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面白くて…午後

私は小さい頃から父の仕事(民謡三味線師匠)の都合で音楽に触れる機会が多かった。それが日常だった。母のお腹の中でぷかぷか浮かんでいる頃から民謡を聞いていた。この世に誕生してからは、おと⤴️うさんはどうしてバイオリンではなくギターでもなく三味線なのだ!なんで〜!と思ったものだ。
門前の小僧習わぬ経を読むの通り、教えられもせんのに郡上節と長崎ぶらぶら節を歌っていた。

子供の頃家族で九州を旅したことがあった。宿泊した旅館で芸者さんを呼んでもらい(父が三味線を弾ける人をリクエスト)5才にしてお座敷遊びを経験した。やってきた芸者さん(名はながこさん、その名の通り細くて背が高かった)となぜだかウマが合い、私はながこさんの三味線で長崎ぶらぶら節を歌った。
(ちなみに三味線はおと⤴️うさんの方がうまいと思った)ながこさんに楽しく遊んでもらったのだ。ながこさんも私を孫のように思ってくれたのだろう。その翌日の朝、宿を出るときにながこさんがわざわざお見送りに来てくださった。子供心にもお別れするのはちょっぴりさみしくて。だけど忘れられない心温まる良い思い出だ。

子供の頃から大人ばかりの場所にいることが多かった。父のお弟子さんもたくさんいたので、母からは
「大人の会話に子供が入ってはいけない。お弟子さん達はお父さんのお弟子さん。〇〇ちゃん(私)はお弟子さんの先生ではないからね。」と常日頃から言われていたものだ。
父も母も早くに自分の両親を亡くしていたので、仕事だからといって私は祖父母に預けられることはなく(預かってくれる祖父母はもういない。遺影でしか見たことない)一緒に職場に行っていた。(それでなんの問題も無く)父も母も仕事になれば忙しいので、私は行った先で1人で遊んでいることが多かったし、それが普通のことだった。母の教えさえ守っていれば好きなように過ごしていたな。だから!今でも何もやることがなくても「ひまー!」って感じることがほぼない。何かしら落っこちている楽しみを見つけたり、クリエイションすることが得意かも!そうかもね。

大人の中にいれば「大人の事情」とやらも起こる。
私は母の教え通り、見ざる🙈言わざる🙊聞かざる🙉でベビ猿に変身する。父も母もそれをわざわざ見せようとするわけでもなく、隠そうとするわけでもなく、説明しようとするわけでもなく、ただそのようである。だ。それ以上それ以下でもない。

お酒が入って普段はおとなしそうなヒトが、
酔っ払っちゃって、大トラ🐯に変身したり、

お酒が入って普段は真面目そうなヒトが、
酔っ払っちゃって、エロいオオカミ🐺に変身したり

お酒が入って普段は穏やかそうなヒトが、
酔っ払っちゃって泣きムシ🪲に変身する。

お酒は入っていなくても普段はただのおと⤴️うさんも紋付き袴姿で舞台に上がればただのおと⤴️うさんからカリスマ師匠に変身する🪄

ベビ猿はベビ猿で子供のふりしながら(超子供なんだけど)子供であることを隠れ蓑にして、オレンジジュースでも飲みながら、ちゃっかり大人の世界をのぞき見し、大人の話をしっかり聴き、立派な耳年増だ。お勉強しちゃうのよ、友だちより早くね😽

そんな夢芝居のようなところで聴く昭和歌謡は私にとっては子守歌のようなものだ。子守歌なのだから、夜の帷が降りて街に灯でもともっちゃう夜にピッタリさ。
朝から聴くような歌ではありません。

恋に破れたヒトが向かうのはどうしてか
北か日本海なのね。
ヒトはどうして悲しくなると海をみつめにいくのかしら?

誰かを追いかけて流れていくのは博多なのよね。
振り向いたらそこは横浜なのよ。

ドラマチックな歌にお似合いなのは
博多、長崎、横浜、京都、大阪、
中之島、赤坂、青山…
原宿 表参道 すべて 青山通りだとずっと思ってたのよね、ワタシ。
ゆれて青山通りだったのよ!
えー!びっくりだわよ🫨

能登半島は旅情があるけれど、
知多半島じゃねぇ…太平洋側だものねぇ

あなたは私の宝物 私はあなたの何なのって
それは愛人だわよ。

2番目でも愛されたいって歌ってくれるじゃない!
ワタシは2番目じゃ嫌なのよ!ごめんだわよ!
そこは1番を目指すわよ!

そういえば、おと⤴️うさんのカラオケのおはこは
「長崎は今日も雨だった」
だった。前川清さんのマネして歌ってたけど前川さんの方がウマかった。あたり前田のクラッカー😆

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