中学の時
今日はただただ中学校生活こんな感じだったな、って話を描きます。
主にいじめや家のことを書こうと思うのですが、正直あまり覚えていないのでしっかり文になるかわからないです。
でも、未来の私が「ああ、こんなこともあったな、頑張ったな」と当時の自分を褒めたら嬉しいので、形には残しておきます。
中学のいじめのきっかけは、小学校のいじめのメンツが引き続き私をいじめてきたことです。中学1年の初期の段階で「こいつに関わったら自分もいじめられる」というイメージは周りに定着していたと思います。
さらに、中学の作文の課題で小学校時代のいじめに関する作文を書いたのですが、タイトルも目立つものだったので、クラスの皆の前で発表した時に炎上しました。この時に「いじめは良くない」ではなくて「こいついじめとけば、避けていれば、周りに目をつけられない」と皆が認識するあたり、私の育った地域の民度がわかります。いじめる気質のある人が多くいる地域でした。
そしてあっという間に噂になって、一気に学年から目をつけられるようになりました。しかもその作文が学年内投票で1位を競うものだったので、ネタにされるように学年1位に選ばれました。
…確かに私がいじめる立場だったら、あんな作文書かれたらネタにします、笑笑
今考えると、よくアレを作文にしたなあ。
そこから安定にいじめを受けるようになって、机とか椅子蹴っ飛ばされるとか、すれ違いざまに侮辱されるとか、大声で悪口言われるとか色々ありました。
目のことを指摘されるのと暴力がなかったのは、不幸中の幸いです。
……嘘です、男の子に髪引っ張られたことは何回かありました。
あと、部活も楽しくありませんでした。
保育園に入る前からずっと仲良かった先輩の子に誘われてバスケ部に入りました。私の代は10人だったので自然とグループが出来ましたが、グループ同士で衝突したり、グループに格差ができたりして、気づいたら私の仲良い子達はみんなやめてて、例の仲良い先輩も1番ヒエラルキーが上のグループにならって、私のことを避けるようになりました。
私の代になってすぐに、いちばん強い3人グループと私1人だけになってしまい、居心地がとても悪くなりました。部活内や合同練習の時などにハブられることがよくありましたが、私の親含めそれぞれの保護者も見て見ぬふりでした。
しかし私は部活を一生懸命やっていました。そのせいか頑張りが評価されてしまい、私は部長になってしまいました。責任を負う立場になった以上、もうやめられません。仲間はずれにされながらも最後まで続けていました。
そんなチーム強くなる訳もなく、地域最弱のまま終わりましたけども。
しかしいじめを受けていたのは私一人ではなくて、他にも何人もいました。クラスが変わるごとに話せる人はできたのですが、いじめられて不登校になる子が多かったです。
しかしその中で、中学の時に特に仲良くなった友達が3人いたのですが、その3人もまた別の原因でいじめにあっていました。
私はその子たちがいるから学校に行けていたのもありました。
結局、3人ともいじめに耐えられなくて不登校になってしまうのですがね。うち1人は、親にお願いして転校していきました。
私も不登校になりたいって何度も思ったことがありました。
しかし親は無難が大好きな人たちですから、いじめの状況を知っていながら絶対に不登校になるなと言いました。
黙って学校を休もうものならその日の夜は怒られます。
学校に行きたくなくて泣いている私を無理やり車に乗せて、中学の駐車場まで連れていき、先生に迎えに来てもらうこともありました。
そして、学校を休むと勉強が出来なくなる、行ける高校が無くなる、とよく言われました。
高校に行けなくなるのが嫌で、3年間頑張って通っていました。
そんな私のストレスのはけ口は、過食嘔吐、自傷行為でした。
昔から食べることが大好きで、食べ物のありがたみは誰よりも感じていました。でも、ストレスで沢山食べてしまっては吐きたくなって、「ごめんなさい」と泣きながら吐いていました。
痛めつけられても「まだ大丈夫、生きてる」って気持ちが欲しくて、色々なところに傷をつけました。
今でも、吐きぐせと自傷のあとは残っています。吐きたい時に手を入れずともいつでも吐けるようになってしまったし、腕の傷はきっと一生消えません。生きた証ですね。
あと、絵を描いたりピアノを弾いたりすることで、ストレスを取り除いていました。
だいぶまとまらない文章になってしまいましたが、私の中学生活はこんな感じでした。
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