相撲と朝鮮人 ~国譲りの謎とアルタイ語族の系譜~

相撲には不可解なことが多い。
そう思いませんか?
神事に関わっていたというがどう関わっていたのか?
ほどんどの人はそれを知りません。知ろうとしない。
具体的に紹介されることもないと思いませんか?実は突っ込まれると都合が悪いので意図的にされないのです。

日本人はみな「神事」というパワーワードで思考停止に陥ってしまいます。これは本当に不思議ですね。明治期に神事が強力に天皇制と結びつけられてから、あいまいなものをそのまま受け入れてしまえる心構えが日本人の中に出来上がっているような気がします。戦後になっても「国家神道」を信じ込んでいるのです。

わたしは神事と聞くと、天皇制ではなく「朝鮮人」というワードとビビッと繋がってしまい、これは研究対象ということになってしまいます。なぜなら、日本の本来の「神道」はそもそも朝鮮由来で新羅系出雲族の祭祀が元だからです。古代の「国譲り」によって、朝鮮系出雲族から権力を譲られた側の体制が出雲族の神事やらをそのまま受け継いだというのが事実なのです。つまり、神事も神社も相撲も朝鮮由来で出雲に入ってきたものなのです。日本酒や日本刀もそうですね。出雲族は醸造技術や製鉄技術など、数多くの技術も日本にもたらしました。

歴史に詳しくない方は知らないかもしれませんが、実は、大和王朝の成立以前には出雲王朝が存在していました。その出雲王朝は「国譲り」によって消滅し、歴史からも完全に消されてしまったのです。国譲りは神話の中の話ではなく、歴史上のイベントだったのです。

そして、この「国譲り」というイベントを象徴しているのが相撲です。古事記には、国譲りは力比べ(日本における相撲の起源)によって成されたとあります。出雲族の建御雷神と建御名方神がなぜ相撲をとる必要があったのか。これの示唆するところは大変興味深いと思います。現体制の祖である日向族に権力を譲った「国譲り」という大変なイベントを成就させたこの相撲の本来の意味とはいったいなんなのでしょう。相撲というものを突き詰めていくと、実は国体の根幹にかかわる大変に重要なものだということに気が付きます。

貴乃花が復古を目指した国体とはなんだったのでしょう?
元横綱力士が国体という言葉を使うとすごみがあります。理由は今話した通り、相撲が古代の国譲りに直結しているからです。さらにいえば、出雲族の風習であった相撲を生業とする元力士がことさらに国体という言葉を強調することは、出雲族から権力を継承した現体制に対しなにやらものものしい印象を与えてしまうのではないでしょうか。現体制にとっては、相撲を単なる興行にしておきたい理由があるのです。今の日本では出雲王朝の存在を示唆することは一切許されないのです。相撲はその起源をさかのぼるほど、国民国家という観念を形成する国家神道を瓦解させる端緒となりかねないのです。したがって、現体制にとって相撲は単に興行でなければならないのです。微妙に神事をにおわせたくらいの興行でちょうどよいのです。

わたしは貴の乱によって貴乃花が失脚し、その後に貴景勝が昇進に際して「武士道」という言葉を使ったことに大変違和感を覚えました。貴乃花の教え子がこんな頓珍漢な言葉を心から言ってるとは思えません。敢えてバカを演じて見せたのではないでしょうか。つまり、貴の乱以後、相撲が完全に単なる見世物になり下がったと感じたのです。武士道は明治政府の使ったプロパガンダワードですからね。侍ジャパンと同じです。武士や侍という言葉は今も国威発揚のために使われる典型的な詭弁ワードです。

現体制は都合によって「神事」やら「武士道」やらを使い分け詭弁を弄するのですが、ようするに、本来の「神道」ではない新宗教である「国家神道」に相撲を利用しているだけです。天皇を利用しているのと同じです。本質を見誤るべきではないです。なにやらよくわからないワードやしきたりの裏には、「漠然とした権威」を利用して国民を操作したい為政者がいるだけです。今上上皇陛下はそれにうんざりしてしまわれたのです。我々は、日頃からよくわからないものを安易に受け入れたり拒否したりせずに、まずは自ら見定めようとする姿勢を身に付けるべきだと思います。

わたしは貴の乱以降、相撲協会が大嫌いになったので相撲をほとんど見なくなって、いまはテレビを捨てたので一切見ません。興味もなくなってあまり調べることもなくなりました。でも、ひょんなことからその興味が再びちょっとだけ湧いてきました。実は兵庫に饒速日命や建御雷神、野見宿禰など出雲族ばかりを祀っている特殊な地域があります。少し離れた場所には須佐之男命を祀った場所もあります。先日、野見宿禰を祀った場所に、あるモンゴル系の元力士が参拝したことが小さなニュースになっているのを見ました。実はその場所に、野見宿禰の本来のお墓があるのです。

《わたしは、モンゴル系の元力士が野見宿禰を祀った兵庫の辺境の地にわざわざ足を運んで参拝したというのがとても興味深かったです(かつては出雲王朝の産業都市でした)。わたしは、やはり貴乃花も核心を理解していたのではないかと思います。国譲りの意味を理解して国体という言葉を使っていたのではないか?だから社会からある意味で抹殺された可能性があると感じました。この国では本当の事を主張する側がいつも抹殺されてしまいますからね。ちなみに、日本で古墳の調査が積極的に行れないのは天皇(日向族)の葬儀を司ったのが実は出雲族の野見宿禰の末裔(土師氏)だからです。わたしは貴の乱には一般には一切語られない深い意味があったと思っていますが、これもいつもながらわたしの独自説です。》

実はアルタイ語系の民族は同祖でルーツが遼河流域(中国東北部)にあるということがドイツの国際調査団による大規模な調査を経て一昨年レポートされました(遼河文明といいます)。このレポートのことをほとんどの方は知らないのですが、これ、実は恐ろしく重要なレポートでした(理由は下のリンクの記事を見て下さい)。モンゴル人、朝鮮人、日本人はそもそも同祖だったのです。モンゴル相撲、朝鮮相撲(シルム)、日本の相撲は非常に似ています。調査をした国際調査団は、農耕文化の伝播とともに言語の拡散と分離が起きたという『農耕民仮説』を提唱しています。日本でも相撲は収穫を占う神事(宮中行事としては相撲節会)だったと紹介されることがありますよね。だとしたら、国際調査団のレポートと整合するような気がします。つまり、相撲の原型は遼河流域で生まれ、農耕の伝来とともに出雲に入ってきた可能性があります。出雲族の須佐之男命と結婚した櫛名田比売(稲田姫命)は稲作の伝来を象徴する神としても有名です。ちなみにシルムの古代壁画が見つかったのも遼河流域で、高句麗の墳墓から見つかっています。もしかしたら日本の古墳もまだ調査してないところを調べたら相撲の壁画が見つかるかもしれませんね。兵庫の遺跡からは相撲を装飾した須恵器が見つかっているそうです。

つづく
(続けようと思ってましたが、加筆をしたのでこれでおわり)


参考記事

※上の記事は後半部分を編集中です。国際調査団によるレポートはこの記事の中にリンクを含め解説した箇所があります。

参考リンク