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迷惑メールは迷惑

私が心の安定をなくして混乱していたとき、落ち着けたのはその頃通っていたクリニックで、混乱している私をそのまま受け入れてくれたことだった。
私は混乱しているが、対面した先生は落ち着いていた(当たり前だけど)
心理士の先生も混乱してしまった私に「そうなるにはそういう何かがあったのですね。」とさらっと言ってくれた。
混乱している自分を責めていた私は「混乱していることは悪いことだ」と絶賛1人反省会の真っ最中だったので、
「私、混乱してて非常事態だけど、そうでもない?」と思えてちょっと混乱がおさまったように感じた。(今振り返って言葉にすればそういうことだったのだろうと思える)

「日常を送れる人はいつも通り過ごしましょう」
とアドバイスしている人がいた。
「今」は動揺するべき人が動揺するときで(動揺して当然の出来事が起こっているのだから)
動揺しなくてもよい人が動揺すればそれを利用する人も少なからず現れる(ようだ)残念だが。

災害の募金を募る電話がかかってきた。
取引のない銀行名の利用停止メールが何通も届く。
納税されていない、と納税を催促するメールもきた。
通販サイトのアカウントの利用ができなくなります。とか、とか、とか。
ちょっと何言ってるのかわからないんですけど!

落ち着いているときは「おかしい!」とセンサーが働いても、動揺しているときには「どうしよう!」
のセンサーが働いてしまう。
「どうしよう!」のセンサーが働いてしまい、しなくてもいい電話工事をしてしまったことがあった。
心が不安定なときに「決断」することの困難さと
危険性を痛感した。いい勉強をしたと思うことにしている。

人の弱みにつけこむかのようなことは
「やめてくれー」と思うが、
「やめてくれー」で「わかりました、ごめんね」
ということにはならないので言わないが(こうして書いているが)心の中では「うざい!うざい!地獄へ落ちろ!」と悪態をついている。

自然は罰なんて与えない。災害にあったのは何か悪いことをしたからではない。
話は突然逸れるが、もしも化けて出てきた幽霊に出会ったら私は説教するつもりだ。化けて出る相手を間違えているぞ!と。逸れたついでに、神社の大木に五寸釘で打ち付けられた藁人形を見たことがあった。よほどのことがあったのだろうと思ったが、怨み方が古風だねと友達と話したことを思い出した。

さっき買い物に行ったスーパーのちくわが震災の影響で品切れになっていた。いつものじゃないちくわが売られていた。大きな地震が起こったことは事実のようだ。「ようだ」と敢えて書いたのは、私は被災者ではないからだ。(といって地震が起きたことを疑っていたという意味ではない)
TVのニュースで、SNSで、私も自宅で少しの揺れを感じて。地震は確かに起こったのだろう。(決して起きたことを疑ってはいない)私は被災した当事者ではない。

火のない所に煙は立たない
とはごもっともな場合もあれば、
火はないのに故意に火をつけたり、
煙が立つように仕向けたり…
もっともらしいことをさももっともらしく…
みたいなのはよくよく騙されないよう気をつけようと韓国ドラマを観ながら思った。(オンジュ様頑張って)
できることは「しないこと」って場合もあるんだね。と私は思った。

朝、TVと2回じゃんけんしたんだけど2回ともあいこだった。
今日は鏡開きで朝はお雑煮を食べた。美味しかった。朝食はいつもパンだがお雑煮を食べたのでお昼にパンを食べよう!ということになった。
いつもは6枚切りだが5枚切り!
4枚切りにすればよかったなー。

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