「食べることしか楽しみがない」という最強魔法

数日前に、またこれを言ってる人に出会いました。
バカじゃねーの?食べることは最高の楽しみであり、幸せです。
資本主義社会によって食べるまでの過程における楽しみを奪れてるんです。

魚釣りはしますか?
魚を釣るのって凄く楽しい。
私は高校生の時、ダイワの三万円の釣り竿を買って父親に叱られた。高すぎるって。まあ、高すぎますね。でも、友達は7万円の最上位の釣り竿を買ったんです。
道具にこだわるのって基本的に意味ないと思うんですよ。さほど違わなければ。でも、数万くらい出すと釣り竿はがらりと変わる。

釣り竿はダイワだったけど、当時シマノのフィールドテスターの高橋哲也さんにあこがれてて、なりたい職業がこれでした。今考えると、本当に好きなこと、なりたい職業から、社会システムによって遠ざけられてしまったんだなと思います。稼げる仕事の方が価値があると刷り込まれてしまいますからね、いまの社会って。そういう意味でわたしは未熟だったと思います。

私はバカみたいに受験勉強なんてして損しました。今もし時間を巻き戻せるなら、私は料理人になりたい。だから、別に中卒でもいいと思う。学校は競走馬を育てる飼育場と同じ。その飼育場の飼育員が給料が安い!もっと上げろと言ってるんだから気が滅入る。彼らの主張はシステムに沿えば腑に落ちるところもあるけど、そもそも論で言えば戯言。子供たちを競争することしか能のない暗記バカ(競走馬)に育てあげることに何の疑問も抱かない教師が子供になにを教えることが出来るのでしょうか。シモーヌ・ヴェイユを読むところから始めたほうがいいと思います。

進歩観念にとらわれて、他人と死ぬまで競争しつづけることを強要され、生きてる間ずっと「空洞の論理」を勉強してなくちゃいけない社会は異常です。そんな異常さに気が付かず、がむしゃらに勉強してきた暗記バカ同士が知識マウントばかりして戦っているのが現代社会。バカじゃなければ、今の社会がローマの闘技場と同じだと思うはず。わたしはローマまで行ってこれを見てきた。そして直感した。なるほど、これが資本主義の原型なのかって。ニーチェの言った通り。本当にものすごい洞察力。

ていうか、そんな話をしたいわけじゃない。
イケメン過ぎてモテるのがめんどくさかったから釣りに没頭してたとか、そんな話もしたいわけじゃない。とにかく自然が好きだった。多くの友達からダサいと言われたけど、イケメンだったからそう言われることが全く気にならなかった。釣り竿に巨大魚を感じた時のあの強烈な快楽は、当時の自分にとって強烈な真実だった。

その真実が奪われているのが現代社会。
食べることが本来最高の楽しみだという真実すら奪われた社会では、「食べることしか楽しみがない」という言葉は最強魔法として機能し、みな週末になると遊園地や水族館に「空洞の楽しみ」を求めに出かける。

おわり