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24年6月7日note23元よしもと・ホリプロ芸人 松稔の芸能裏話23宮川大助・花子 壮絶なコンビ秘話 https://www.facebook.com/profile.php?id=61553536510873
芸能裏話23宮川大助・花子 壮絶なコンビ秘話
大助君とは吉本興業に入る前から、因縁めいた事が沢山あった。
大助君の 本名が松下で、僕も松下である。関西テレビのナイトパンチと云う番組があった。
それは漫才・コントの素人参加番組に出た時だった。
僕等は番組に出ていたが、大助君は松竹芸能の研究生で見学に来ていた。
深夜番組なので、タクシーが出るはずだった。
しかし、いくらたってもタクシーが来ない、スタッフの人に「僕等のタクシーはどうなってるんですか」と聞いたら
『君ら名前は』「松下です」『松下と言う人は、さっき来てチケット渡したよ』それが大助君だった。
後で聞いたらスタッフが『松下さん』と呼ぶから、大助君が返事をしたらチケットをくれたそうだ。
おかげで僕等は、自腹で家まで5000円位掛った。
大助君の最初のコンビは大助・小助と云う男性のコンビだった。
しかし上手く行かず解散。
花ちゃんも、新鮮組と云う男女コンビでやっていたが、同じく解散。
大助君の師匠が宮川左近師匠、花ちゃんがチャンバラトリオ師匠で、ある時営業先で一緒になり弟子同士意気投合して付き合うようになった。
そして結婚して子供が出来て、生活の為に芸能界を辞めざるをえんようになった。
花ちゃんは元警察官からお笑いに入った変り種、大助君の家は超貧乏の家に育ったので、金持ちになりたくて漫才師を目指したそうだ。
花ちゃんは普通の家庭を築きたかったのだが、大助君はやっぱり漫才師に未練があり、花ちゃんに「もう一度、漫才やってくれへんか」と頼んだ。
しかし花ちゃんは、「私は子供がまだ小さいからいやや」と断った。
「そうやなもう漫才やめたんやもんな」と寂しそうに答えた。
大助君はそれでもガードマンの仕事から帰ってきて、夜な夜なネタを書いていたそうです。
それを見ていた花ちゃんが「そんなに漫才がやりたいのやったら、やってもええよ」
大助君はその言葉を待っていたかのように「ほんまか、ほんまにええんか、よっしゃ日本一の漫才師にしたるからな」と大喜び だった。
しかし現実はそんな甘いもんや無かった。
又、チャンバラトリオの弟子からで収入もなく、花ちゃんは子供を親に預けて離れ離れの苦しい時期がつづいた。
大助君は稽古に厳しく、花ちゃんが女で嫁はんとしてではなく、相方として接していた。
ネタ合わせが上手く行かなかった時など、 花ちゃんをドツイテ「何でお前は間が悪いんや、もう一回やってみぃ」と何時間も納得いくまで稽古していた。
ある日、1回目の舞台で上手く行かず、終わってすぐ舞台裏で稽古をし始めた。
他の芸人さんもいるのに、大声で花ちゃんを叱っている。
泣きながら稽古をしていた、それでも止める事なく稽古がつづいた。
気が付いたら2回目の舞台の時間が来て、着替える間も無く、舞台に出て行った。
と云うことは 4時間ぶっつづけで稽古していた事になる。
こんな事はしょっちゅうだった。
本当に頑張っていたから、今の大助・花子が有るのだと思う。
その後、 あらゆる賞を総なめにして、今や漫才界では無くてはならぬ存在になった。
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