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そこにはもう何もありませんよ

 だから目を覚まして。現実の私は貧困独身女性(32)で、ただ毎日なるべく何も考えないようにして生きている。本当はこのままじゃダメなんだってことは自分自身が一番よくわかっている。
 このタイミングで長期連休があったのはありがたいことかもしれない。ゆっくり休むことで冷静になれた。今の会社には何も期待しないで、「最低限の生活費をもらいに行くために」通いさえすればいい。生きていかなければならない現実がある以上は、どんなにつまらなかろうと、苦痛だろうと、職場のイスに週5日8時間座っていなければならない。それにより想像以上に精神を磨耗させられようとも、現状はそうするより他ない。
 そりゃ本音は毎日充実していてほしいし、苦痛を味わうよりは楽しいほうがいいに決まっているけど。
 だって今の私ったら、自信もなければやる気もなくて、ただただ「自分ひとりを食わすために」生きていて、信頼できるパートナーもおらず、幸せな人たちを見ては「隣の芝は青いなぁ」なんて後ろ暗い気持ちになってる貧困独身女性なんだから。
 もう本当にね、精神疾患と縁遠そうな幸せな人たちを見ると苦しくって仕方なくなる。「自分には価値なんてないんだから」という気持ちを、世の健常者たちはもしかしたら一生味わわないのかもしれない。
 ただ普通に生きていたら普通に幸せになれるって思ってたけど、普通って思ってたよりもだいぶハードルが高かったみたい。それか、そもそも私の生き方は世間で言うところの普通とはだいぶかけ離れていたのかもしれない。

 けどね、少し見方を変えてみると、「しにたくてもしぬことが許されない」ルールの世の中で生きている以上は、「じゃあ諦めて生きていくしかないね」って話なんじゃなかろうか。いや、全然生きる意欲なんてないのが本音なんですけどね。
 そう思うと、やる気なんか出ないけど、まぁ捨てるほどの人生でもなくない?という気が少しだけしてくる。これは生きることを諦めるんじゃなくて、「生き続けるしかない」って覚悟を決めること。
 きれいに終わる方法なんてどこにもないし、だからって投げやりに生きてボロボロになったって、そのあとしにきれずにボロボロのまま生きていかなきゃいけないって考えたら、「え?これ以上取り返しのつかないことになりたくない!」って急に思ったのね。
 だから、今からでも打てる最善の手を打つしかないんじゃない?最善でなくとも、「より良い」方向に進めれば今よりは良くなるんだし。
 ネガティブを突き詰めると突き抜けて逆にポジティブになるってこういうことよね。ポジティブな考え方って私には本当に向いてないから、暗く深く、でも自分を納得させられるくらい考え続けるしかないんだろうね。

 人間関係も「壊しちゃいけない」ゲームだし、人生も「しんじゃいけない」ゲームだし、周りの人間が私より真面目だったことなんて今まで数えるほどしかなかったし、そう考えると、私だけが真面目に生きる必要なんてどこにもないような気がしてくる。どいつもこいつも大抵はテメェのことしか考えてないからよ。
 15歳の春からずっと緊張しながら生きてきた。最近になって周りの人はそうじゃないって知って、「そりゃあ人生大層イージーモードですなぁ」と思ったよ。
 過ぎたことで、もう今さらどうなりようもなかったのに、育ちや進学できなかったことを延々と悩み続けてみたりね。どうなりようもないけど、やっぱり傷ついてたんだなって思うし、傷ついたってことを誰にも言えなかったからなおさらつらかった。

 私が30超えて、躁の勢いを借りてまで地元を飛び出したのは、やっぱり幸せになりたかったからなんだろうなって思う。どうしても諦めきれなかったんだろうね。しにぞこなった命だし、それなら今からでもやり直そう、きっとやり直せるって、信じてた。当たり前に世の中そんなに甘くなかったけど。
 実年齢には到底見合わない幼く甘ったるい願望を、だけど私はどうしても叶えたかったし、そういう気持ちがあったことを否定する必要はないんじゃないかと思う。バカだな、バカだったなって心底思うけど、それぐらい本当にずっと叶えたかった望みだったんだなって今では思う。叶えてやれなくてごめんね。

 何もひとつも平気じゃなかったし、本当の本当に傷ついていたし、相手がクソだったから、自分がバカだったから、そうやって何度も何度もなだめすかして、やりすごそうとしてきたけど、傷ついてたってことを受け入れられなかったのかもしれない。自分が弱いってことの証明になってしまうからだろうか。

 今の自分に納得なんか全然してないし、頑張りたくもないけれど、誰も信用しないで図太く軽やかに生きられるくらいには強くなりたい。どんなに薄汚くても。

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