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へんてこ長男長女の幼稚園選び

シュタイナー幼稚園に決めた理由

長男長女は縦割り保育が特徴的な、
シュタイナー保育を取り入れた幼稚園に入園しました。

幼稚園に入る前に毎日のように通っていた
児童館では定期的に、
どこの幼稚園がいいのか、あそこの幼稚園はこうでああで、という話が盛り上がっていました。
そしてどうやら、私の家から同じくらい一番近い幼稚園は
昭和の叱るとほめるのメリハリを効かせた、
いわゆるスパルタ保育の幼稚園と
ゆとり教育の考え方の大元の一つ、シュタイナー保育の幼稚園の
両極端の方針の園があるようでした。
そして人気があるのはシュタイナー幼稚園で、
スパルタ幼稚園は定員割れを起こしているという
噂でした。

二つの園を見学しにいき、ちょうど運動会前だったので練習をしていました。
スパルタ幼稚園のほうは、少しでも園児が白線を出たり、遊具に触るだけで
先生の怒号がとんできていましたが、
演技そのものは揃っていて、とても素晴らしいものでした。
園児の親が私だったら、子の成長に涙したかもしれません。
それほど素晴らしいと思えるほど、みんなの動きは揃っていました。

また違う日、シュタイナー幼稚園に見学に行きました。
シュタイナー幼稚園では順位をつけないことが方針のようで、
秋祭りという名前でしたが、
私が見学に行ったときはちょうどみんなで
カスタネット体操という体操練習を行っていました。
スパルタ幼稚園と違って、先生もにこにこ笑いながらみんなと練習していました。
うまいか下手かといえば、下手な子も上手な子もいましたが、
みんなそれぞれが好きなように体操していました。
表情も人それぞれで、とても人間らしいなと思いました。
スパルタ幼稚園のほうは、みんな顔が真剣そのものでしたから。
集団行動できない長男には、シュタイナー幼稚園一択だなと思いました。
スパルタ幼稚園で長男の問題を正すこともできたかもしれないけど、
幼稚園時代位自由に過ごしたらいいかなと思いました。
どうせ小学校に入れば、集団行動をしなければならなくなるので。
そんな感じで、シュタイナー幼稚園に入園することに決めました。


過保護育児について思うこと、超個人的見解

その頃佐々木正美さんのベストセラー「子どもへのまなざし」をあちこちで見かけるようになり、
過保護育児がベストだという
考え方が広がってきた時代だったと記憶しています。
育児の右も左もよく分かっていないこの頃の私は
そんなものなのだなぁ、驚きだなぁと思っていました。

児童館で出会った、とあるお母さんは、その日子供と一緒に家からテクテク児童館まで歩いてきたらしいのですが、
子供がその道中、何度も何度も座り込み、砂利で遊んだり、葉っぱを拾ったり、突然休憩したりしたらしいのですが、
その都度お母さんも辛抱強く子供に付き合ったそうです。
だから、その日は普通に歩いて児童館につくまでの時間の
何倍も時間をかけて、今日は児童館へきたという話を聞いたことがあります。
シュタイナー幼稚園で出会ったあるお母さんも、
子供のペースに合わせてゆっくり歩くことで
見えてくるものがあるとおっしゃってました。
当時、今と違って素直だった私も一回だけ、
そのようなことをしました。
家が立ち並ぶ道のりの途中、長男は門や雨樋に好奇心を持ち、見かけるたび感嘆の声をあげていました。
石垣の石の模様にも興味を持っていましたね。

今振り返って思うのは、子供のペースに合わせてゆっくり寄り添って歩くこと、それはそれで確かに
子供の視点にたつ一つのいい経験だったとは思いますが、
お母さんに負担がかかったり、私みたいなせっかちな性格なら
必ずしも必須なことではないと思います。

他の方法でも同じような効果を得れることを
今の私は経験上、知っているからです。

そして、何より放置していても勝手に子供は
大人にとってどうでもいいものやどうでもいいことに興味をもって、大人にとったらとことん意味のないことや無駄に思えることをして、
心から楽しんでいます。

そう、子供のペースに合わせて寄り添って歩くというこの本質、大切なことは、夢中になっている子供の邪魔をしないことです。

物理的に急いでいるときやお母さんの気持ちに余裕がないとき、または子供に寄り添って歩くことで
かえって私みたいにイライラするときは、
そこで子供に寄り添って歩く必要はないということです。
子供もそんな小さなこと、すぐに忘れてしまいますよ。

今は大人が丁寧に子供の気持ちを聞いて、寄り添うということを繰り返すから、
子供はそうされることが当たり前だし、寄り添われているうちに大したことないと思っていたことが大したことあるんだと勘違いすることがあるなぁと、
個人的には思います。


たいして基本的にうちの子供達は問題児なので、
嫌われたりいじめられても仕方ない、自業自得、むしろそこから学んで変わればいい、変わらなくて困るのはあなた本人だよというスタンスです。
それで実際、トラブルに見舞われたとき、子供の気持ちに寄り添うのは絶対不可欠だし、
そこを親に否定されたら子供は立ち直れないのではないかと思いますが。
我が家は関西なので、基本何でも笑い話のネタにするのが普通です。
家族内では信頼関係があるからこそ、
笑いを交えながら解決策を練ります。
賛否両論のようですけどね。
悪いことは悪いと、時には笑いのネタにしながらも、その子を排除したり否定することもしないのが
我が家の特徴で、
これこそがまわりに誤解を招く原因の大きな一つのようです。
しかしだからこそ、これが大切なことの一つではないか、現代人にかけている感覚ではないかと
思っています。

悪いところは事実として伝える、
その欠点は時には嫌われたり、笑われたりすることもある、
でも家族はあなたを受け入れる、
自分自身が変わらなければ今の現実は変わらない

私達家族内で行われている、悪いところを指摘し、笑いのネタにするというコミュニケーションは、
つまりこういうことなのです。
我が家が無意識に培ってきた家族内での掟のようなものなので、
他人には理解されないのは当然なのかもしれませんが。

下記にしめした、宮台真司さんのインタビュー内容が
我が家のまわりになかなか理解されない、
掟のようなものではないかなと思います。


――「世直し」とは具体的に何を指すのでしょうか

 「法化への抗(あらが)い」だ。冗談じゃなく法は破るためにある。人類学の教養だ。祝祭や性愛を含め、法外のシンクロで仲間や絆を確かめる。昨今は法外にビビるヘタレが、法外を一斉にバッシングして疑似仲間を醸成する。あいつは仲間じゃないと指さすヘイト現象だ。法外を恐れ、祭りで踊れず、性的に退却する。法を守れば幸せになると妄信する。カール・シュミットが言ったように仲間や絆あっての法。周囲に仲間や絆がないなら法を守る必要はない。ならば法外を取り戻せ。思想史の教養では、社会が良くなれば人か幸せになると考える主知主義が左。社会が良くなっても幸せになれないと考える主意主義が右。主知主義者がもたらした法化の副作用がネトウヨやオルタナ右翼。政治学の教養だ。

東大新聞オンライン
法外」を恐れるな 社会学者・宮台真司教授インタビュー
OBOG大学生活政治








表面上の道徳的に正しいだけの心を伴わない
綺麗なコミュニケーションより、
表面上汚い言葉や正しくない行動の裏にある、子供を心から思う非言語コミュニケーションを
子供達は無意識に汲み取っています。


なぜそういえるのかというと、
私がどうしても自分の気持ちに嘘をつけないので
完璧で理想的な母親にはなれないからです。
公の場では到底書けない子供達とのやり取りもたくさんありました。
しかし、子供達三人とも私から嫌われていると思ったことがない、というのです。
それが嘘かもしれないじゃないかと言われたら、それまでなのですが、
私が子供にたいして言ったり行ったりしてきたことを
育児の専門家に言えば、その行動や言動はやめるように言われることだし、
子供に嫌われて当然ということもたくさんしてきています。
まぁ現実問題、子供達が悪いのだと私は考えているし、
成長した子供達もそのようにいいます。
何も悪いことをしていないのに、私が怒り狂うことはないと分かってくれています。
これは知り合いの専門学校生の何人かも言ってましたね。
自分が悪いから親に怒られていたのだと。

もし親に怒られて根に持ったり、嫌われてたという子供がいたとしたら、
それは親が怒ったことそのものにたいしてそう思ったのではなく、
長い間積み重ねてきた親子の信頼関係が
できていなかったからだと考えるのが自然ではないでしょうか。

気の弱い子供達や繊細な子達は萎縮するから、といいますが、
本当に元々の生まれ持った性質が原因で萎縮したいるかどうかを
表面上の子供の言葉だけで判断するということ自体が
浅はかではないかと思います。
もちろん元々の性質が原因で、萎縮してしまう子がいるのは間違いないと思います。
そのような子には言い方を考えなくてはいけませんが、
我が家三人とも萎縮しないこともあり、
昔より今、圧倒的にそのような子達が増えたことは
違和感しかありません。

思春期以降の繊細な子供達にこの話をしても、
今さら生き方や考え方からの
軌道修正はかなり難しいとは思いますが、
両親のもとから物理的に離れることができれば、
何とかなる可能性が高くなるのではないかと
まわりを見ていて思います。
新しい健全な人間関係を家庭以外のどこかで築くことで
人より時間はかかるかもしれないし…失敗もするだろうけど…
健全に物事をとらえられるようになり、自ら考えられるようになって、行動できるようになると思います。
でもそんな子供の親に限って、色んな意味で
子供が親に依存しないと生きていけないような環境を無意識に作ってるなぁ…と思うこともありますが。

過保護育児でうまくいく子というのは、
個人的には元々優秀な子だけではないかなと思います。
スポーツ選手なんかによく、過保護で育てられた話聞きますし、
元々優秀な子だから過保護で問題なかったのではないかと思います。
ゆとり教育の目的が実は、
一万人に一人の天才エリート養成だったという話もありますし。
普通かやんちゃの子には
昔ながらの悪いことしたらげんこつやお尻叩かれるぐらいじゃないと、
学校じゃそりゃあ収集つかなくなるのは当然の流れだと思います。
それでもいうこと聞かない子はいると思いますけど、
大抵の子は大人しくなると思いますね。
今よりかは。

時間も人員もないのに、カリキュラム決まってるし、テストの採点もあるし、人間関係のフォロー等もしないといけないから、
先生たちはたまったもんじゃないと思います。

娘は学校で、
仲のいい人が近くにいないから席替えもう一回してほしい
というクラスメイトの要望を先生が却下したら、
親が学校にクレームいれたとかで
先生にモンスターの対応、大変ですね、と声かけたりするらしい笑
昔は娘も過保護な家の子を羨んだものなのに、
今では過保護親子はろくなもんじゃないという考え方になりました。
過保護以外の何が、こんな意味不明なクレームを増産させているのだろうと
私はいつも思います。

こんなこと書き続けていたら、非常識だ、あり得ないと
そのうち批判もされるのだと思いますが、一つお聞きしたいです。
あなたのお子さん、レジスタンス育ってますか、自立心ありますか、自己肯定感ありますか。
我が家の子供達は悪さや迷惑は人一倍ですが、
上記の全てに問題はなさそうです。
子供達ははやく自立したい思いが強く、
勤労と納税という形で、他の子達よりはやくから
日本社会に恩返しできると思います。
リストラされても、非正規でもなんでもいい、
自分を働かせてくれる会社で生きていくから問題ない、
生活できればいい、という覚悟を持っています。

味噌汁とご飯と漬物食べてるときが一番幸せだと
娘は言います。
長男はゲームしているときが一番幸せなのだと思います。
我が子達は、
自分が持ってるものの数や能力や地位や名誉に
幸せを感じることがないようです。
よくも悪くも競争心や向上心がありません。
これは現状に満足している証なのだと思います。
そして、その状況を許されていると感じているのだと思います。
私はそんな子供達に
人生、いつになれば本気になるの、頑張るの、とよくネタでいじりますが笑
気が向いたら、そのうち頑張ることでしょう。
子供達には変なプライドがないし、社会での自分の立ち位置もわきまえているので、
私は何の心配もしていません。
バカにされても、問題あっても、のらりくらりとマイペースに
たくましく生きていってくれると思います。

このような人種かいることに私は我が子達を育てていて、
はじめて知りました。
頑張って上目指している人たちより
よっぽど幸せだなって、今は思います。
昔は思っていませんでしたが…


















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