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耳の痛い話

 三連休は本当に何もしなかったし、したくもなかった。何かしようという気力も金もなく、最低限の家事と最低限の外出のみをし、あとは無為に過ごした。貧困の独身はつらい。せめて貧困でなくなりたい。
 今週は今日さえ乗り切ってしまえばラクであることが確定してるので、そんなに緊張しないで終えられそう。もうすでに早朝覚醒3回してて、5時半に目が覚めてからは諦めてずっと起きてる。どんだけ現弊社に行きたくないんだろう。一応睡眠時間を7時間確保できてるとはいえ、質はここのところダダ下がりである。どんだけメンタル弱いんだろうか。自分の人生であるのに、自分ひとりも楽しませられない私ってなんなの?
 昨日は久しぶりにDr.益田のYouTubeを視聴して過ごしたら、目からウロコの発見があった。

 現弊社に異動になってから、あまりにも抑うつがキツイので、藁にもすがるような思いで視聴したのが一番目のHSP動画である。これを監修したのがDr.益田だったので、二番目の本人の動画も続けて視聴した。
 Dr.益田は言う。心の弱い人間は、「劣性を劣性のまま受け入れるのが難しい」と。おっしゃるとおりである。さらに、「敏感で繊細なのは、他の人が気づけないことを気づくためだ!これは自分に与えられた才能だ!」といった「物語性」に弱い…と。
 これは自分でもよくわかっていることで、「今、事実として起こっていることを直視せず、自分にとって都合のいい解釈をしようとする」という傾向がある。そうすることで自分が傷つかないようにしているだけなのだが。
 さらに、非常に秀逸な言語化をしてくれているコメントから言葉を借りるとするならば、「自分に意識が向きすぎており、結局は自分への気づかいが足りないことに不満を持つ」のが自称HSPであるという。ぐうの音も出ない。
 他人が感じない生きづらさを感じている時点で、「劣性」といえる特性を持っている。それをまず受け入れる必要がある。敏感すぎて生きづらいのなら、それは単純にマイナスポイントだ。
 自意識過剰ゆえに忘れがちだが、コミュニケーションは一方的なものではなく、双方向性のあるもの。それなのに私には相手を楽しませようという気概にいつも欠けている。いつだって自分がどう思われるかに意識が向かいすぎている。いっしょにいてつまらなければ、相手は簡単に去っていく。
 私が恋愛したかったのは、ただ自分が愛されたいから、楽しみたいからだった。現実に上手く適応できないから、自分をひたすらに愛し、受け入れる存在を求めた。なんだろうね、茶番でもやってんのかな?
 自分でもウンザリする。結局は自分の思う通りにならない世界に文句を言っているだけ。自分から働きかけなくても、自分にとって都合のいい世界であってほしいだけ。なんでこんなに精神が幼いのだろう。
 それからDr.益田がよく言うのは、「あえて疲れる考え方をする患者さんが多い」ということ。これにも完全に同意する。もう過ぎたことや他人についてあれこれ悩んでもどうにもならないのに、いつまでもぐちゃぐちゃ考えて、ネガティブな感情をわざわざ引っ張り出す。何故?ヒマだからだよね。
 自分が本当にくだらないなと思うのは、「傷つきたくない」という気持ちをいつだって最優先してること。失敗して恥をかきたくない、だから何にも挑戦しない。苦手なことは避け続ける。それで世界からやさしく微笑みかけられるのをいつだって待っている。何の価値もない人間にやさしくしてくれるほど世界は甘くない。痛い目見ずにラクして幸せになりたいなんて、甘ったれにもほどがある。
 苦手なこととは「他者との関わり」である。苦手なりに頑張ったことが、ただの一度でもあっただろうか。そんなんだから他人に期待してばかりの他力本願の生き方になるんだよ。

 結局はできることをやってきただけで、苦手を埋める努力なんてしてこなかったってことか。だから今望んでない場所にひとりきりで立っている。内省はほどほどに、いいかげん他者の意識に目を向けろということか。
 まぁね、30年間グズの生き方をしてきた私が、31歳の一年間必死にがんばったところで、過去のグズさが帳消しになるわけないってことだよね。当たり前か。
 自分を追い詰めるようなことばかり書いてしまったので、元気になるようなことも少し書いておくとする。

↑秀逸すぎんか?いつだってこの気持ちでいたい。(全然反省してねーだろ)

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