロード・ガブラー(フランス語版)医学博士は、ミッテランの死後に"重大な秘密(フランス語版)"という題名の著書を発表し、ミッテランは1981年5月から1995年5月の任期の大部分を前立腺癌の治療を続けながら大統領職を務め、2期目の任期の終盤には癌の進行により大統領職の遂行が困難な状況だったが、その病状は公には秘匿され、選挙時や大統領在職中のミッテランの心身の状況について健康であると偽装して発表されていたと述べた[2]。ミッテランの家族はガブラーが守秘義務を守らず、ミッテランの病状を公開したことに対してガブラーと出版社に訴訟を提起した。

https://ja.wikipedia.org/wiki/フランソワ・ミッテラン

どうも、任期のはじめから、ミッテラン大統領は、自分の病気を知り、その仕事をやり抜くことを、自分の人生の使命のように思ってたかもしれないですよね。まだ、ミッテラン大統領関連の著書をほとんど読んでないので、そのうち、感想は変わるかもしれないですが、欧州連合とユーロの創設を主導したのも、国有化や死刑廃止、社会制度改革と同じように、国民の命と、経済的な苦しみのない国家のために、考え出したことなのかなと思います。

少なくとも、一般庶民に馬の糞を投げつけられている(やれやれ・汗)マクロン大統領とは違い、フランス国民から絶大な支持を得ている様子を見ると、現今のグローバリズムから遠いところにいた人だろう、と。
そんなことを感じます。

メディアがあまりにも、曲解して、あなたを貶めてるので、
ここに私の思いを、置いておきますね。ミッテランさん。


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