K²のサビ(一番)だけを見て考えてみる

どうも。すべあな界隈のACIOSです。
うにょりてぃーに関係のないnoteは久しぶりですね。
K²の歌詞は「幽霊とメタの二つの意味」説でかなり説明は可能です。
「火」とか炎上のことっぽいですし、ドット絵は線路なので轢かれたなら問題ありません。

しかし、それで本当に全て説明できるでしょうか?
今回は、K²のサビだけに注目していろいろ考えてみました。
サビだけじゃダメだと思うかもしれませんが.はサビまで絶対携帯の話してたのに突然サビで携帯関係なくなってる様に見えるので多分大丈夫です(雑)。

まず、幽霊説の根拠として形而上/形がない=幽霊と考えられることがある。
しかし、歌詞上では「形など無いはずの、憾みがどろりと。」
"はず"なのだ。逆に言えば形は「ある」のだ。
死してなお意識を持つのに形なき幽霊ではなく形がある。故に"はず"である可能性はあるんじゃないだろうか。

次に、「幽き声の詩が、幾重にも重なり。
一つの意味になるのでしょう。」
ここは幽霊説で考えた時最も違和感を持てる場所であるといえる。
幽けきは漢字から幽霊を連想するのは間違いなく意図されているだろう。
これはいい。
まず「一つの意味」これを「怨み(ただし表面上憾み表記(幽霊説/「幽霊とメタの二つの意味」説の幽霊サイドでもこう考えるしかない?))」の意だとすると、わざわざ表記を変えた理由が気になる。
つまり、幾重にも重なる意味は、「怨みである」だけでなくさらに一つであるのではないだろうか?つまり、怨む対象や理由までほぼあるいは完全に同じであるのでは?そしておそらく、怨みと言っても「殺された」などではない。こちらを向く怨み/憾みがあるのだから、そのように復讐で片付く怨みならK²はその時点で強制終了しているはずだ。しかし、その様な特殊な怨みが幾重に重なるほどあり得るのだろうか?

「幾重にも重なり。」ということは、幽霊ではないものは複数あるのだろうか?しかし、形ある幽霊もどきがそんなに多いならば、広く社会に知られるのではないだろうか?つまり、"はず"の時点でこれはない。ここは大きな疑問になり得る。一つの形に、別人が集まりうるだろうか?しかし、別人ではあるはずなのだ。わざわざ「一つの意味」と言い換える理由があるのだから。しかし、同時に別人であってはあり得ないだろう。矛盾が生まれる。

(二番の「泡沫の声がした、たとえ聴こえなくとも。」に関しては一行で矛盾している。)


これらのことについて、私は真に驚くべき考察を見つけたが、この眠気はそれを書くには多すぎる。

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