「千と千尋の神隠し」と朝鮮人

映画「千と千尋の神隠し」に出てくるハクは朝鮮人です。
ハクは饒速日(ニギハヤヒ)がモデルで、タイトルにある「神隠し」というのは、日本の歴史において饒速日という本当の神(王)が隠蔽されていることを言っています。日本の神話ではこれを「国譲り」と言ってますが、これは、実際には神譲りであり神隠しなわけです。大和王朝の成立前にあった朝鮮系の出雲王朝が歴史から隠蔽されてしまったのです。
映画のタイトルがストレートに「神隠し」となっているのはセンセーショナルすぎますよね。日本の歴史から隠蔽されている!って思いっ切り言ってるわけです。でも、残念なのはほとんどの人がそのことに気が付いていないことです。日本の歴史から隠された本当の王のことを言っている映画だと、ほぼ誰も気が付いてないんです。(詳しい話は下に貼ったリンクの記事を見て下さい。)

以前も他のジブリ作品において同様のことがテーマになっているという記事を書きました。「ナウシカが朝鮮人、ラピュタが朝鮮半島」という記事です。(ナウシカも饒速日がモデルで朝鮮人です。)この記事の中で、「千と千尋の神隠し」について、宮崎駿三部作の外側にある作品ではないかと言いました。三部作というのは私が勝手に言ってるだけで、「風の谷のナウシカ」、「天空の城ラピュタ」、「もののけ姫」がそうです。これらの作品では、一貫して日本の古代の隠蔽された歴史がテーマになっていますが、「千と千尋の神隠し」は饒速日だとか神隠しだとかいうストレートなワードが使われていますので、内容としては意図的にエンタメ性を強めて、隠蔽された日本の歴史を扱っていることが分かりにくくなっています(と、わたしが勝手に思っています。)

これも以前記事にしましたが、上橋菜穂子さんの作品でも、王家による歴史の隠蔽がテーマとして扱われています。私は上橋菜穂子さんの作品も大好きです。訴えたいことも凄くわかるし、物語としても凄く面白い。主人公の心理描写も凄く上手い。特に好きなのは「獣の奏者」。それから「鹿の王」。「鹿の王」のサエという女性の設定は凄く好き。心理描写も上手い。強いのに女性らしさがとても上手く描かれている。「精霊の守り人」のバルサも女性でした。女性の主人公を描くのがとても上手いと思います。

上橋菜穂子さんは「指輪物語」で有名なトールキンを凄くリスペクトされているようで、そもそもファンタジー作品が体制への批判として描かれてきたことの意味をよく理解されている方だと思います。本質を理解されていて、書かれている作品が素晴らしいってことは、全部素晴らしいってことです。ようするに、単にエンタメとして書いているのではなくて、文句を言いたいことがあって書いているということです。もちろん、トールキンもです。私は最近、難しい本はほとんど読んでなくて、上橋菜穂子さんの小説を読んでいます。同じのを何度も読んだりします。

難しい本を読んでる人は尊敬します。でも、本に書かれている内容が自分自身になっている人がどれだけいるのかな、と少し思ったりもします。書かれていることを理解できることと、自分の血や肉になるということは違うと思います。単に頭で理解して、知識マウントするためにロジックとして振り回したり、果てはマーケティングのための哲学なんて言い出している人が最近沢山出てきていて、私はもうこの世界はかなり終わりに近づいたな、と真面目に思っています。

原発事故やコロナ下を経験して、最近、経済学者の宇沢弘文や斎藤幸平さんなんかが取り上げられたりすることが増えましたが、彼らの論点を単に理解するだけでは何も変わらないと思います。知識として理解するだけで、必要な時にそれを取り出して誰かを論難するために使うんなら意味がないです。本質を直感できること、これが何よりも重要で、私はこれを本質理解と言っています。哲学もそうです。感じる訓練なしに、何かを変えることは難しいと思います。何も感じ取れないのに知識だけある人、最近そんな人が異常に増えています。いわゆる暗記バカです。行動できるフランス人と静観することしかできない日本人との差はそういう所にも原因があると思います(それだけではないです)。感じる訓練なしに大人になってしまった人は、、、これはもう遅いです。コンクリートジャングルで生まれ育った人が大多数の社会が民主主義やってるって恐ろしいです。

先日、ウナギの陸上養殖を取り上げてこれを持続可能な社会だと報道しているテレビ局があって、その記事をネットで見て愕然としました。なぜこれが持続可能だと言えるのか。そもそも陸上で海の魚を育てるなんて明らかにおかしい話です。そんなことを言い出したら海を綺麗にしようという動機が生まれなくなる。完全にクルクルパーの論理なのですが、科学主義というのは恐ろしいですね。科学によって自然からかけ離れた環境を作り出すことが持続可能な社会だと布教しているんです。論理で考えるから分らなくなるんです。感じることで本来なら瞬時に分かることが、もうみんな分からなくなり始めている。わたしは最近凄くそれを感じます。ゲノム編集真鯛も陸上養殖なんです。環境に逃げないように敢えて陸上養殖でやってるんです。その陸上養殖をテレビが持続可能なツールだと布教してるんです。直感できないうえに、無知にもほどがあります。ゲノム編集真鯛はもう寿司屋に出回っているようです。私はこの鯛の流通が始まってからスーパーでも鯛を一度も買っていません。表示義務がないから見分けがつかないんです。オリジナルとフェイクが混在した社会は、最近話題の生成AIだけがもたらしているんじゃないです。もうすでに、この社会は偽物であふれてるんです。ボードリヤールは大量消費社会がそもそも世の中をそんな風にしてしまうと警鐘を鳴らしていました。

ここ数年、大きな災害を何度も経験して(狂牛病、原発事故、コロナなど)、危機を俊敏に回避するには、何よりも直感力が重要だと最近改めて思います。資本主義(科学主義)は宿命的に論理的でないことを軽視することから入ります。軽視したことの中に大変な見落としがあったことは歴史が証明しています。だから、平時から社会を健全に保つには何よりも直感力が重要だと思います。難しい本を読むことも大事ですが、ジブリ作品などを見たり、外に出て自然と戯れることが凄く重要だと思います。アダム・スミスが理論構築できなかった他者への「共感」は、そもそも自然と戯れることから生まれると思います。今日、嘘まみれのワクチンによって人類が危機に陥っているときに、他人を助けることができず、メディアも含めさらに死地に追い込んでしまう人々がわんさかいるというのは異常です。論理主義(科学主義)というカルト宗教にのめり込み過ぎではないでしょうか。

そういえば、以前、ウィリアム・モリスを取り上げました。トールキンにも影響を与えた人です。産業革命の初期には、何かが違うと直感していた人も多かったのではないでしょうか。自然が軽視され、労働者がガラクタのように扱われる社会に疑問を持たない方が異常です。でも、今日、そう思わない人の方が多くなっているように感じます。科学主義は理性(論理)が生み出したものですが、数学や物理も含め、論理は人間にとっての論理でしかなく、これは普遍的な真理でも何でもないです。人間にとっての恣意的な方法でしかありません。一方、科学の対極に腰を据え因果の詭弁くことを定めとしてきた実存哲学の系譜は、直感力を概念化し体系化してきた学問の系譜です。そういうことが大人になっても分かってない人、直感できない人は、子供の時にやるべきことがまるで出来てなかった人です。感じることが出来ず、(哲学的な意味で)論理的に理解することもできない人は生態系の論理を軽視します。そういう人々が世界をガラクタに作り変えています。

ファンタジー作品は直感に訴えかける文学だと思います。
ジブリ作品を見ても、何も感じない、何も理解できない、つまらないという人は、もう人間として死んでいます。コンクリートジャングルが生んだエコノミックアニマル(生きる屍)です。

おわり


参考記事