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持つ者と持たざる物

「今の若い人は何かを手に入れて感動することがないでしょう?」
という趣旨のことを言われた。
若い人と言っても私は40代。私が受けて良いとばっちりかどうか確認するために話を聞いた。
ゲーム、漫画、SNS、スマホ、なんでも若い頃に揃ってるから今さら手に入れる感動はないだろう?
という話だった。
なるほど、私の年代でも20代にはPHSが出始め、ゲームもファミリーコンピューターなら小学生の時からあった。漫画もたくさん読んだ。
別段ほしいと望まなくても手が届くところにそれらはあった。
だが、それがなんなのだろう?
私は初めて手に入れるものにはちゃんと感謝の気持ちがある。
「私の元に来てくれてありがとう」
と思う。どんなに安価なものでも出会いに感謝する。だってそれが、なんでも容易く手に入る時代を虚しくなく生きるコツだから。

私には元々悪い癖があった。なにかが足りなくなりそうだと必要以上にストックを買って、次に買いにいく手間を躍起なって排除する癖だ。そうしないと不安でたまらなかった。ストックが残り2個くらいになると出先でもそれを買い足すことを考えてしまった。
今では、逆にストックは多くても2個しか置かなくなった。
不思議なもので「たくさんある」と思うとその1つの使い方が雑になる。トイレットペーパーは乱雑にがらがら引き出して引きちぎり、ティッシュはこぼれた1滴をぬぐってポイっ。
なんの感慨もなくいつの間にか消費していく。
たくさんストックがある安心感と引き換えに、大切に使う豊かさを手放していた気がする。
長くなったが、物が揃っている時代の過ごし方も同じではないだろうか?
いつでも、今使ってるものがずっとあるとは限らない。そう思うと、
「今買ったひとつが最後かも」
と思える。
「最後かもしれないものを買いしめていいのだろうか?」
と思うとむやみにたくさん買わなくなる。
ストックが把握できるから大事に使う。
この方法にしてから、不思議とたくさん買ってたときに湧く謎のイライラがなくなった。
「なんで毎回私が買い足すのよ!」
「なくなりかけたら言ってよ!」
「トイペの芯床に転がしとかないで!」
あんなにあったのにもうなくなった!と焦りのような気持ちもあった。
今は、トイペをひとつ買って帰るところ。
よく家にきてくれたね。明日から私らの尻を存分に拭いてくれ。出会いに感謝。
しかし、やっぱりトイペの芯は転がさず紙ゴミにだしてほしい。


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