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さよならチバユウスケ


*チバユウスケの訃報を知って、すぐに書いています。恐らく読みにくい文章になっているかもしれません。しかし、書き留めておかなければならないと思ったので、書きます。ご了承ください。


2023年12月5日、12時過ぎ。私はチバユウスケの訃報を知った。

彼は現在はThe Birthdayのボーカルとして活動を行っていた。
そして、少し前に病気の療養のため休養することが発表されていた。
俺は、その病状が軽いものではないことを知っていた。

彼は、俺の中ではとんでもなく大きい存在だった。
以前私がミッシェルガンエレファントを知ったきっかけを書いたが、アベフトシ、ウエノコウジ、クハラカズユキ、そしてチバユウスケは間違いなく俺の憧れだった。憧れそのものだった。

アベフトシは、私がミッシェルガンエレファントを知った時にはすでに他界していた。だからこそチバユウスケの死は、経験したことのない感情を私にぶつけてきた。

俺は普通に仕事をしていた。そんなに忙しい日ではなかったから、軽くネットサーフィンをしていた。目に飛び込んできた情報に、脳の処理は追いつかなかった。理解した時には、泣いていた。ニュースを見て泣いたのなんて、初めてかもしれない。

彼の歌う姿、ギターを弾く姿、慣れないインタビューに答えるときのぶっきらぼうな態度、時折見せる子供のような笑顔、画面の向こうでかじりつくように見てきたそのすべてがフラッシュバックするかのような。

反射的に、俺はミッシェルの曲を誰もいない事務所で流そうとした。
何でもよかった、とりあえずシャッフルで流した。
1音目で曲がわかった、そしてすかさず音を止めた。
世界の終わりだった。こんなの今聞いたら、仕事中なのに泣いてしまうから。

高校生の頃、ずっとミッシェルを聞いていた。TSUTAYAで借りてきたCDを取り込んで、ipodでずーっと流していた。あんたのどれいのままでいいとスイミング・ラジオがどうしても聞きたいのにTSUTAYAにないから、ニコニコ動画でライブ映像をずっと見ていた。ミッシェル好きの友達があまり周りにいなかったから、mixiで知らない高校の人でミッシェルが好きだということをプロフィールに書いている人とメッセージで話した。その人は確かトカゲが好きだったと言っていた気がする。

大学4年生の夏、所属していた軽音サークルの定例ライブでミッシェルのコピバンをやった。半ば強引に人を集めた。サークル内にミッシェルを好きな人が少なくて、同期のムラマツくらいだった気がする。セトリは俺が決めた。めちゃくちゃ楽しかった。部員のみんなが盛り上がってくれて、本当にやってよかったなと思った。

そういえば、俺がたばこを吸い始めたきっかけはミッシェルだった。特にチバとアベだった。彼らがたばこを吸う姿がかっこよすぎた。親がヘビースモーカーでリビングでもバカバカ吸うので、たばこの匂いが嫌いで、絶対に吸うもんかと幼いころは思っていた。でも、あのかっこよさへの憧れには勝てなかったなあ。

チバはROSSOもThe Birthdayもある。わかってる。でもごめん、俺の中ではどうしてもずっとミッシェルのチバなんだよな。そこだけは本当に代え難い。俺が音楽を好きになった理由の一つなんだから、ミッシェルは。

ダメだ、やっぱり本当にかっこいいんですよ、チバユウスケは。彼の死を受け止めません、まだ受け止めなくていいですか。

一つ自慢します。俺、チバユウスケと直接話させていただく機会があったんです。有名人でも何でもない、音楽でも全く未熟な俺ですが、仕事の関係で。
彼はたばこを吸って、酒を飲んでいた。その見た目は、まぎれもなく憧れのチバユウスケだった。
なんで俺がミッシェルを知ったか、そんな話をした時、興奮と緊張が相まって絶対にめちゃくちゃ失礼な話をしてしまったのだが、チバユウスケはにかっと笑って「ミッシェル聞いてくれてありがとね」と言ってくれた。

人柄も含めて、素晴らしい人だった。

まとまらないけど、これ以上はもう書いても仕方ない。
憧れで居続けてくれて、ありがとうございました。
ご冥福をお祈り申し上げます。

やだな、信じたくないな。
大好きです。今もこれからも。

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