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みんな(うわべだけ)仲良く

 連休は仕事以外にリソースを避けるのがありがてぇな〜。だらだら&インプット3割、家事3割、文章(アウトプット)4割できる。陽を浴びたいので毎日近所に買い物がてら出かけてる。ふだんの土日なら両方ともひきこもることもふつうにあるけど。

 思春期のころから、「好きな人以外と広く浅く付き合う必要なんかない」という信念の持ち主だったのだけれど、ここに来て考えが変わってきている。
 以前までの私は自他境界もなく、他人を受け入れ(たつもりになって)他人に依存し、また自分を他人に受け入れさせるズブズブの関係性のみを望んでいた。特に恋愛に関しては、それこそがホンモノなんだと思い込んでいた。
 自分に自我があるように、相手にも自我がある。それをわからず無神経に踏みにじるような考え方だったと反省している。
 己の快適さのみを追求しても、幸せなのは己だけ。相手の快適さを無視した生き方をしていたら、人なんか寄り付かなくなって当然。
 自分を理解してくれる人と人生を共にしたいという気持ちは、本当にずっと持ち続けている。だけどそれは、人と上手くやれない自分のさみしさを埋めたかっただけなんじゃないのかと今は思う。

 私は本当に自己開示が苦手で、思っていることを知られるのがいつだって怖い。それならうわべだけでも上手くやれるようになればよかったものを、そんな努力などろくにせず、やさしい人たちに甘えてばかりだった。とんでもない大バカ者だ。
 人間関係を築く上で本音なんかいちいち言う必要はない。職場ではむしろ言わない方がいいまである。
 弊社は昭和の奥ゆかしい文化が薫る素敵な企業なので、当然のように男尊女卑が横行している。というか、アラサーで働き続けている独身女性は皆味わったことあるよね?世の中結局男性社会じゃん。って気持ち。
 女がキャピキャピしてても「かわちぃね♡」で許されるのってせいぜい20代半ばまでだし、それ以降ってマジで仕事できないと生き残れないからな。(俺は仕事もできなかったし男にキャピキャピもできないクズだったので一度社会から淘汰されております)。
 私は今32で、若いころは自分自身を養う生活にずっと憧れていたから、それができるようになったのは本当によかった。給料が安いのは不満だし、仕事はそこそこ負担あるし、ストレスが溜まって文句を垂れることも毎日のようにあるけれど、それでも地元を出たことはただの一度も後悔していない。
 でもまぁ地元を離れたきっかけは、男と暮らすためだったんだけど。計算が狂って自活するハメになった。独力で生きられるようになったのはまったくの想定外ながら、叶えたかった望みのひとつなのだから幸せではあろう。
 にしてもー、男に依存して生きるのならそれこそ二十歳ぐらいから婚活しないとムリよな。三十路でやるなんてとんだバカだったわ。
 俺は文句を垂れたり葛藤したり、時に怒りをぶちまけ、涙を流し、もがき苦しみながらも、そのすべてが楽しいんだ。実はドMなのかもしれない。
 自分の頭で考えられるようになったことが、きっと一番うれしい。15年以上奪われっぱなしだった抑うつ気味の脳みそを開通させてくれたのは、躁状態のアタシだったのだけど。その後の躁鬱→うつ→メンヘラ→現在までの流れはほぼこのnoteに記載した通りの内容となっております。

 考えることを放棄した脳みその中には、未解決の事案やトラウマが溢れかえっていて、それを比較的正気に戻ったうつ気味の自分が紐解くのは、それはそれは骨が折れる作業だった。 
 アホみたいに働くことで気を紛らわせたり、だけどふと我に返って次々湧き起こる感情に振り回されて不眠ぎみになったり。だけどここで折れたら何にもならないと、謎の踏ん張りを見せた。だから今も何もひとつもやめないで、生きてここにいる。
 自分の気持ちを否定する必要なんかなかったのに、否定し続けていたのはいつも私自身だった。
 「こんなことを考える自分はおかしい」「こんな望みを抱くのはいけないことだ」
 自分に対して否定的になると、不思議なことに他人も許せなくなってくる。全員が全員敵意を持って自分に接しているのではないかと、妄想に近い考え方になってくる。「こんなことをするのは、私を傷つけるためにちがいない」
 そんなわけはない。悲しいかな、人間はそんなに他人に興味なんか持た(て)ない生き物だから。過去の自分自身がまさしくそうだったでしょう。自分のことしか考えていなかった。他人の行動の意味をひとつひとつ考えていたら、そりゃ精神病んでも仕方ないわよ。
 たしかに弊社の男は驚きのバカさ加減を発揮するやつばかりだけれど、こんなクソショボ企業にまともなやつなどそもそもいる方が奇跡なんだよ。(これはこれで悲しい納得の仕方だよな)。
 ただまぁホント…公私共に男ってクソバカだなぁとは思うわ。向こうからすれば女である私もクソバカに見えるんだろうし、どっちもどっちだな。

 心の底から親切になんてする必要はない。ただ、「親切なふり」はできるようになっておいて損はないだろう。人生のあらゆる場面で役に立つ。
 いい人と思われたいからやるのではない。敵を作らない。ただそれだけのためにやる。いいトシこいて、対人マナーの大切さを噛み締めているところよ。
 演技っぽくなく、本気でそう思ってるようにやるのってちょっと楽しいわよね〜。それによって相手も気分良くなってるんだからWINWINでしょ?まぁ全部が全部演技ってこともないんだけど。
 あまりにもクソすぎるヤツにはこちらもクソ対応するし。むしろそっちの方が好き。たまにやりたくなる。(よくない)

 強くなければ生きていけないよね。そこに性差なんてないのは本当だと思う。自分が生きていくためには強かでないと。弱い人間は淘汰されたって文句は言えないからね。
 弱いままで全肯定されたかった。愛されたかった。という気持ちが時々よみがえってきては私を苦しめるけど、マイナススタートからゼロまで持って来れたこと、さらにそこから先を今生きられているのはそれだけ頑張ったからなのだし、過去に囚われる必要はもうないのではないかと思う…
 宝石の国読んでるときガチクソしんどくて、俺はフォスと完全にリンクして「愛されたかった」のところで深夜1時に号泣しました。リアルに一週間引きずったもんな。名作ですが心が弱ってるときには読まない方がいいです。

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