回転ずしには五年くらい行ってない。行く予定もない。申し訳ないが、わたしはもう絶対行くことはない。ゲノム編集真鯛が嫌過ぎるから。スーパーでも鯛を一切買ってない。表示義務がないので、消費者が選択できないのだ。

そもそも、数回しか行ったことがない。
小さな子供がレーンから皿を取って、親が「だめよ!」と言いながらレーンに戻す光景を何度も見てきた。
一度手に取った皿をレーンに戻すのが衝撃的であまり行きたいと思わなくなった。でも、至近距離で皿が回るお店に小さな子供を入店させれば、当然そうなるのは予見できる。店員が注意しない様子を見て、そもそも子連れのファミリー同士がある意味「泥んこ遊び」するような場所だと思っている。

そう思うので、わたしは、行くときは子供の唾を食べるくらいの覚悟で行っていた。でも、そもそも他人と話すときに唾は吸い込んでるし、公衆便所に行けば他人のウンコも吸い込んでいる。よく考えたら、さほど気にすることでもない。

昨今、回っている寿司に意図的に唾を付けるという行為が若者の間で流行っているようだが、そのような事象を社会システムとしてどう捉えるべきだろう?

そもそも、社会倫理は急速に失われている。

「牛丼シャブ漬け問題」で一般にも明らかとなったが、大手企業では認知バイアスマーケティングを利用した集客が常態化している。わたしはこれを合法的詐欺と何度も記事で書いてきた。知らない人がいるかもしれないので再度リマインドしておくが、この行動経済学を応用して誕生したマーケティング手法は、消費者の認知機能の欠陥を悪用して騙して物を売ることを可能にする最先端の手法なのである。回転ずしチェーン店でも不適切な広告表示があったときいたことがある。
それから、企業はSNSマーケティングも大いに活用してきたはずだ。つまり、認知バイアスマーケティングやSNSマーケティングによってその店にある意味でおびき寄せられた若者が、流行りのSNSで人気を取ろうと行動をエスカレートさせた、ということだろう。

これも十分予見できるはずだろう。
露見していないところで、このようなことが沢山起きていると容易に想像できる。
だから、回転させない回転ずし店も出てきている。
問題が起こることをあらかじめ予見できるのだ。
にもかかわらず、対策を怠って問題が起きたときに問題を起こした者だけを過度に糾弾するのはフェアではない。
それどころか、見方によっては、このような業態の本質的問題の告発者と捉えることもできる。回転ずし店で、このような問題がこれまで起こってないわけがないのである。

倫理の話をするなら、ゲノム編集真鯛を開発したのは大手回転ずしチェーン店と大学だ。
この決定的な倫理違反をどう考えるのか?
表示義務が無いため、レーンで流れているかどうかもオープンにされてない状況なのである。
わたしは法律違反でなければいいとは思わない。
使ってるのか、使ってないのか、どちらかオープンにすべきではないだろうか。
わたしは、ゲノム編集は法律よりも優先させるべき生態系の秩序を短期で破壊する危険な行為だと考えている。そう考える理由は色々あるが長くなるので割愛。

以上により、わたしは若者が完全に悪いとも、どっちもどっちだとも思わない。寿司に唾を付けた若者は、ある意味システム的に誘導されたと考える。
もちろん、全く悪くないとは思わない。しかし、人間みなが完璧ではない。影響されやすい人々も出てくるし、なにより、そういう影響されやすい人をマーケティングでおびき寄せているのは企業の方である。

このような事象が起こるのは企業のリスクマネジメントが足らないと思う。津波など予見できず原発事故は起こっても仕方なかった(津波のせいだ)と強弁できる国だからこうなってしまう。リスクを管理出来てなかった企業の言い分が通ってしまうのである。

犯罪を犯した人間を死刑にすれば解決、のような思考は短絡的で、原因が社会にあるのではないか?と考える視点は重要である。
でなければ、わたしたち家畜を閉じ込める檻を絶対に認識することはできない。それによって8割もワクチンを打ってしまったことをもう忘れているのではないか。

そもそも、忘れているのか?最初から理解できてなかったのではないか?
ワクチンに反対している人々が若者を糾弾しているのは滑稽である。多くの人は、結局のところ問題の構造を認識できていなかったのだ。単に、たまたまワクチンを回避できた人々も多かったということだろう。

そもそもこんな話より、ゲノム編集真鯛を作り出した問題を扱ってほしい。わたしはオーバーテクノロジーによって大好きな鯛を奪われてしまったと怒っているのである。そっちのほうがふざけんなと言いたい。

おわり