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馬跳び我、爆ぜる《黎明編》

馬券道に戻って2年近く。

未だ10万円超えは1度だけ。

俺ら屑だけが歩るく事を許されているおけら街道を肩で風切って歩くのはもうごめん。

思えば20年前にきっぱりと辞めたはずの馬券道。

何故に戻って来たのかと言えば、隣りの芝生の青さよ。

スロットは5号機になり、都内じゃ等価交換が消え、喰えなくなったからジャイ、あん?

さあ、時は、1994《平成6年》10月30日天皇賞・秋。

その日のぐりぐりの◎はビワハヤヒデ!ナリタブライアンのお兄ちゃん。

それまで、デビューから15戦15連対のHYPER HOSEである。

軸は決まっている。

朝の軍資金は2万円、まだアラブ馬のレースをやっていた頃でわしは前日から寝ずにこの朝イチのレースを研究した。

そして1万円の枠連一点買いが当たり5万5千円に!

その後も調子に乗ってテキトーに買うこと数レース、そして天皇賞前には軍資金40万両なり。

もう、天下布武は目の前だ。

ビワハヤヒデは②番、わいの誕生日が2月1日なので迷いもせず、8番人気①番のセキテイリュウオーとの馬連①②に40万両をぶっ込んだ!

よし、これで天下取ったる!

結果は⑩→① ………。

レース後、天才岡部幸雄が下馬しビワハヤヒデの足元を心配そうに見ている…

わいは秋晴れの小倉競馬場で天を仰ぎ夕暮れ
のそよ風で涙を乾かしていた。

天よ、まだ早いのか。

その帰り道、小倉競馬場を出た途端にシートベルトでキップを切られる。
踏んだり蹴ったりの帰り道に、もう金輪際競馬なんかするもんかい!わいはスロットで天下取ったる!

と、誓い…

あれから20年超。

3連単なる画期的な、いや活気的なシステムを導入したJRAの罠にわなわなする日々。

トドメに会社で300万取った!という声にもう辛抱たまらず、戻ってまった馬券道。

思えばこれとこれってテキトーに買った馬券が当たって40倍。

そんなビギナーズラックにまんまとハマった我が馬券道。

死ぬまで抜けられぬのならば、とことん追います馬のケツ。

さあ、明日からまた馬券代を稼ぐとするか。

to be continued



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