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好きになれた秋を

昨秋、ようやく告白に応えられた気がする。

今まで秋とは、パッとしない季節だった。嫌いだとか、苦手意識があったわけじゃない。ほかの季節と比べて向き合い方がわからなかった気がする。

今まで向き合う必要すらなかったのかもしれない。文化祭、部活の新人戦、修学旅行に、模試とイベントだらけの学生の秋だったと振り返って思う。秋という季節を意識する間もなく、クリスマスと年末が目の前にあった。

学祭にもハロウィンにも参加しない学生には、慣れた普通の数か月しか残らない。

○○の秋、と秋をPRするフレーズもあるけれど、全くと言っていいほど信じていなかった。芸術も運動も読書も食欲も、365日向き合えばいいのだから。


夏の暮れに、1枚のアルバムを聴いた。Bill Evans Trio 『Portrait in Jazz』。
部屋の模様替えがしたいと思って、インスタで部屋づくりをみていた。韓国のアカウントだったと思う、その部屋にはレコードが数枚並べられていた。ちょうど私がレコードに関心を強くしていた時期で、部屋にレコードを飾ることに惹かれていた。その部屋にあるレコードの半分ほどは見知ったもので、私とセンスが似ていた。そのなかにあった一枚こそ、『Portrait in Jazz』だった。どこかで見た覚えはあったけれど、どんなアルバムだったかタイトルすら覚えていなくて、現代の技術に訊いてみた。すると、ジャズの名盤らしい。

大学からの帰り道に初めて聴いてみたときのことは、よく覚えている。
高尚な音楽だと思っていたジャズが純粋に美しいと思った。ジャズはセッションする音楽だというイメージがあったが、まさにそれを体現するような音楽だった。ドラム、ベース、ピアノと三者の楽器が会話するように、感じられた。聴いていた私はニヤッと笑っていたと思う。
これが私とジャズの出会い。

初めてポートレイト・イン・ジャズを聴いた夜の月

その秋、本は恩田陸の『蜜蜂と遠雷』を読み始めて少しの時期に、神保町の古本市の存在を知った。友達に声をかけると、偶然ひとりで行く予定だったとのこと。実はそれまで神保町には行ったことがなかったから、とても楽しみにしていた。想像よりも多くの人が通りを賑わせていて、本当にさまざまな古本屋があって時間がいくらあっても足りないくらいだった。ボロボロになった名著から、丁寧に梱包されたかつての雑誌、浮世絵まであった。本の街の大きさに、積み重ねてきた日本の出版の歴史の一部を目で見た気がした。
結局その日に買ったのは、ルーズ・ベネディクト『菊と刀』、ウィークリー『ことばのロマンス—英語の語源—』、H.G.ウエルズ『タイム・マシン』と富嶽三十六景の一枚。
初めて秋と読書が自分の中で繋がった日だった。

たぶんはじめての岩波文庫

雑誌と小説を持って井の頭公園に行った。金欠気味だったから、お金をかけずにできる遊びとして公園で本を読むのにハマりかけていた。池を囲む木々の葉が色を変えている最中だった。ちょっと秋らしい風景だと思った。自分のための日だったから、好きな無印良品のトレンチコートを着た。自分ひとりの日こそ、好きな服を着たい。駅前を散策していたときに見つけた素敵なパン屋でいくつかのパンと紅茶を買った。私はコーヒーよりも紅茶派なんだ。
吉祥寺は定期圏内だったのに、一度も来なかったなんてもったいなかったと思う。また来ようと思う。あと数週もしたら、イチョウの色づきもちょうどいい頃合いだろう。その頃にまた来る。
公園内をぐるりと歩いて、そろそろ帰ろうとしたときに、スマホから音楽を再生しようとする。再生途中だったのは、ビル・エヴァンスのあのアルバムの「Autumn Leaves」だった。

平日の気持ちよい昼間の井の頭公園

11月の半ばには、『蜜蜂と遠雷』は下巻に突入し、あと数十ページだった。
大学は夕方からだったので、その前に寄り道をすることにした。紅葉のシーズンだったので昭和記念公園でイチョウを見たいと思ったのだ。
ちょうど美しいイチョウの並びが見えるところにベンチがあったので、座って読書を再開した。最後の1ページまで読み終えた。感動と達成感があった。ストーリーは面白いけれど、上下巻で長くもあるので、その両方が胸の中にあった。読書のときには、その環境もすごく大切だと思うが、とくに読み終えるときは読後感に大きく作用するので大切にしている。この小説が満開のイチョウの中で読み終えられて、本当に幸せだった。
そのまま奥の方まで散歩して、授業に遅れそうで小走りで駅まで向かった。

狙ったみたいにぴったりの1枚

冬のはじめ、本格的なコートが街に登場したころ私は再び吉祥寺にいた。バイトの先輩と喫茶店でナポリタンを食べていた。決して広くない店内で、いたって普通のナポリタンだったけれど、思い出深く思える。
1度目の吉祥寺が楽しかったものだから、いくつかお店を知っているという先輩に連れて行ってもらうことになっていた。職場で仲良くさせてもらっているけれど、プライベートで会うのは初めてで、少し緊張した。先輩は服も音楽も、インスタから染み出るすべてがセンスが良くて、憧れていた。どこからそんなにクールな感性が育まれるのだろうと。そのうえ、すごく人が良かったから、敵わないとずっと思っていた。
ちいさな本屋と家具屋を覗いてから、街のはずれにあるレコード屋を紹介してくれた。先輩もここへ来るのは初めてで、友達に教えてもらったらしい。そのレコード屋はすべての1枚に店主のコメントが書いてあって、それがものすごく丁寧なものだった。作品のルーツだとか、ミュージシャンのことが書かれていたと思う。すぐにその店に惚れてしまって、あちこちレコードを掘っていた。ふと顔を上げると、クラシックのコーナーにいた先輩はそこに馴染んでいた。落ち着いた雰囲気と、私よりも高い身長とシックなコートがこの上なく似合っていた。
私たちは1枚ずつレコードを買った。先輩はクラシックのピアノの1枚で、私は真っ赤なジャケットのジョン・コルトレーン・カルテットのコペンハーゲンでのコンサートにした。ジョン・コルトレーンはまだ聴いたことなかったけれど、先輩の前で背伸びしたかったし、そのジャケットがなんだかよかった。コペンハーゲンという旅行で訪れた街に関わりがあったのもよかった。
帰り道、レコードプレイヤーを実はまだもっていないことを話すと、先輩も同じだと言った。すでに数枚のレコードを持っているから、プレイヤー欲しいなぁという話をして別れた。

飲み物はこの日も紅茶
シンプルで魅力的な赤のジャケット


輪郭をもって意識されていなかった「秋」が、こうして立ち上がってきたのは幸福なことなんだと思う。秋を歌った曲が少ないけれど、次からはビル・エヴァンスを聴けばいい。読書とジャズが私に秋を描いた。

日本では、少しずつ街の風も冷たくなってきたころだと思う。南半球では暑くなって昼間は30度まで上るから、幸せな秋を想ってこの文章を書くことにした。


先輩はこの春から小学校の先生として働いているらしい。
落ち着いたときにまたレコード屋へ誘ってみたい。