静かに夏を平らげたい

「たいらげる」って完食するって意味だけではなく、平にする平定するって意味もあるみたい。

欲望、執着、郷愁に苦しい夏を平定する。
それは夏休みの仕事と言えるのではないか。
安易ながら、大人に近づいた気分だ。17歳。
明らかに子供の夏ではない、この心。
17しか味わえない夏って何だ?と考えながら、コント犬の動画を見た。
気分も心も身体も「共有する」って難しいよな。

6月中旬、2日間だけ入院した。退院の日、食事を二度運んでもらった看護師と少し話した。高3であることを言うと「難しい時期やね」と言われ、親目線でも自分目線でも「そりゃそうだ」と思いつつ、奇妙でヘンテコな気分になった。難しいというのが「あくまで一時的なもの」であるということが、私には私の「難しさ」があり、それは自ら乗り越えてゆくしかないと思っていたことにより違和感を覚えた。中学時代に自由を求めていた私が今いないように、今抱えている煩わしさも消えてゆくのだろうか。鬱陶しいなぁ、って気分もなくなるのだろうか。変化していないだけで、変化しさえすれば不安も悩みも1歩先へ進む。それは分かっているのに、心はじっと動かない。だから人間に幻滅してる。無視するしかないけど、今は自分の心を嗜めるコンテンツって山ほどある。それを心から望んでいるわけじゃないけど、ある種の安心と執着を欲している。
外に落ち着ける場所なんてないから。あーあ、悲しみ。
川のカモ達ずっと見ていたい。クラスで授業を受けずに、中学の時に通ってた塾の自習室みたいな場所で1人勉強したい。空想かき集めて小説を書きたい。

全て妄想に変わる瞬間が来てしまう。なんて、実際ロックじゃないと思うんだよね。
ロック聴いてるだけで自分でロックやんねぇで我が人生を生きてると勘違うな。私もね。
ロックやってる人間を見るの疲れてお休み中だけど、自分のロック諦めたわけじゃねぇから。って語り合える人いませんか。

入院する日に7階の食堂で昔ながらのオムライスを注文して、「食べきれない」虚しさ。
夏を味わい尽くせない虚しさと似ているような気がした。与えられたもの全てがキラキラしていたように思うのは、思い出補正のせいか。もっと純粋に人との関わりを楽しめていた、人生に盲目だった小学生時代に戻りたい。
とかって考えても無駄だって知ってるから、少しずつ自分なりに折り合いつけて歩いてみなきゃならんのすわ。


「たいらげる」
素麺をたいらげる達成感、スイカバーをたいらげる達成感。これら以外で、どんなふうに夏をたいらげる事が出来るのだろうか。夏を達成した感じ。もっと欲しい。

受験生が何を考えてんの。って話かもしれないけど、私は受験勉強より頭働かせたいの。
17の夏をどうすればたいらげられるのかって。
今だけの夏にときめきたい。
何をどこまで出来んのかな。
勉強しろって話だけど、ぶっちゃけ勉強だけに己の夏を捧げるってヘンテコだと思うんだよ。友達と自分どっちがドリル早く終わらせるか競っていた夏みたく、勉強は人生の暇や馬鹿馬鹿しさを楽しむために存在してなさいよって話。受験ってどれほど?自己の成長ってどれほど?孤独っつーものと向き合って自己実現のために真っ当に生きてきた私に勝てるものなくね?
てなこともね、思うんだよ。
どうすればたいらげられるんかな。
一生夏みたいな刺々しい心もたいらげたい。
文句言ってるだけの嫌われ者にはなりたない。忙しない感情というものを失って何もない私。どうすればたいらげられるんかな。
良い若さって何。
若さを活かせるってどういう時。
17の夏って言うけど、18になってからでは味わえん夏って何。
みんな教えて欲しい。若さって何やねん。
若くてええこと何。

静かに夏を平らげたい。
トトロに会えたら1発やねんけどな。

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