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仏教と道教って何が違うの?孔子と老子と陳情令

特に理由もなく、20年以上前から私は道教系・密教系の術式を使っておりまして、それがあまりにも自然な流れだったため疑問も何も持たずにいたのですが。(宗教を信仰しているわけではないです)
過去世に陰陽道の術式を使っていたのかな~と、思っています。
(以前の部活で行った、夢を叶えるノートの書き方の後半でお伝えしたのが、道教の仙師が使っている技法です)

最近、アマゾンプライムで「陳情令」という素晴らしい中国ドラマを見まして、美しくかっこいい仙師(せんし/陰陽師)がたくさん出てきます。

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このドラマでも使われている道教の御札や陰陽の術式は、私も一部使うことがあるものです。

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(ドラマなので、細かい点は正式な護符とは変えていると思います)
道教の方位術は、現代の架橋伝統風水にも通じるものがあります。

https://mdzs.jp/drama/

それは、一辺倒な「教え」ではなく、状況に応じて「地を観る」こと。
風水も、その環境を観察し、良い風を起こす工夫(ほどよい動きを作り活性化する)をことです。
活性化しすぎな場合は、風を鎮め、沈静化させます。

現代の占いの多くが道教から通じています。
で、道教っていうけど、仏教とか神道とは何が違うの?って聞かれると、うまく説明できないのでちょっとまとめてみました。

私の理解でざっくりいうと・・・という感じですので、詳しくは専門書などをご参照ください。

【神道(しんとう)】

特定の教祖や教えを持たない八百万の神を信仰する日本発祥の民族宗教。開祖が存在せず、万物に神が宿るという考え。多神教。
自然や物、偉人など様々なものが神として祀られる。
日本各地の神社。

【仏教(顕教)】

仏教(別称:顕教)はお釈迦さまの教えをもとに修行をし「修行を長年積んでこそ成仏する」という思想。基本的に、生きることは苦行と捉え、その上で喜怒哀楽を超えて悟れると考えられている。
悟りを得るのはなかなか難しく、超絶長い期間の修行を乗り越えた末、さらに長い時を経て成仏に至れる。
自分の心の中の「仏」を目覚めさせ、仏と一体になった境地を実感するため、「悟りを開くことを目的」としたインド発祥の宗教。

【密教】

密教は、インドの釈迦を開祖とし、仏教(顕教)とは 一線を画す。
日本とチベットで独自の発展を遂げる。
すべては大日如来が姿を変えたものであり、姿形が異なるだけという考え方。
一人ひとりの中に宿る「可能性」を仏(悟り)とし、仏(悟りが開ける)可能性は誰にでも宿っているという思想。自分と繋がって可能性を開いていくことで、(長時間かけて苦行をし続けなくても)みんな成仏できる可能性がある。
成仏したいなら尚修行が必要とする顕教とは違い、生きているうちからでも仏と一体になることは出来るんですよという考え。

【道教】

中国で自然発生した多神教。
「道(タオ)」と「無為自然(むいしぜん)」の思想。
理想を追い求めず過ぎず、自然に身を委ね信頼して生きる。
「解脱や悟りを目指す」という仏教のような目標をもたず(悟りたい!自体が欲望)、自然のリズムで水のように生きることで真実の道=全体性につながる。
易や陰陽五行、神仙思想も含む。(陰陽師/おんみょうじもこれ)
お祓い、占い、姓名判断、風水といった巫術(ふじゅつ)など、上流階級や庶民から広く親しまれ、精神の拠りどころとなった。
老子(ろうし)曰く、【「道(タオ)」は超越的で人間にはとらえがたいものだが、天地万物を生じるという偉大な働きをし、「気」という形で天地万物の中に普遍的に内在している】。
人間の口で、説明することさえできない何か(奇跡・不思議)って、色々あるよね~的な度量の広さがある。

スピリチュアル系の人に流行っているタオなんちゃらとは別物。

スピ系のタオなんちゃらは別物!(余談)


余談ですが、タオなんちゃら(??)いうスピリチュアル系の教義を学び始めた知人がいました。その人によると教義では、道路で倒れている人がいても無視するのが自然と言っていました。「仮に私が倒れていたら、救急車呼んでくれないんですか?」というと、「呼びません!」とのこと。長い付き合いや道徳心よりも、イカれた教義が心にマッチしたようです。

本来は困っている人を無視する教えではなく、自然な流れで助け合うこと。

アドラー心理学も似たところがあると思うんですが「個を尊重し、他人の領域に踏み込みすぎない」という一つのあり方を「子供を無視する・他人を無視する」と誤った・・・というか、過剰というか・・・、なんだか違う解釈をしてしまう人もいたりするので、捉える者の技量によっては教え方に工夫が必要な気がします。

【儒教】

孔子を始祖とされる。父親家系の秩序を重視する「俗世道徳」。
墓参りを推奨。
人を思いやる気持ちと、その気持ちを態度としてあらわす礼儀作法を大切にする。
人を愛することを理想とし、互いに学び合い、人々の努力で平和を保つ。序列に厳しい。

【三教合一】

道教・仏教・儒教を一つにまとめた教義。

孔子と老子

孔子と老子については、知好楽さんのブログの記事がわかりやすく、大変勉強になりました。下にリンクを貼らせて頂きましたので、全文は知好楽さんの公式ブログで読んで頂くと、とてもおもしろいと思います。

『儒教』は孔子の思想が元となって出来上がった教学ですが、孔子の思想の原点は、”戦乱で乱れた社会の秩序を取り戻す”というところにありました。そしてその拠り所を、人が生来持っている「仁(思いやりの心)」に置き、それを基盤として「徳」ある人物を育て、その人物が国を治める「徳治政治」を目指したのです。
それに対して老子は、それらのものを世俗的価値として否定します。その背景には次のようなことがあったと私は推察しています。当時は戦乱の世の中が長く続き、識者の中にはそういった世の中を避けて暮らす者も多かったようです。(中略)”人が作為を持って行った行為(戦乱)が、このように世の中を乱れさせたのだ。人の作為は世の中に混乱と堕落しか生まないのだ。人間は自然の営みに沿って素朴に生きるべきなのだ。”というのが老子の目指す生き方であったのです。

孔子と老子の主張は、対極的であるように見えますが、その背景には、乱れた世相、その元凶である人間の欲と愚かさを憂える心が共通して有ります。また私たちの心の中にも、人間関係や社会を健全に保つために道徳を大切に思う心と、人間関係の煩わしさを避けて自然の中で素朴に生きたいという心が同居しています。しかしどちらに偏った生き方も現実的ではありません。その意味では、両者の思想の本質を学び、生き方に取り入れていくというのが、私たちが孔子・老子を学ぶ時の好ましい姿勢なのではないでしょうか。

孔子と老子についての知好楽さんの記事は下記URLをご参照ください。

https://chikoraku3.hamazo.tv/e8821665.html


子宮腺筋症という激痛難病と不妊治療をしながら女性のための占いやメンタルトレーニングを教える活動をしてます。「自分の軸」を整えると、パートナーともうまく行きやすくなり、子育てや人間関係もうまく行きやすくなり、やがて世界平和に繋がるとおもうのです。サポート費は今後の活動に役立てます!