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Netflixでコナン映画を

 一作目から観てる(入浴時のBGMにしてる)んだけどさ。3作目の「世紀末の魔術師」があまりにもアラサー独身女の心をえぐってきたので感想を記したい。

 子どものころは必ず映画館に行って観てたし、テレビでの劇場版の再放送特番も欠かさず録画して繰り返し観てたから、なんとなく話の筋は覚えてるが故の、「入浴時のBGM」なのであり、シャワー音で度々セリフさえも聞こえなくなる程度の雑な視聴しかしていないにも関わらず、萌えちゃった。すごく。

 3作目まで視聴して思ったのは、「やっぱり90年代ねぇ」「アニメ初期だからこその丁寧な説明」「蘭と新一」である。
 演出が90年代を感じる。すごく。懐かしい気持ちになる。このころのアニメって娯楽が今みたいに多くなかった分、製作陣の「ガチ度」が違う気がするんだ。あとね、恋愛要素の入れ方にすごく時代を感じる。そこはかとなく薫るトレンディみ。
 表現に規制が多くなかったから、まだこのころはいろんなことできたよなって思う。今はあまりにも多方面への配慮が求められすぎていて、やりにくいだろうなと思います。
 今やコナンを知らない人なんていないぐらいの国民的アニメになったけど、当時はまだそこまでの知名度じゃなかったのかもしれない。だから毎作ものすごく丁寧にコナンと新一と蘭の関係を説明してくれるんだ。初見でも十分楽しめるように作られてるのはすごくいいことだと思う。近年のコナン映画にはなくなってしまった配慮だから。
 蘭と新一のじれったい関係がさ、幼稚園や小学校低学年のころから、私はすごく好きだったのを思い出したよ。まだ女児といって差し支えない年齢から、今思えば「萌え」の感情を持っていたんだなぁ…

 で、ゆうべ風呂から上がったアタクシは頭を拭きながら、流しっぱなしの「世紀末の魔術師」を聞いていたわけ。
 そしたらラスト5分でリアルに叫んじゃった。「ハァ?!?!?!ウソでしょ?!?!?!これはあまりにも萌えすぎるだろ!!!!!」(アラサー独身オタク女ひとり暮らしの部屋で渾身の叫び)
 どんなに痛かろうとも心の底から出た本音なので許してください。

 コナンの挙動があまりにも新一のそれであるが故に、蘭がコナンを問い詰める。コナンが正体を明かそうと「俺は…」と、口を開いたところで、そこに颯爽と現れるわけ!!!
 「新一…?!」が!!!これは新一に化けたキッドなんだけど。キッドの粋なはからいがあまりにもエモくて絶叫しちゃったよね。
 (今作から服部平次と灰原哀とキッドが出てくる)

 初期の映画は何回か観てるとは言ったけど、大人になってから何年経ってると思ってんの?ストーリーを詳しく覚えてるわけがないじゃない。完全に油断してたわ。
 蘭と新一なんて作中何回も擦られてんのにさ、俺はときめいてしまうんだな。初期のコナンってそういえばこんなんだったなって思いました…
 想い人は子どもの姿をして一番近くにいるのに、「会えない」。蘭と新一の関係性はじれったくてエモいよな。

 忘れてたんだよ。子どもの頃すんごい好きだったってこと。そんで今も好きなままだったってことに気付かされちゃった。
 コナンとは関係ないけど、中高生のころは君に届けド真ん中世代でして、あれをリアル思春期のころに読めたのは本当によかったなと思う。
 土曜日に読んだのは「HappyBirthdayちとせくん」というBLだったんだけど、もうね、泣きそうだった。すごい。高校生くらいってこうだよなって、こんなに繊細だったのかと今の私は思った。
 大人になる手前の生き物が、幼いながらも確かにお互いを好きでいて、大事に思い合っているのなんか見たらもうね、泣いてしまいますよ。本当に。

 「萌え」をもう上がったと思ったんだけど、「そうだったそうだった、私の萌えの原点はこれだった」っていうのを思い出した良き週末でした…
 あまりにも荒みきった現実の中で、生きていくのに必死で忘れてたんだよ。本当に好きだったものすら忘れてしまうなんて、大人になることってどれほどに残酷だろうか。もう忘れたくない大好きなものたち。

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