俺が考える「幸せ」って何?

いきなりこんな記事を書いて病んだと思われる方がいるかもしれませんが、僕は正常です。(どちらかというと常に鬱なので、皆さんからしたら平常運転)
じゃあ何でこういう記事を書いてあるかといいますと、こういうマシュマロが送られました。(ついでに僕のマシュマロのリンクも置いとくか)

俺を漢字で書けるということは結構前から知ってくれてる人かな?

この質問を数行で答えるのはなんか違うなと思ったし、僕には自己分析が足りないので、この機会だからやってみようということで、この記事を書くことに決めました。前書きはこれくらいにして、それでは、エム・エー・アイ・エヌ・ピー・エー・アール・ティー、スタート。


1. はじめに

まず、この記事なんですけど、自分の「幸せ」に向き合うために、そして、自分と向き合うための過程を書き殴ったものなので、読みやすさとかあんまりないかもしれないです。「俺は、ちゃんとした文章が大好きなんだよ!」という方は結論(「けつ」って打ったら「ケツの穴の位置がおかしい」が上に出るのダルいな~)だけ読んでもらってもマシュマロへの返答、並びに記事タイトルへのアンサーとしては問題ないと思います。

2. そもそも、この質問が求めているものは何?

このマシュマロが求めている回答は何なんでしょうか?「僕が何をしているときに幸せを感じるか」ということなんでしょうか?だとすれば、僕ならこう答えるでしょうね。「梨子ちゃんやスバルのことを考えてるときや、面白い作品をニコニコ動画で見るときに幸せを感じますね。」(SE:ちゃんちゃん♪)

こんなしょーもない回答誰も求めてないでしょ?だって僕のTwitterやら配信やらを見てくれている人なら絶対そんなこと分かってるだろうし、聞く間もないことですよね?

じゃあ、改めて僕に問うが、この質問は何を求めているのだろうか。僕はこの質問の『考える「幸せ」』という「考える」という動詞に視点を置いた。「感じる」ではなく「考える」なのだ。これは完全に僕の感覚の話にはなるのだが、「感じる」という動詞よりも「考える」という動詞の方がなんとなく理論的・論理的なイメージがある(「理論的に考える」とは表現できるが、「理論的に感じる」はなんか変な感じがする)。ということで、自分が理論的な考え方をするときによく使う「一般化」をしてみたいと思う。どういうときに、一般化を理論的に考えるときに使うか例を挙げると、「AはBか、Bではないか、あなたはどう思いますか?」という質問があったとしよう。そういう質問が来た場合、僕は「自分はBが○○というものだと思っているので(自分の中でのBの一般化)、AはBだと思います or Bではないと思います。」という返し方をするといった具合ですね。

3. 一般化するための材料集め

先ほど「僕が何をしているときに幸せを感じるか」と質問を回答した場合にどう考えてもしょうもない分かり切った回答と蔑みましたが、僕にとっての幸せを一般化するためには、まず僕にとっての幸せを具体的に列挙し、そこから一般化をする必要がある。つーことで今から列挙しますか。


①大空スバル

急に俺の目の前に現れた太陽少女。彼女のことをある程度知ってから3か月くらいで堕ちてたし、5か月くらいでもう俺の頭の中では正妻になってましたね(頭の中がキモすぎ)。彼女のことをある程度知ったきっかけは僕の配信企画で流したとある動画ですね。このときの配信企画テーマが「動画タイトルで動画内容が察せる音MAD」だったんですけど、その動画のタイトルが「はあちゃまで音MAD作ってみたで音MAD作ってみた」だったので、このタイトルをそのまま見たまま解釈すると『「はあちゃまで音MAD作ってみた」みたいなタイトルの動画があり、それが素材になっている音MAD』になるかと思います。ということで、全く当時ホロライブおろか、Vtuberに全く興味がなかった僕ですが、配信企画が進まなくなるので、Youtubeに投稿された該当動画を見ました。そんな動画をYoutubeとかいう検索性最悪、サジェストもアウスワなニコニコより劣った動画サイトで見たらどうなるのかは皆さん大体分かるでしょう。たった1本しかホロライブの動画なんて見てないのにサジェストがホロライブの動画で埋まりました(それまでほとんどYoutube使ってなかったのとそもそものコンテンツの動画数の母体の多さが仇となった)。最初はちょっとエロそうなサムネの動画を見て抜いたり抜かなかったりしただけでしたが、とあるそういう系統のサムネの動画でツッコミ担当みたいな立ち位置だったスバルに既に魅かれてました。スバルの声を聴いたときに週刊ニコランで見たこの動画を思い出してしまったんです。ただでさえギャップ萌えに弱く(後に詳しく記述)、普通に惚れました。最初はただのギャップ萌えだったのに、そこからスバルの元気な姿や笑顔、ポジティブな考え方を知るうちに人として好きになり、なんか、いつの間にか、彼女の全てが愛おしくなっちゃいました。アヒージョ拗らせちゃいましたね。

②桜内梨子

二次元の初恋ですね。もともとアニメ自体を全く見ることがなかったんですけど、某太鼓の達人パチンモンゲームでラブライブ関係の曲をプレイする機会があって、そこからアニメを試しに見てみようってとこから梨子ちゃんに出会い、今では僕の正妻です(なぜ正妻が2人いるのかは聞くな)。最初はいきなり水着姿で海に飛び込もうとする「おもしれー女」ぐらいの感覚で見てたんですけど、なんか気が付いたら梨子ちゃんを目で追うようになってたんですよね。ピアノに対して自信を失くした彼女が周りのメンバーと接していくことによって成長していく姿が、同じく自分に対して自信が全くなかった僕にとってはすごく美しく、かっこよく、憧れみたいなのを抱いたんですよね。挙句の果てには、Guilty Kissの梨子ちゃんを見て「なんだこのドスケベ女は… こんなの俺の知ってる梨子ちゃんじゃないよ… たまげたな…」ってなりました。完全に堕ちましたね。

かわいい梨子ちゃん、可愛内梨子
スケベな梨子ちゃん、スケベ内梨子

彼女のおかげでたくさんのアニメを見るきっかけもできたし、様々な二次元コンテンツ(Vtuberだってそう)に触れることもできたと思っています。僕の人生を大きく変えた2人の正妻のことは一生忘れることはないでしょうね。

③サブカルチャー関係の曲

僕は「元」アニソンリスナーです。昔はアニソンデイズというテレビ番組や今は亡きアニソンラジオを聴いてたんですけどね… この2番組も「けものフレンズ」から知ったおしゃべりクソメガネオーイシマサヨシさんがいないと出会ってないですね。この2番組から知ったアニメソングは数知れず。今でも聴き続ける曲も結構あります。特にアニソンラジオの方は今でも僕のTwitterのヘッダーにもしているほど忘れられないサイン付きのリクエストカード(写真は3枚だが、今は4枚)をもらったという思い出があります。今も聴いてる曲は落ち着いた曲が多いです。音MADには全く向いてないですね。こういう曲が多いのは自分の中でなんとなく理由が分かっていて、自分を見失って何かを感じるということもなくなって、でも、その曲を初めて聴いたときに不思議と涙が出て、止まらなかったんですよね。自分も肯定的な何かを持っていてもいいんだって思ったんですよね。それが僕のアニソンへの目覚めでした。今は…もう…

ただ、いろいろあってアニメソングへの情熱は徐々に冷めていきました。今まで自分が楽しんでいたものに裏切られたんですね。後に書きますが、最終的に僕のアニメソングおろか、曲を聴く機会がニコニコ動画のみになっていました。ニコニコ動画だけでもかなりの良い曲と出会いましたが、なんか違う気がしたんですよね。僕のポリシーとして音楽を音楽として楽しみたい、音で自分の心を動かされたい、というのがありました。今でもそう思ってます。しかし、ニコニコ動画が好きだから音楽を聴いているような気がして、それって自分のポリシーに反していると感じたんです。そこで出会ったのがヒメヒナ(HIMEHINA)でした。彼女たちのライブをはじめとするVtuberの音楽関係の映像の数々をプレ限でフル視聴できるというのが彼女たちに魅了されたきっかけでした。僕が見たライブはコロナ渦に行われたライブで、コロナのせいで中止となったライブのリバイバル公演で、1曲目の前にそういうことを示唆する演出があり、1曲目が始まった段階で2人とも泣いてて、それを見て僕も泣いてしまいました。ライブの1曲目で泣くことは今後一生ないでしょうね。これを言うと基本怒られるんですが、僕はライブにおけるコールアンドレスポンスというものが理解できなくて、アーティストの音楽パフォーマンスに自分が介入することに必要性を感じれない(さっきのポリシーに準じて)というのが本音でした。しかし、彼女たちのライブでのコールアンドレスポンス(厳密にはコールアンドレスポンスを事前に録音したもの)が2人が歌う曲たちを手助けしているような気がしました。初めて「ライブに行ってみたい」という気持ちが湧きました。なんとなく「ゆず」とハモり方が似ているのもあって、シンプルに彼女たちの歌声・曲の虜になり、ライブをきっかけに人生が変わったと思いました。

終盤で聴いてバカ泣きした。何度聴いてもボロボロに泣く

コロナ渦中のことを描いた曲。ニコニコが鯖落ちしたときのことと重なった。

誰とか詳しく言わないが、亡くなった人でも音MADでまた会えるよねという希望をもてた曲。この曲の彼の動画を作りたかったけど、僕にそんな力はない。

④音MAD

僕はニコニコ動画が好きです(丁寧語を覚えたが、前置詞を忘れたJakku Song)。元から知ってたけど、ニコニコ動画が見れなくなって改めて気づかされた。僕はこんなにニコニコ動画のことが好きだったんだなと。そもそもニコニコ動画が鯖落ちする前に記事を完成させるべきだったということにも気づいた。 僕は元々、Youtubeに転載されたニコニコメドレーシリーズの動画からニコニコを知った身分でして、そこからメドレー作者の存在を知っていくわけなんですね。そこから、とあるメドレー作者が「たべるんごのうた」の派生動画をツイートしているのを見て、タグ検索からランキング動画(ここでは主に週刊ニコニコランキングと週刊音MADランキング)に出会い、ニコニコ動画のジャンルの多様性や幅広さを知り、現在のニコニコ動画でそれを最も深く感じられるコンテンツ、それこそが僕にとっての「音MAD」を好きになった「きっかけ」であり、出会った「きっかけ」でもあります。そんな僕は今でも(皮肉なことに今はそこまでかも) 音MADを見続けていますが、未だに新しい出会いが曲・素材共にたくさんあります。音MADから一生聴くレベルで好きになった曲もあるし(先述のサブカル関係の曲だと3時12分とかもそう)、ホロライブとかまさに音MADが無いと一生触れる事なかっただろうし、逆に昔好きだったものに再開するなんてこともしばしば… もっと言うと、ニコニコを好きになってないと今こうやって記事を書いてることもないし、なんなら音MADに出会えてなかったら自殺でも何でもやってたかもしれないですね。音MADを見て泣いて、笑って、刺激を得て、耳を幸せにして、そうやって僕は日々を送ってきたわけなんですね。

4. 結論(一般化)

ここまでダラダラと自分の幸せを感させるものとそれを感じる理由を列挙してきました。なんとなくではありますが、共通項が見えてきた気がします。それは「○○してよかったと思えること」です。先述の4つはどれも「○○」に入るものか『○○してよかったと思える「きっかけ」』のどちらかになるのは「3.」を読んだ方なら理解していただけると思います。ということで、マシュマロの回答といたしましては、「○○してよかったと思えること」ということにさせていただこうと思います。

5. おわりに

最後まで、最後だけ読んでくださった方、両方ともお疲れ様でした。僕は感情表現、特に喜びの表現が著しく下手くそなので、これで皆さんに僕にとっての幸せが伝わったかの自信はあまりないですが、伝わったなら、きっと著者は地獄で喜ぶでしょうね。それでは、皆さんと再び僕の幸せが詰まっているニコニコ動画でまた会えることを願って今回の記事を〆させていただきます。改めてお疲れ様でした。

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