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漢字の画数問題(4):常用派と併用派
●使っている字体の画数は運勢に影響するか
この一派の主張は、「日ごろ使っている字体の画数こそ、姓名判断で意味を持つ」というものです。新字体を使っている人は新字体で、旧字体を使っている人は旧字体で、それぞれ画数を取ればよいとします。画一的に新字体、旧字体の画数を用いるのでもなく、戸籍の字体にもこだわりません。
他の流派に比べて、もっとも自然で受け入れやすい考え方のようです。では、この流派には問題が無いのでしょうか? いや、やはりそういうわけにはいきません。
●常用派は他の流派と同じ問題を抱える
常用派は、渡邊さんが「渡辺」と書いたら渡(12画) 辺(5画) の画数の影響を受け、「渡邊」と書いたら渡(12画) 邊(19画) の画数の影響を受けるというのです。
「辺」と「邊」では確かに画数が違いますが、「辺」が5画、「邊」が19画というのは、字書にそう書いてあるだけのことではないでしょうか。
個人が筆記するときは、だれでも多少の書き癖があるので、必ずしも字書の画数どおりではないでしょう。同じ「辺」の文字でも、サラサラと滑らかに書く人は4画かもしれず、ギクシャクと書く人は6画になっているかもしれません。
こういう個人差を無視して、字書に記してある画数で一律に解決しようとすると、新字派や旧字派・康熙派の場合と同じ問題が起こってしまうのです。
「あなたが辺の文字を何画で書こうと、字書に従って5画と見なす」という常用派の主張は、新字派の主張(「あなたが邊(19画) を使っていても、辺の5画と見なす」)および旧字派・康熙派の主張(「あなたが辺(5画) を使っていても、邊の19画or22画と見なす」)と本質的に同じです。
●漢字学者は霊能者か?
姓名判断で字書の画数を頼るすべての流派は、ある文字を個人が何画で筆記するか、あるいは何画として認知するかとは関係なく、初めから特定の数霊がその文字に内在している、と考えているのです。
そうだとすると、次のような疑問が生じます。
「では、書き方からも見た目からも判断できないような数霊を、いったいどうやって知ることができるのか? 字書に書いてある画数こそ、まさにその数霊であるというなら、字書を編纂した漢字学者はどうやってそれを知ったのか?」
この考え方から帰結するところは、「漢字学者はみな霊能者だった」というものです。発想としては面白いと思いますが、本気でこんなことを考えているとしたら、正気とは言えませんね。
●併用しても何の解決にもならない
近年、多くなってきたのが、新字体と旧字体の両方で判断する「併用派」です。新字体にも数霊が作用しているが、旧字体の数霊もまだ消滅せずに、いくらか残っている、と考えているのでしょう。
このほか、日ごろ使っている字体と戸籍に登録した字体を併用するとか、生まれが戦前なら旧字体、戦後なら新字体の画数を使う流派もあります。
このような流派は、他流派から いいとこ取り して、ややこしい問題を克服していると考えがちですが、それは錯覚です。
「知的」だが不細工な男と、「美貌」だが愚鈍な女が結婚したら、子供はみんな「知的で美貌」というわけにはいきません。
劇作家のバーナード・ショーが有名女優(ダンサーとの説もあるらしい)に求婚されたとき、気の利いたセリフで返答したというではありませんか。「不細工で愚鈍」な子供が生まれる可能性も、慎重に考えておかなくてはいけません。
それどころか、併用派は他流派の問題点をすべて持ち込んでいるので、バーナード・ショーが心配した最悪の事態(子供は一人残らず「不細工で愚鈍」)に匹敵します。「世の中、そんなに甘くない」ということです。
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