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24年6月15日note24元よしもと・ホリプロ芸人松稔の芸能裏話24よしもとのタレントおもしろ話松稔の芸能裏話24明石家さんまの兄弟子・五所の家小禄(ごしょのやころく)兄さん

24年6月15日note24元よしもと・ホリプロ芸人松稔の芸能裏話24よしもとのタレントおもしろ話松稔の芸能裏話24明石家さんまの兄弟子・五所の家小禄(ごしょのやころく)兄さん
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芸能裏話24明石家さんまの兄弟子・五所の家小禄(ごしょのやころく)兄さん

さんまさんが今の地位を築くのに、この人の存在が無かったらまず有り得なかっただろう。

小禄兄さんは、露の五郎師匠の弟子だったのですが、仕事で失敗をして破門 になった。

落語や漫才の世界では、一度師匠を決めたら一生その人に付いて行かなければいけない。

だから破門になったと云う事は、この世界ではやっていけないのが決まりなのだが、

笑福亭松之助が間に入り、破門が解けて松之助師匠の弟子になった。

この師匠は破天荒な人で、落語家なのに落語なんかしなくても良い、

面白い事をやってお客様に喜んで貰えば良いと、実におおらかな人柄だった。

だから、さんまさんのようなコメディアンを生み出したのだろう。

もし普通の落語家の師匠に付いていたら、あんな面白いさんまさんじゃなかったと思う。

なぜなら落語家はまず師匠からみっちり、落語をやらないと怒られるからだ。

当たり前のことだが、この師匠はそうじゃなかった。

小禄兄さんも落語以外の方のが、面白かった。

それは形態模写で、相撲取りの北の湖や貴乃花(藤島親方)それはもう大爆笑。

落語の仕事より形態模写の仕事が一杯あった。

その形態模写を弟弟子のさんまさんに教えた。

さんまさんが世に知られるようになった。

当時阪神タイガースのエース小林の形態模写、これで一躍人気者になった。

吉本興業もこれは面白い奴が出てきたと思い、二人にコンビを組ました。

小禄・さんまと言う名前で舞台やテレビに出るようになった。

落語家なのに 形態模写や漫才で有名になった。

さんまさんはこの時、今の笑いを確立したようだ。

小禄・さんまのコンビも、さんまさんの人気が出てきた事で自然消滅。

その頃は小禄兄さんの方が面白かった。

仕事も自分で取れるし、京都でスナックを持っていて結構繁盛していた。

さんまさんはテレビ中心に活躍するようになった。

小禄兄さんは、京都を中心に吉本のタレントを使ってイベントをするようになった。

タレントとしての地位はまだ下の方だが、企画や営業の才能は優れていた。

祇園祭りや大文字焼きの頃は、観光客が一杯押し寄せる。

ホテルと一緒に企画して、吉本のタレントを入れてイベントを開催する。

これがどこも大当 たり、しかしこれは吉本興業には内緒の仕事で、ホテルとしても吉本を通すとギャラが高いが、小禄さんからタレント直なので安く仕込める。

タレントも仕事が無かったら喜んで行く、私達売れない芸人も大変お世話になりました。

お互い一石二鳥だったが、いつまでも上手く行くはずが無かった。

それがばれて、吉本の仕事から干された。

そして、借金で追われるようになって吉本を辞めることになった。

芸能一筋で頑張っていれば、さんまさんより面白かったのだから、

今ごろは自分の名前の付いた看板番組を何本か持っていたでしょう。
本当に勿体無い芸人さんでした。

風の噂では、2011年2月心筋梗塞により他界されたそうです。

ご冥福をお祈りいたします。そして有難うございました。

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