テニスにおけるラケット破壊について、今敢えてテニバカが考察してみる



 書く内容がないとは言っていましたが、それでも急に思うことはあるもので、これは日本ならではと言えるテーマだと思うので書きやすいのでこうやって書くことに致しました。


 まずどこから話をしてばいいのかですが、そもそも日本人は道具を大切にする信仰があるおかげでラケットを破壊する行為を非常に嫌う人が多いことが前提にある。


  その道具を大切にする日本人のスポーツ選手といえば元プロ野球選手のイチローを挙げる人は多いと思う。イチロー選手の影響力を考えれば当然道具を大切にして当然といったところではないだろうか。

 しかし野球とテニスという同じ球技でありながらボールを使うことが唯一の共通点なもので、寧ろあまりにも似ている部分がないスポーツである為、道具を大切にすることをテニスに押し付けるものはいかがなものか。


 ようやくなぜテニスの試合でラケットを破壊するのかといえば、ラケットを破壊する直前の選手の気持ちに沿って考えなければならないのである。

 ラケットを破壊する直前の心境、それはものすごいストレスが溜まった状態である。そしてそのストレスが溜まりに溜まった状態を考えれば、そのまま試合を進行することは、勝利から遠ざかる選択をしているといっていい。

 となればそのストレスをどうすればいいわけだが、そこでラケットを破壊することによってストレスを解消させてリラックスさせるのである。即ち、試合に勝利するための行為としてラケットを破壊するのである。それを単にイライラの落としどころとして八つ当たりをしているわけではない。見ている側への印象の問題もないわけではないが、何よりも試合に勝利することが全てである。見ている側がそのラケットを破壊するプレイヤーをサポートしているわけではないのだから。


 そしてラケットを破壊するプレイヤーの代表格といえば、男子はノバク・ジョコビッチ、女子はセレナ・ウィリアムズが挙げられると思う。つまりラケットを破壊するから負けるんだとか言っている批判は見当違いもいいところである。


 とはいえまだまだ日本ではテニスでラケットを破壊する行為をなかなか受け入れている視聴者が多いわけではなく、単に見ている側の印象としては気持ちの良いとは言えないのもまた事実なわけで、しっかりとテニスプレイヤーがラケットを破壊するという意味を各々考えていかなければいけないと思う。


#女子テニス




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?