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あの大物が占い本の題字を揮毫していた!

●新刊書にはくをつける著名人の揮毫きごう

「○○業界の重鎮、△△氏も絶賛!」新刊書の帯などでよく見かけますね。こうしたキャッチコピーは、カバーデザインや有名人の推薦文とともに、書籍の売れ行きを大きく左右する要素だそうです。

ところで、近年はあまり流行はやらなくなりましたが、昔はもうひとつ重要な要素がありました。著名人が揮毫きごうした「題字」です。これを巻頭に「どうだ!」とばかりに掲載し、はくを付けるのです。

明治末期から昭和初期の頃には、「どうしてこんな人が?」というような大物が、胡散臭うさんくさい姓名判断書のために題字を揮毫した例もあるのです。今回はその中から、思わず我が目を疑うような仰天モノをご紹介しましょう。

●『姓名ハ怪物デアル』※ 題字:井上円了

                                                          ※山川景國著、大正2年9月〔1913年〕

まずはこの人、井上円了です。言わずと知れた哲学界の大御所ですが、哲学館(現在の東洋大学)の創設者でもあります。

この大物については、すでに『姓名判断を批判する人々(7):井上円了』 で 『姓名ハ怪物デアル』(山川景國著)とともに取り上げています。詳しいことはそちらを参照していただくとして、ここでは題字だけ再掲しましょう。[注1]

円了が姓名判断を認めていたとは考え難く、何かの間違いがあったと思われますが、彼が「占い本」に題字を揮毫したのは紛れもない事実です。

●『姓名と人の運』※ 題字:犬養木堂、孫逸仙

※北原秋東著、大正2年12月〔1913年〕

この書が出版されたのは、第一次姓名判断ブームの最中さなかでした。使っている技法は、当時、すでに姓名判断のスタンダードになっていた「五則」です。内容的には面白みがありませんが、巻頭を飾る題字の揮毫者たちには驚かされます。

表紙には堂々と、「犬養木堂先生、孫逸仙先生 題」と書いてあります。 と言っても、「だれ? それ?」って感じですね。よく知られている名前では、犬養毅いぬかいつよし(政治家、木堂ぼくどうは号)と孫文そんぶん(政治家・革命家、逸仙いっせんあざな)です。これなら「ええっ!?」でしょう。[注2]

その見返りかどうかわかりませんが、二人の姓名を鑑定した結果が、本書の「現代名士、支那亡命客 運命観」に出ています。ちなみに、亡命客とは亡命してきた志士・名士のことだそうです。

題字 犬養毅(左)と孫文(右)

それにしても、二人はどういうつもりで占い本なんかに題字を提供する気になったのでしょうか。本書が出版された1913年というと、犬養毅(後の内閣総理大臣)は立憲国民党の党首になった年であり、孫文は中華民国の臨時大総統に就任した翌年です。

こういう政治的に高位の人が占い本の権威付けに一役買うなど、現代の感覚ではとても考えられませんね。

●『名称教育精義』※ 題字:濱口雄幸、犬養毅ほか

※楠本博俊著、昭和4年9月〔1929年〕

この書を姓名判断の占い本とみなすかどうか迷いましたが、ギリギリで姓名判断書と判定しました。その理由は、著者自身が次のように書いているからです。

「〔姓名判断の〕五則の憲法は姓名の意義〔「五則」のうちの「読み下しの意義」〕を除けば、他は信をくに足るものではない。」 これはつまり、姓名判断の一部を認めていた、ということです。[注3]

本書の最終章には、いかにも占い本くさい「楠本式命名の秘術」という章題が付いていますが、内容はいたって まとも です。「要するに名は反省的、誘導的でなければならぬ、名は千差万別で姓名家のいうがごとく 型にキチンとはめるべきものではない・・・」(漢字、かなの一部を現代表記)と書いています。

前置きはこのくらいにして、題字を見てみましょう。本書では、先の『姓名と人の運』にも登場した犬養毅だけでなく、内閣総理大臣 濱口はまぐち雄幸おさちも題字を揮毫しています。表紙には「内閣総理大臣 濱口雄幸 題字、前逓信大臣・前文部大臣 犬養毅 題字、長崎県知事 伊東喜八郎 題字」とあります。

ふつうなら、長崎県知事だけでも十分インパクトがあると思いますが、前の大物二人と並ぶと、ほとんど気づかないくらい霞んでしまいますね。ということで、失礼ながら、伊東喜八郎氏の題字は割愛させていただきます。

内閣総理大臣 濱口雄幸 題字
前逓信大臣・前文部大臣 犬養毅 題字

●『現代日用宝鑑』※ 序文:大隈重信ほか

※大日本家庭協会編纂、大正4年6月〔1929年〕

先の『名称教育精義』と同等か、それ以上に悩ましい書籍がもう一冊あります。大日本家庭協会編纂の『現代日用宝鑑』です。この書がいわゆる「占い本」かといえば、もちろん違います。

凡例にはこう書いてあります。「本書は常識を一般に普及せしめんが為に、特に各方面の日用必須の事項を網羅せるものにて・・・。」 そこで目次を見てみると、なるほど庶民の生活事典として書かれたのはわかります。

ところが、「憲法と法律」「農業と園芸」「料理」などの章に混じって、なんと「九星、姓名判断、人相、手相、易占」の章まであるのです。びっくり仰天ですが、本書では占いを一般常識として扱っていたのです。

そのうえ、題字こそありませんが、大臣級の大物が次のような序文も書いているのです。

「本書は日常百般の必要事項を網羅し、最も簡易明快に最も通俗的に説述せるものにて、座臥行住〔原文のまま〕、その疑わしきを本書に敲き、その健忘を本書に補わば、いわゆる複雑を省き繁忙に処するには、至極便利なものだ。」(内閣総理大臣 大隈重信)

「本書はいわゆる常識の実行に資せんがために、特に纂述されたるものにして、現代生活には最緊要なるものたるを疑わず。」(前逓信大臣 元田肇)

これらの凡例や序文を読む限り、姓名判断などの占いも「一般に普及させるべき常識」であり、「日常百般の必要事項」であるだけでなく、「現代生活には最緊要なもの」ということになります。

これを知って驚かない現代人がいるでしょうか。近代日本とはこういう時代だったのです。

====================<参考文献>===================
[注1] 円了の関連情報
 こちらも参照⇒『井上円了と姓名判断』『井上円了と姓名判断<続>

[注2] 犬養毅と孫文の揮毫
 犬養毅と孫文は親交があったが、本書の著者 北原秋東氏との関係は不明。孫文は日本に何度か亡命しており、そのうちの一度は1913年~1916年とされる。この書の出版時期(1913年12月)と合致することから、著者はこのタイミングで揮毫を依頼したのかもしれない。

[注3] 『名称教育精義』の著者 楠本博俊氏の主張
 本書が出版された昭和4年〔1929年〕は、昭和前期の著名な占い師、熊﨑健翁氏が新しいスタイルの姓名判断(熊﨑式)を初めて公表した年でもある。ただし、熊﨑式が姓名判断の主流になるのはもう少し後のことで、この時点でのスタンダードは、「五則(の憲法)」と呼ばれた明治期からある五つの判断法だった。その五つとは、①姓名の意義、➁運数〔数霊〕、③天地(の配置)、④陰陽の組合せ、⑤五気の配合である。

 楠本博俊氏は➁~⑤に対して批判的だったが、①については、「姓名五則の憲法中『姓名の意義』の一つに限っては、何としても廃物にはしたくない」と考えた。その後、井上円了の「名称教育」を知って手紙を書き、円了が自分と同意見であるとわかると、大いに自信を深めた。

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