最近、本当に美味しいものを見直す運動を勝手にやっています。
急速にあらゆるものがゲノム編集されていってるって危機感のせいかもしれませんが、今のうちに本当の味をしっかりと噛みしめておきたいってなんとなく思うんです。もちろん味が劇的に変わるわけではないのでしょうけど、オリジナルが失われ永遠に噛みしめることができなくなると思うと、悲しくて、切なくて、抱きしめたくなってしまうのです。

いつもナウシカの話になってしまうのですが、わたし達が暮らすリアルの世界も、ナウシカの世界と同じようにあらゆるものがゲノム編集されていくことになります。そしてこれもナウシカの世界と同じですが、ノアの箱舟計画によってオリジナルは為政者によって密かに保全されています。冗談で言っているのではないですよ。宮崎駿は本当に偉大な哲学者であり予言者だと思います。最後のその時に、もし選択を迫られるものがわたしなら、間違いなくナウシカと同じように為政者のもつオリジナルをぶち壊します。オリジナルを愛しているからこそぶち壊します。

オリジナルと模造品が入り混じって判別がつかなくなるハイパー現実世界を予言したのは仏の社会学者のボードリヤールですが、まさに今、そのハイパー現実の中でシステムに隷属するだけの単なる記号となった人間やら動植物が遺伝子改変されいじくりまわされています。でも、バックアップもできないのにそんなことをしているとは思えません。本当にナウシカと同じだと思います。今後、遺伝子改変されいじくりまわされた生き物が本当に用済みとして廃棄されるような最後の時が来るかもしれません。この辺りを庵野秀明はどう描いたんでしょう?って今ふと思いました。映画を見てないのでわかりません。エヴァンゲリオンはこのナウシカの最後の時を終始庵野さんの視点で描いているアニメですからね。

最後の時なんて今のうちから想像するのは考えすぎかもしれません。でも、急速にあらゆるものがゲノム編集されていっているのは事実です。それで、当たり前のように身近にあるもので、実はめちゃくちゃ美味しいものだったと気が付いてなかったものを探しています。ポイントは鮭の皮です。これ、むかしテレビでピーター(池畑慎之介さん)が言っていたんです。どんな食べ物が好き?って訊かれて、鮭の皮だって。私はそのときハッとして、確かに、、、って思いました。とても身近にあるものなのに、気が付いてないこと、誰かに指摘されなきゃ自覚できないことっていうのがあるんだなあって思いました。

失って初めて気が付くんじゃなくて、今あるうちに抱きしめておかなきゃいけないものがある。

わたしはいつもそんなことを考えてるんですが、そういう思考の引き金になってるのは鮭の皮って言葉だったり、ナウシカだったりします。記憶と結びついた大切な言葉は、ナウシカと鮭の皮です。わたしは西欧哲学の勉強やらいろいろやってきたけど、結局こころに刺さっている映像や言葉っていうのは、こんな感じです。だから、あまり難しいことをあれこれ勉強するのは無駄が多いなと思ったりもします。知識マウントをしてくるくだらない連中に議論で負けないくらいのメリットしかないです。バカみたいに本を読むことを個人的には勧めません。日本の暗記勉強ってバカみたいに詰め込み過ぎて要点(本質)がわからなくなることが問題なんですよ。

わたし、いつも言っていますが、めちゃくちゃイケメンで天才なので、美味しいものを食べられたらそれで幸せなんです。本当はアホと議論なんてしたくない。イケメン度で勝ってるからブサイクに議論で負けようが別に悔しいと思わない。本当のこと(本質)だけ見失わないように生きてゆきたい。それだけなんです。でも、日本の大企業なんかにいると終始アホな知識マウントバカ(暗記バカ)と戦ってなくてはいけない。くだらないです。そういうルサンチマン丸出しのブサイクが世の中をどんどん難しくしていってる。あー生きていることがくだらないです。毎日たくさんの人が電車に飛び込んでますが気持ちわかりますよ。でも、痛いのでやめましょう。元気なうちに会社を辞めましょう。宮崎駿と並ぶ偉大な哲学者であるアントニオ猪木が言ってました。

本当の豊かさって、わたし個人としては、美味しいものを食べられる生活です。だから、美味しいものを食べ続けるには環境がめちゃくちゃ大事だし、そういう環境を破壊してる科学主義が大嫌いで、そうさせているイデオロギーの意味を常に問い続けなきゃいけないと思っています。
だから、とても身近な問題からはじまって、資本主義がどうたらこうたら、いつもくっそ面倒なことを考えています。とても身近な問題からはじまってるんです。でも、本当はくだらないことばかり考えて人生を無駄にしたくないって思ってます。

おやすみなさい。