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硬い文章は悪文なのだろうか〜結論:夏目漱石は半端ない〜

ヘッダーの画像は先日撮った、おそらく桜の写真です。タイトルとも記事の内容とも、まったく関係ありませんが、綺麗ですね。

さて、話は変わりまして。
最近のweb小説界隈では、「柔らかい文章(文体)=読みやすい上手な文章」「硬い文章(文体)=読みにくい下手な文章、悪文」と言われることが多いように感じています。なんとなく、硬い文章がすごく忌み嫌われているような。そのような雰囲気を、ひしひしと感じます。私の気のせいかもしれませんが。

web小説はライト層に向けた読み物だから、柔らかいというかライトな軽い文章の方が読まれやすい、というのは分かります。ですが、だからといって「硬い文章=悪文、読みにくい」ではないだろうと。

文章の巧拙や読みやすさに、硬さや柔らかさはあまり関係ないように思います。硬い文章で読みにくいものもあれば、柔らかい文章で読みにくいものもあります。
今年のはじめに、大江健三郎のとある作品を読みましたが、文章そのものはそこまで硬くなく、むしろ柔らかいように感じましたが、めちゃめちゃ読みにくかったです。
そういうわけで、「硬い文章=読みにくい」というような言説や、「私は文章が硬いから、もっと柔らかくしなくちゃ」とおっしゃっている書き手の方を見かけると、首をひねってしまいます。

しかし、そのように納得がいかないのは、単なる私の負け惜しみなのかもしれません。その要素は、多分にあるでしょう。なぜなら、私の書く小説は、わりと硬めの文体だから。感じ方は人それぞれなので、人によっては「全然柔らかいじゃないか」と物足りなく感じるかもしれませんが、ライトな読み味だとは決して言えない代物です、自作小説。
そういうわけで、「硬い文章=悪文」というような言説が、上手く飲み込めないんです。
でも、飲み込まなきゃいけないのかもしれません。私の作品は、大して読まれていません。その現実があるのだから、気づいていないだけで悪文だらけなのかもしれない。
だがしかし、とある企画において不特定多数の方に作品を読んでもらった際、「難しいのに(何故か)読みやすい」や「文章が上手い、良い」というような感想をもらったんですよね。
同人誌やweb小説の感想でも、文章に関して好意的な言葉をいただいたことがあります。(数は少ないですが)
ああもう、良いのか悪いのか、どっちなんだい!

私としては、硬い雰囲気の文章が好きなので、今よりももっとガチガチにしつつも読みやすいものを書いていきたいなぁ、と思っています。きらきらしい宝石ではなく、鉱物みたいな文章が書きたい。目指せ鈍器。というわけで、たぶん直しません。いや、文体を書き分けるというような器用な真似はできないので、直せません。
ちなみに、私が今現在憧れているのは、鳥類学者の川上和人先生の文章です。論文ではなく、エッセイの方の文章です。鈍器ではないような気もしますが、学術的な難しい話をユーモラスに面白く描く、という点で、川上先生の文章は「難しいのに読めてしまう」文章だと思います。

結局、何が言いたいのかといいますと、硬い文章でも読み始めるとするする読める場合もあるし、「硬い」というのはその書き手の味だと思うので、あまり嫌わないでほしい、ということです。

ちなみにその二。
私が今までに読んだ小説の中で、めちゃめちゃ読みにくいと感じた作品は、夏目漱石の『一夜』です。これは文章も読みにくいうえ、何を言わんとしているのかもよく分からない、という作品です。(作品解説において「何を言ってるかよく分からない」というようなことが書かれており、実際に読んでみたところ確かにわけが分からなかった)同じく夏目漱石の『幻影の盾』なんかも、硬い文体で読み易いとは言えないです。
その一方で『吾輩は猫である』だとか『坊っちゃん』だとか、多くの人が楽しめる(わりとエンタメ寄りの)作品を書いているのだから、夏目漱石は本当に本当に文豪なんだと、『一夜』を読んだときに思いました。夏目漱石、半端ないです。

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