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みんなが知らないCCJ。1

1989年東京都品川区。都内と言っても都市部ではなく運河と首都高速道路が走る南大井に、とある「学校」が開校されました。その名は「クラウンカレッジジャパン」。当時クラウンと言えば真っ先に思い浮かぶのは車の名前。もしくは王冠の英語名?などなど。カレッジは大学?ジャパンは日本。この「クラウンカレッジジャパン」とは、なにを学ぶ学校なのでしょう。


「クラウンカレッジジャパン」。通称「CCJ」は三年間で三期のオーディション合格者を受け入れ、約70名の卒業生を送り出しました。卒業生はプロのクラウンとして活動をする者。学んだスキルを活かし他の表現者になる者。対人コミュニケーション力を身に付け、他業種で活躍する者を輩出してきました。

と、この辺までは公式な記録にも残っています。珍しい学校として多くのメディアに取り上げられる機会もありました。ただ「CCJ」の開校前のエピソード。卒業生をプロのクラウンとして派遣するためのイベント会社「株式会社クラウンカレッジジャパン」の存在。そしてクラウン事業の終わり。これらの流れを部分的に知る関係者はいますが、これ一連で知る人はほぼ居ません。

実はこの記事を書くことになったのは、あくまでも私個人の興味と卒業生として、自分の知る「CCJ」をどこかに残そうという試みが発端です。三期生として卒業し「CCJ」の最後を見てきました。また事業譲渡先の会社で契約社員として所属していた経験があるクラウンです。この事実はあまり知られていません。この試みに絶対に必要な方とコンタクトを取るところから物語は始まるのですが、その辺は「ありがとう。google」程度でいいでしょう。本編にたどり着かないので。


見事キーパーソンと連絡を取ることが出来、快くお話を伺う機会をいただきました。その時の模様を記事として掲載する許可もいただきました。ということで、次回より数回に渡りここに記録を残させていただきたいと思います。今回は本題に入る前の軽い導入です。

昨今のコロナ禍の影響は、健康被害だけではなく経済などの社会的な部分。またモノの考え方。時間のとらえ方。人との距離感など個人的な感覚的な部分。観念や概念などにも影響が出ているようにも思えます。人間同士が物理的な距離を置かなければいけないという状況になればなるほど、精神的な人との距離は近づいていくような気がします。


この文章はオーディション告知のチラシやポスターに書いたあったものです。卒業生は一度は目にしているはずです。これ見てどう思いますか?

「ああ、そうだったな。」ですか?

「なつかしいな」ですか?

「あー思い出した」ですか?


クラウンマガジン編集部 まるせい

ゼロ号なので記事のナンバーもゼロでいいと思うけどイチでもいいし。最初ってことで。


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