ポルノグラフィティの魅力?人柄...ですかね
2024年が始まってはや3ヶ月経とうとしている。
今年も私は相変わらず、ポルノグラフィティを異常なほどに聴いている。
異常なほどと表現したが、私にとっては普段通りだ。一人でいる時は基本ずっと聴いているし、最近は聴かずとも頭の中でギターフレーズが鳴り響いている。私の頭の中にはポルノグラフィティが住んでいて、いつも好き勝手に演奏している。
「好きなのはよく分かったけど、ポルノグラフィティのどこが一番の魅力なの?」とよく聞かれる。
一番の魅力と聞かれると難しい。歌声、歌詞、曲の世界観…好きな要素はたくさんあるが、飽き性の私を長年魅了し続ける一番の要素は何なのだろうか。
昨年のツアーMCで、似たような話をしていたのを思い出した。
20年以上ポルノグラフィティを続けられたのはなぜか、みたいな話を彼らが若手マネージャーに振ったら、「…人柄、じゃないっすかねえ」と微妙な回答が返ってきた、というトークだ。「人柄だけで20年以上やってきたんかい!!」という笑い話だったのだが、私はあながち間違っていないし、芯を食った回答なのでは?と感じている。
彼らは常に謙虚だ。彼らほどの経歴があれば、少しぐらい大御所ぶってもばちは当たらないと思うのだが、「いや、自分たちはまだまだなんです」と、決してその立場にふんぞりかえるようなことはない。近年はフェスに積極的に参加したり、岡野昭仁(ボーカル)個人で他アーティストとコラボしたりなど、今をときめく若手ミュージシャンと絡む機会が多い。その中でも彼らへのリスペクトを欠かすことは決して無いし、常に彼らから学ぼうとしている。長年のキャリアを盾にするのではなく、今活躍している若手ミュージシャンから学んだことも自らの血肉に変え、楽曲に取り入れていく柔軟性も持ち合わせている。
もちろん歌のうまさや歌詞の良さも彼らを語る上で欠かせない魅力なのだが、それらのベースには常に「謙虚さ」が存在している。そう考えれば、彼らの人柄こそが最大の魅力だと言っても過言ではないだろう。
こう書くと「おいおい、じゃあポルノは人の良い曲しか作らなくなったのか?」と思われそうだが、決してそんなことはない。むしろ尖りまくっている。最後に近年ポルノを象徴する曲を2曲紹介して終わるとしよう。
Zombies are standing out
「最近のポルノでおすすめの曲教えて」と聞かれたら、間違いなく私はこの曲を勧める。この曲がリリースされる前とリリース後で、ポルノというバンドに対するイメージが大きく変わってしまった。それほどの破壊力を持つ曲だ。
まずイントロが最高だ。「スタンディンナゥ...クラインナゥ...」というおどろおどろしいボイスエフェクトを聴くだけで、反射的に私の目は血走り、口からは涎が垂れ、体の震えが止まらなくなる。ゾンビを渇望するパブロフの犬と化す。
その後地鳴りのようなギターと畳み掛けるようなドラムの打ち込みが入り、最大限盛り上げてから、岡野昭仁の
「Zombies are crying out!!!」
である。
天を刺すような一声に、私はこの時点で灰と化す。この後の記憶はない。
暁
この曲を一言で表すなら、「やりすぎ」である。初めて聴いた時、あまりにもやり過ぎてて笑ってしまった。これまでリリースした楽曲の良いところだけを抜き取り、無理やり合体させることで生み出された悲劇のモンスターみたいな曲である。
この曲を語る上で欠かせないのは、岡野昭仁のライブパフォーマンスだろう。ヘタに歌おうとすれば殺されかねないほどの難易度を誇る曲だが、彼はライブ本編最後にこの曲を完璧に歌い上げた。
まさにポルノグラフィティのためだけにあるような曲であり、2020年代のポルノを代表する曲になるだろう。
...という記事を、ポルノグラフィティのツアーに向かう電車の中で、昂った気持ちのまま書き殴っている。この昂り、終わらないでくれ。